2024年7月7日「嘆き悲しむ者のために」イザヤ61:1〜3

序−意気消沈したり、喪失感に陥っていた民の中には、神様からの回復の約束を聞かされても、心動かず、そこから立ち上がることができない者たちもいました。それほどに意気消沈や喪失感が深かったのです。そこで、神様は、さらなる祝福を語ってしてくださいました。それは、そのような民が立ち上がることのできる絶大な絶対的な祝福でした。

T−捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を−1節、ルカ4:16〜21
 60章で学んだように、エルサレムに帰還した民は、廃墟を見て、意気消沈し、再建する気力を失ってしまいました。もちろん、帰還して来たのですから、再建する意気込みはあったのです。ですが、中々再建ができず、生活が苦しくなって来て、気力は失われ、マイナス面や失われていることばかりに思いが向かい、喪失感にも陥っていたのです。
 そんな彼らは、貧しい人、心の傷ついた者、と言われています。1節。捕らわれ人、囚人とも言われています。貧しい人とは、実際に再建が滞り、借金が増えて、経済的に貧しくなったということがありますが、悲観的、否定的な思いに囚われて、心が貧しくなっていたこともあるでしょう。決心して帰還したものの、廃墟を見てがっかりして、希望を失い、虚しさに覆われ、傷ついた心は癒しを必要としていました。
 そのような人々に語られた1節をよく見てください。凄いことが記されています。どこかで見たフレーズと思いませんか。ルカ4:16〜21を参照してみましょう。イエス様が会堂に入って、イザヤ書を手渡されて読まれたのが、この61:1〜2です。わたしとはイエス様のことだったのです。ここに「わたしに油を注ぎ」とありますが、「油を注がれた者」となれば、メシア、ギリシャ語ではキリストとなります。ここで神様が語ってくださった祝福とは、やがて来られる救い主、キリストのことでした。
 このメシアは、「貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒すために遣わされ、捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げる」と教えられています。捕囚から解放されているのに、どうして「捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を」と言われているのでしょう。神様からの逆転のような回復や驚くべき再建の約束を受けても、一部の民は信じられず、聞き入れませんでした。彼らは、否定的、悲観的な思い、不信感や疑い、失望落胆や喪失感に囚われていました。かつて神に背を向け、自分の思うように歩み、ついには国が滅び、すべてを破壊されて、捕囚の民となってしまいました。そういう罪にも囚われてしまいます。
 人は、様々なことに心が囚われています。私たちは、どんな思いや考えに囚われているのでしょうか。体面に囚われ、欲に囚われ、評価に囚われ、利己主義に囚われています。世の人々は、自分中心な考え方、自分の肉の思いを満足させる生き方、創造主を否定して自分が神になることに囚われています。人は、罪に囚われています。人は、それでいいと思っていますが、そのために罪に翻弄され、争い、憎み、妬み、心を痛め、傷付き、悩みや虚しさを抱えながら生きています。
 そんな状態を自分ではどうにもなりません。ですから、神様は、イエス様を救い主キリストとして世に遣わしてくださいました。そして、イエス様は、人々の罪の身代わりに十字架にかかられ、三日後によみがえられました。それによって、イエス様を信じる者の罪が赦され、囚われていた思いから解放されるようになります。
 やがて来られる救い主メシアの祝福を知らされると、神の民は誰もかもその祝福を受け入れ、信じて解放を待ち望んだことでしょう。究極的な救いと開放をもたらしてくださると神の民が待ち望んでいたメシアなのですから。この御言葉を信じ受け入れた民は、失意や喪失感の囚われから解放され、傷付いた心が癒されたのです。
 この時の民の失意や喪失感、否定的悲観的な考え方、霊的沈滞や諦めと言った思いは、他人事ではありません。私たちも時には、問題や事件でそんな思いに囚われることがあるでしょう。でも、イエス・キリストを信じて救われていますか。そうであるならば、罪から解放され、肉の囚われからたましいは自由にされ、解放されています。ヨハネ8:36。再び囚われて、くびきを負わされないようにしなければなりません。ガラテヤ5:1。
 
U−主の恵みの年を告げ知らせるに−2節、Uコリント6:2
 イエス様の引用には、今日の2節も含まれています。ルカ4:19。「主の恵みの年」とは、昔イスラエルにあった制度で、7年毎に土地を休ませる安息年が7回巡った次の年、50年目をヨベルの年と言います。ヨベルの年には、無条件に土地は元の所有者に戻り、借金のために奴隷や雇い人になっていた者は解放されるというものです。レビ25:10,13,40〜41。土地も人も神のものという原理に基づいたものです。まさに、恵みの年でした。嘆き悲しむ者に慰めを与えてくれます。
 恵みの年は、辛い状態であっても、囚われの状態であっても、時が来れば、そこから解放される、そのような状態が終わるということです。イザヤ60:20,22。恵みの年は50年が経てば、囚われから解放され、自由となります。恵みの年は、悲惨な状態や辛い状況だとしても、必ず解放され、その状態が終わる日が来るということを明確にしてくれます。喪失感に陥り、失望落胆している神の民にとって、非常に説得力のあることです。本当にすぐにでも回復される、確実にこの状況は変わると思わされるのです。
 霊的な「恵みの年」、すなわち、救い主イエス・キリストが来られる時、イエス様を受け入れるものは、その救いの恵みを受け、罪赦され、すべての囚われから自由になるという宣言されます。罪に囚われた者が罪の奴隷から解放されます。世の肉の思いに縛られていたことから自由になります。私たちは、どんな考えや思いに囚われているのでしょうか。イエス様を信じて救われた者を囚われ状態から解放してくださるというのが、救いの恵みです。そのためにイエス様は遣わされたのです。
 「恵みの年に神の復讐の日を告げ」と言っています。2節。この「恵みの年」は、ある意味では、復讐の日、報復の日でもあります。何か仕返しをするというのではなく、50年経って土地は元の持ち主に戻り、奴隷は元の家に戻るということは、その間嘆き悲しんでことへの復讐、報復となるからです。何かに囚われて、酷い状況だったとしても、元のように回復されるという約束は、酷い状態にした者への報復ということにもなるのでしょうか。どこまでも、嘆き悲しむ者を慰めるためなのです。今が、私たちにとって、恵みの日、救いの日となりますように願います。Uコリント6:2。
 
V−良い知らせを伝える−3節、Uコリント6:2
 こうして、意気消沈し、喪失感に沈んでいた民は、現実に回復は起こる、状況は変わると信じることができるようになりました。そして、変えられた彼らは、他の嘆き悲しむ者ために遣わされるようになります。3節。シオンの嘆き悲しむ者たちとは、他にも神の民の中にいた嘆き悲しむ者のことです。なお霊的沈滞や喪失感の中にいる人々がいました。そのような民に対して、神様は、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせると言われました。神の民は、大きな嘆きや悲しみの時、灰を頭にかぶりました。反対に頭の花飾りは、勝利のしるしです。花飾りも油も外套も、元気な人の姿を象徴しています。
 ですから、悲しみの代わりに勝利を、嘆きの代わりに喜びを、憂いの代わりに賛美を与えられる、そのように変えられると言うのです。どんなに恵みに満ちた祝福でしょうか。この3節の祝福による変化は、礼拝において聖徒たちが与えられる姿でもあります。悲しみながら礼拝に来た者が勝利を与えられ、嘆きながら礼拝をささげた者が喜びに変わり、憂いをもって礼拝に来た者が賛美しながら帰ることになります。
 先に変えられた彼らは、他の人々をそのように導く助けをするようになります。その人々が「義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる」と言われています。樫の木とは、大変堅い木で、一年中葉が枯れない常緑樹です。神様の回復の約束を信じて、癒され、元気になった民は、他の民をそのような変化に導くためにますます信仰が祝福されるということです。イエス様に救われた人は、義の樫の木になるのです。
 私たちが嘆き悲しみから立ち上がることができて、失望落胆や喪失感から解放されて良かったと感謝するだけで終わるためではありません。イエス様は、失敗したペテロを、挫折感や喪失感から立ち上がらせた後、兄弟たちを励ましてあげなさいと言われました。ルカ22:32。そういうことが自然な証しであり、その中で伝わるのが伝道なのです。このような変化を経験した私たちは、悲しみが勝利に、嘆きが喜びに、憂いが賛美に変わる礼拝へ人々を招き、連れて来ることができます。
 私たちは、辛い経験はしたくないです。嘆き悲しむ問題に出会いたくないです。しかし、人生において、様々な問題や患難に出会い、痛み苦しみます。でも、それは無駄なことではありません。それを通して、他の人を助けるように用いられるからです。Uコリント1:4。私たちは、礼拝を通して、悲しみの代わりに勝利を、嘆きの代わりに喜びを、憂いの代わりに賛美を与えられることを感謝し、互いに励まし合い、慰め合い、この素晴らしい信仰の力を証しし、伝えて行くことを願います。Uコリント1:4。



イザヤ61:1 神である主の霊が、わたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒すために、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
61:2 主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。
61:3 シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。


ローマ8:21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

ルカ4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂に入り、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
4:20 イエスは書を巻き、係りの者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」

ガラテヤ5:1 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。

Uコリント6:2 神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。

ルカ22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

Uコリント1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちも神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にいる人たちを慰めることができます。

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