2024年4月28日「神の道を歩む恵み」イザヤ55:6〜13

序−人々は、いつも自分の思いでいっぱいになり、自分で考えた道を懸命に進もうとするものです。しかし、困難な時には、その進むべき道が分からなくなります。何も考えられなくなり、不安や恐れにおおわれます。何か大切なことを忘れています。今日の箇所の語りかけに耳を傾けましょう。

T−主を呼び求めて、主に立ち帰りなさい−6〜7
 主は、捕囚の民が困難の中で道が見えなくなっている時、不安や恐れで道を進めないでいる時、主を求めるように言っています。6節。さまよっている者や落ち込んでいる者に対して、「主を求めよ、呼び求めよ」と言っています。道が分からなくなっている時、私たちは主を求めることが必要です。恐れ不安になっている時、主を呼び求めなければなりません。
 どうして、「お会いできる間に、近くにおられるうちに」と付け加えているのでしょうか。それだけ切実に求めなければならないということです。「呼び求めなさい」の原語は、切迫して大声で叫ぶという意味です。道を失い危機にある時には、主に叫び求めなければなりません。神様に会える機会が与えられた時に会わなければならないということです。それまで主に会っていなかった、主と共に歩んでいなかったからです。
 たとえば、こういうことを学んだ時、ああ自分は神様を求めなければな、神様に立ち帰らなければと思っても、実際の行動や心の思いを変えることをしなければ、一瞬思っただけで、すぐに忘れてしまうでしょう。道は見えないままです。このような時は人生を変えるような時となることなのに、その機会を逸したら、もう好機は訪れないということです。Uコリント6:2。
 説教を聞いたり、御言葉を黙想したりして心動かされ、気付かされたりした時、それが神様に会うべき好機なのです。御言葉を聞く時、心に留めなかったり、応答しなかったりすれば、変化はないからです。御言葉をくださる時が、御言葉に反応しなければならない時です。機会を逸しないように、好機に、主なる神様との出会いが必要です。
 捕囚の民は、神様を忘れて自分の思いいっぱいで、自分で考えた道を自分勝手に歩んでいました。それで、困難に陥って、道が見えなくなったのです。ですから、道が見えない時に必要なことがあります。7節。「悪しき者の道と不法者のはかりごとを捨てる」ということです。それは、罪を捨てるということです。「悪しき者の道」とは、罪に翻弄されて罪に従っている生活のことです。「不法者のはかりごと」とは、世の中の流れに流されてする自分勝手な肉の計画のことです。不法と訳された原語は、無法という意味です。自分が法だ、自分勝手にするということです。無法者は、自分の気持ち通りにしたいのですが、そうできないことが多いのです。そうなると、それに耐えられず、その度に怒り、恨み、文句を言い、人のせいにします。
 神の民でありがら、どれほどバビロンでの罪に影響を受けていたのでしょうか。今日の聖徒たちも、イエス様を信じながらどれほど世の考え方が染み込んでいて、肉の方法でしようとしているのでしょうか。罪に囚われながら神の道を歩むことはできません。罪は行動として現れる前に考え、思いから始まります。「おのが道うち捨てて、まさみちにきたらずや」と賛美したようにしましょう。私たちは、悔い改めて主に立ち帰るのです。悔い改めないならば、神の道を歩むことはできません。

U−神の思いと神の道、人の思いと人の道の違い−8〜9
 何か、「おのれの思いとおのれのはかりごと」自体に問題があるのでしょうか。人の思いとはかりごとに、何が足りないのでしょうか。国が滅ぼされ、エルサレムも破壊されて、バビロンに捕囚とされた民は、もう終わった、自分たちにはもう道はないと思いました。たとえ預言のように新しい帝国がバビロンが滅ぼしたとしても、捕囚から解放されて帰還できるなとは、とても思えなかったのです。新しい道など見えなかったのです。
 私たちも、同じではないでしょうか。私たちも時より、イエス様を信じながら、神様が助けてくれない、解決してくれないと悩み、心配してしまいます。それは、自分の思い通りにならないからです。自分が願ったようには進まないからです。自分の考え以外に道はないと思うからです。
 しかし、7〜8節で何と言っていますか。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なる」と言っています。言われてみれば、確かにそうです。私たちと天地の創造主の間には、あまりにも大きな隔たりがあり、大きな違いがあります。神様は、「私たちの願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方」です。エペソ3:20。ですから、どのように助けられて、守られて、道が開かれて行くのか、心配することはないのです。自分が知らない道があり、自分が見えていない道があることを信じればいいのです。
 神様は、人が言うことをすべて聞かなければならないのでしょうか。そうはならないので、人は文句を言い、背を向けてしまいます。神様の思いが自分の思いと同じにならなければならないのでしょうか。そうではなくて、私たちの思いが神様の御旨と同じようにしなければなりません。
 イエス様を信じていますか。天地の創造主を信頼していますか。そうであるならば、「神の道は、自分の道よりも高く、神の思いは、自分の思いよりも高い」ことを認めて、問題の解決が分からなくても、絶望したり、肉の道を探したりしないのです。確かに、私たち自身は自分の立てた道がいい、自分の考えがいいと思うのですが、自分の道が開かれない時は、神様がはるかによい道を用意しておられると信じるのです。
 神の思いは自分の思いよりも高いのです。神様は、私たちが思い考えるよりも遥かに高い道を用意しておられるのです。道が分からないうちはしばし苦しみますが、後にはそれが神様の深い導きだったと分かる時が来るのです。たとえ苦しくても、神の用意された道を忠実に進むなら、やがて導きだと分かり、祝福を受けるようになります。伝道者3:11。
 たとえ、今理解できないとしても、受け入れ難いとしても、神様は助けてくれない、道がないとは考えないのです。もちろん、こうしてくださいと自分の願いや思いを祈ります。でも、神様の御旨とご計画と違うのだなと分かったならば、潔く自分の思いと道を引きましょう。そして、神様の備えられた道を進むのです。むしろ、いつも何かについて判断する時、「神の思いは私の思いと異なる。神の道と私の道は異なる」と考え、「この状況での神様の御心は何だろうか」と黙想し、主に尋ねるのです。

V−主の御言葉通りになり、平安のうちに導かれる−10〜13
 では、神の思いと神の道はどのように示されるのですか。どうしてそれが神の思いと神の道であることが分かるのでしょうか。当然、そこが知りたいです。何と言っていますか。10〜11節。私たちは御言葉が証しする福音を聞いて信じて、救われました。ですから、御言葉で私たちを養ってくださり、御言葉によって私たちを導いてくださいます。
 御言葉を信仰で受け取った私たちは、御言葉通り神様が導いてくださることを信じるのです。御言葉が自分の思いに合わないと斥けたり、御言葉が自分の願いに合わないと聞き流したりしていませんか。それでは、不安や恐れを感じざるえをえず、道は分からなくなります。この季節、自然に目をやれば、生命が豊かに育まれているのを知るでしょう。そのように神様は、私たちを養ってくださるということを信じるのです。
 たとえ状況が悪くて、厳しい状況だとしても、先の道が見えないとしても、神様は御言葉通りしてくださると約束されておられます。捕囚の民は、バビロンが滅びて、新たな別の帝国が自分たちを捕囚から解放してくれるという約束を信じられなかったのですが、歴史は御言葉の約束通り、バビロンを滅ぼしたペルシャが、ユダの民を捕囚から解放してくれることなります。エズラ1:1〜3。
 いくら状況が厳しくても、自分の思いと違っていても、道はないと判断したり、神様を恨んだりしないことです。自分の思いと自分の道より遥かに高い神の思いと神の道があり、御言葉の約束を成してくださると信じるのです。自分の目を開いてくださって、神様の道を見ることができるように祈ります。今日の御言葉に合った祈りを紹介します。ラインホールド・ニーバーの祈りです。「主よ、変えられないものを受け入れる心の冷静さを、変えられるものを変える勇気を、その両者を見分ける知恵を私にください」ぜひ心に覚えて、祈りたいです。
 自分勝手な思いと自分の道ではなく、神の思いと神の道を歩んで行くなら、どのようになりますか。12〜13節。こんなにも、私たちは喜びをもって進んで行き、平安のうちに導かれて行くというのです。悔い改めて、自分勝手な思いと道を捨てて、神の思いと道を信頼して歩むならば、恵みと平安があると約束されています。日々神様に信頼して、御言葉に歩むなら、神様の恵みが臨んで、喜びと感謝の人生を歩むことができます。恵みが回復ならば、心から以前のような恐れと苦しみは消えて行き、天国的な喜びと平安で心が満たされるようになります。
 私たちの救い主イエス様は、道について何と言われましたか。ヨハネ14:6。この恵みと喜びのある神の道は、何よりもイエス様の十字架の犠牲を信じて救われたから歩むことができる道です。私たちの思いと道よりはるかに高い神の思いと道に信頼して共に歩もうではありませんか。ヨハネ14:6。



イザヤ55:6 主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。
55:7 悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
55:8 「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──
55:9 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
55:10 雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる者にパンを与える。
55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、むなしく帰って来ることはない。それは、わたしが望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。
55:12 まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、平安のうちに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。
55:13 茨の代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」



Uコリント6:2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、

伝道者3:11 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

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