2024年4月14日「自分の光を輝かせなさい」イザヤ54:11〜7
序−皆さんは石を拾い磨いたことがありますか。日本では5千年前の縄文時代から翡翠(ヒスイ)が盛んに用いられ、弥生古墳時代にはヒスイで勾玉が多く作られました。今でも糸魚川付近の海岸で拾えるそうです。今日の箇所にも宝石が登場します。何を表現しているのでしょうか。
T−悲惨な者が光り輝く−11〜12
今日の箇所は、「苦しめられ、嵐にもてあそばれて、慰められなかった女よ」と始まります。11節前半。バビロンに捕囚になっていた民のことです。そんな民に対して、捕囚から解放されてエルサレムへ帰って再建できるという預言が与えられました。どうやら、彼らは、悲観的否定的に受け止めたようです。今さらそんなことはできない。我々は、「苦しめられ、嵐にもてあそばれて、慰められなかった」者たちなのだからというわけです。
今日も、イエス様の十字架を信じて救われていながら、人生の嵐にもまれ、慰めを受けることなく、恐れと不安を抱いている人々がいます。救われていると思ってはいても、人生の問題について信仰で解決しようとせず、人間的に解決しようとするのです。しかし、私たちに与えられている信仰は、生活の問題にも打ち勝つ体験ができる信仰なのです。
この箇所は、エルサレムへ帰還して再建することを悲観的に考えていた民に対する励ましのメッセージですが、現代社会の中で、人生の嵐にまもまれ、問題に苦しみ、恐れている者に対するメッセージでもあります。彼らは神の民なのに、なぜ苦しんでいたのでしょう。続く捕囚の中で悲観して否定的になっていたからです。心が暗くなって、人生がくすんで色あせてしまったのです。この11節前半で言われる通りの者だったのです。
人生の嵐の中でも、しっかり信仰を持って生きて行くことが必要です。そこで、神様は、そんな民を慰め、励ましてくださいました。11節後半〜12節。「見よ」と注意を喚起しています。そうした宝石のように輝くエルサレムを再建できると言っています。そのようにあなたの人生もきらめく宝石のように光り輝くと言ってくださるのです。アンチモン、サファイア、紅玉(ルビー)、きらめく石、宝石とどれだけ輝くことでしょうか。それほど、あなたは素晴らしい、大切な存在だというのです。イザヤ43:4。その人生は、非常に美しく、価値があります。
曇った目で見ると、自分自身も色あせて見えるかもしれません。しかし、神様は、私たちが与えられたものをみな宝石のように見てくださるというのです。私たちが神様から受け取ったものを信仰で用いる時、それらは宝石のように価値あるものとなります。世の人も同じようなものを持っているでしょうが、聖徒たちが用いるものを神様から与えられたと知って用いるならば、貴重なものとなります。宝石のように輝きます。
捕囚になっていた民は、神の民です。この11〜12節の表現は、苦しめられ、嵐で翻弄された者、慰められなかった者たちに、自分の価値を悟らせました。私たちも、このように自分自身を見なければなりません。パウロは、自分のことを「神の恵みによって、私は今の私になりました」と言っています。Tコリント15:10。色あせた迫害者サウロが、輝いて働く宣教師パウロとなったのは、イエス様に出会って、変えられたからです。
私たちは、イエス様を信じる前の自分の悲惨さを知る必要があるとともに、救われた後貴い者に変えられたことも知っておく必要があります。
この箇所と同じように宝石が出て来る箇所が新約聖書にあります。黙示録21:1〜2,18〜21。預言者イザヤが見たのは、天国だったのです。天国は、このような光り輝く所なのです。私たちもそのような天国に入れられるのです。どんなに素晴らしいことでしょうか。たとえ問題の嵐に翻弄されることがあっても、慰めを受け、光り輝くことができます。
U−子たちには豊かな平安が−13
捕囚の民が御言葉を信じてエルサレムに帰還し、再建するならば、何が起こりますか。13節。子どもたちに平安が与えられます。捕囚の民は、その地で苦しみ、問題で翻弄され、恐れと不安を抱いていました。子どもたち子孫には、そんな思いをはさせたくはなかったはずです。そんな人生を送ってほしくはなかったでしょう。親という者はみなそうです。そのために祈ります。
神様の導きは、その祈りを凌駕(りょうが)します。エルサレムが素晴らしく再建されるだけでなく、子どもたちは、御言葉によって整えられ、豊かな平安が与えられるようになります。
親という者は、何よりも子どもの幸せを考えます。自分のように人生の嵐にもてあそばられ、苦しむことがないようにと願います。ところが、世の教えや惑わしによって、子どもが人生の嵐に翻弄されて苦しみ、不安や恐れを抱いて生きるようになるかもしれません。そこに平安がありません。私たちは、どうですか。イエス様を信じて救われて始めて、生きる意味が分かり、御言葉によって学び、働き、喜んで神の栄光をあらわして生きるようになりました。私たち自身の信仰生活が変えられ、生活が再建されるようになります。それが子どもたちに伝わると、御言葉によって整えられ、子どもたちが神の与える平安を享受するようになります。
私たちの子どもたち、孫たちに平安があるでしょうか。私たちができることは、自分たちが御言葉によって生きて、平安であることをみてもらうことです。Tコリント4:16。私たちを救い、人生の嵐に翻弄されても守り、導いてくれる御言葉を伝えることです。私たちも、子どもたちや孫たちが平安を覚えながら生きることを願うならば、私たちにできることがあります。
私たちだけが光り輝くのではなく、子どもや孫たちまで光り輝く者になると御言葉は約束しています。13節。神の民が子どもを育てるのにまず行うのは、主の御言葉を教えることです。確かに人生は問題も多く、嵐に翻弄されることがあります。しかし、御言葉の教えを受けて、御言葉によって生きるなら、神様の恵みと導きが臨むでしょう。祝福を受け、平安に生きて行くことができるからです。
親自身がいつも御言葉に従って光り輝いて生きている姿を見れば、それが子どもたちへの教えとなります。親がいつも祈る姿を見れば、子どもたちも神様を意識するようになります。まず私たちが神様を信頼して御言葉に生きることです。そうすれば、子どもたちに祝福が臨みます。
V−義によって堅く立てられる−14〜17
では、どうして苦しみ、嵐に翻弄されていた民が光り輝くことができるのでしょうか。なぜ捕囚の民がそのように変われるのでしょうか。理由は、神様が与えてくださる義です。14,17節。これは、信仰によって義とされたということです。民の力で義となるのではなく、神様が義と認めてくださいました。ローマ4:5。神様が、捕囚に至った民の罪を赦し、義と認めてくださったのです。だから、光り輝けるのです。
神様から義とみなされるために民が大変な努力をしたからではありません。神様のあわれみによって、神様が一方的に義と認めてくださったのです。この義がどういうものか、新約聖書にはっきりと記されてあります。ローマ4:25。イエス様が私たちの罪のために身代わりとなって十字架にかけられて苦しまれ、死からよみがえられました。そのイエス様の贖いによって信じる者の罪が赦され、義と認められるのです。ローマ3:24。
確かに救われる以前は、罪によって翻弄され、苦しみ、人生は色あせ、くすんでいたでしょう。しかし、イエス様を信じたなら、罪赦され、義とされ、死んでいたような魂に光りが差し込みます。Uコリント4:6。ですから、救われている私たちも、光り輝くことができるのです。例え、問題が起こり人生の嵐に翻弄されることがあっても、イエス様の救いに信頼するなら、暗くなった心が照らされるようになります。
神様によって義とされた者は、どのようにされるのでしょうか。14節。神様によって義とされると、苦しみや恐れから解放されて、慰めと平安を与えられるようになります。「虐げから離れていよ。恐怖から離れていよ」と表現されています。私たちが神様を信頼するなら、虐げや恐れの方が私たちから離れて行くようになるというのです。心が変わるからです。ものの見方が変わるからです。
たとえ辛くあたる者が攻撃して来ても、神様から出た者ではないので、大丈夫だというのです。15節。神様によって退けられるというのです。ローマ8:30〜31。神様を覚えていないと、自分に辛くあたる者や責める者の言動ばかり考えるようになり、心が暗くなりますが、神様を覚えるならば、気持ちはずいぶん楽になります。自分を攻撃する者を恐れたり、怒り、憎む必要はありません。暗く荒んだ心が平安になり、輝くようになります。
考えてもみてください。自分に辛くあたる者や攻撃して来る者も、神様の被造物です。神様が彼らを退け、攻撃も妨げてくださるようになります。言動による攻撃も無力化されます。16〜17節。恐れる必要はありません。主を信頼してください。
私たちも、イエス様の十字架による救いを信じて、義とされました。ですから、私たちも宝石のように光り輝くことができるのです。マタイ5:16。私たちを通して、子どもや孫も、周りの人々も祝福を受けるようになるのに何が必要でしょうか。私たちのために苦しみ死なれたイエス様は、「あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい」と言われました。マタイ5:16。
イザヤ54:11 「苦しめられ、嵐にもてあそばれて、慰められなかった女よ。見よ。わたしはアンチモンであなたの石をおおい、サファイアであなたの基を定める。
54:12 あなたの塔を紅玉にし、あなたの門をきらめく石にし、あなたの境をすべて宝石にする。
54:13 あなたの子どもたちはみな、主によって教えられ、あなたの子たちには豊かな平安がある。
54:14 あなたは義によって堅く立てられる。虐げから離れていよ。恐れることはない。恐怖から離れていよ。それに近づくことはない。
54:15 見よ。攻め寄せる者があっても、それはわたしから出たのではない。あなたに攻める者は、あなたの前に倒される。
54:16 見よ。炭火を吹きおこす武器を作り出す職人を創造したのは、わたしである。それを壊す破壊者を創造したのもわたしである。
54:17 あなたを攻めるために作られた武器は、どれも役に立たなくなる。また、あなたを責めたてるどんな舌も、裁きのときに、あなたはそれを不義に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。──主のことば。」
イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
マタイ5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
Tコリント15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
黙示録21:18 都の城壁は碧玉で造られ、都は透き通ったガラスに似た純金でできていた。
21:19 都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、
21:20 第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九はトパーズ、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21:21 また、十二の門は十二の真珠であり、どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは純金で、透明なガラスのようであった。
Tコリント4:16 ですから、あなたがたに勧めます。どうか、私に倣う者となってください。
ローマ4:5 しかし、働きもない人であっても、不敬虔な者を義と認める方を信じる者には、その信仰が義と認められます。
4:25 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。
3:24 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
Uコリント4:6 「やみの中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。
ローマ8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
8:31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
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