2024年7月14日「建て直し、復興し、一新する」イザヤ61:4〜11

序−回復というと、何よりも状況が回復されなければと考えるでしょう。状況が変わり、状況が回復されてこそ、他のことも整えられると思うのです。しかし、今日の箇所を見ると、それよりも先に必要な回復があることを教えてくれます。何でしょうか。

T−立場、使命の建て直し−4〜6
 エルサレムに帰還した民の願いは、廃墟の都を再建することでした。4節を見てみましょう。「昔の廃墟を建て直し、かつての荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する」と、表現は違うものの、同じことを繰り返しています。バビロンから帰還してみると、エルサレムは廃墟でした。民は、意志消沈し、喪失感に囚われました。
 ここで示されている霊的なことは、徹底的に破壊されて荒れ果てていたのは、民の心、精神だったということです。イエス様に会うまでの人の姿は、まさにそれです。罪に囚われていた古い人は、自らでは修復不可能でした。ですから、イエス様が救い主として来られたのです。先の1〜3節は、イエス様が救い主として来られることの予言でした。今日の4〜11節は、イエス様を信じて救われた人がどのようになるかということを教えていることになります。
 4節でこれだけエルサレムの再建を繰り返し強調しているので、城壁や神殿の建て直しや町々の復興がこの後に続くと思うのですが、そうではありません。民の心、精神について記されています。まず5節。「他国の人もあなたがたの羊の群れを飼い、異国の民があなたがたの農夫となる」というのは、神の民の心と信仰が回復して、影響力が他国の民にまで広がって行くということです。荒れ果てた所が回復すると、そこで異国の民がそこで羊を飼い、ぶどうを作るようになるということです。
 私たちが福音によって、新しくなり、回復するならば、それだけでなく、その影響力が他の人まで及んで、救い主イエス様に来る働きとなるということです。
 そして、肝心の神の民は、神の民として回復し、復興するのです。6節。祭司とは、神の恵みと祝福をとりつぐ人でした。神の民は、人々の霊的指導者となるということです。神の民としてもアイデンティティーが回復し、復興するのです。
 イエス様を信じる者は、霊的には、主の祭司だと言われています。Tペテロ2:9。私たちが挫折や迷い、意気消沈や喪失感から回復し、私たちの信仰が復興するならば、それだけでなく、私たちが神様に用いられる者になるというのです。ここで教えられているのは、聖徒たちの霊的再建、信仰の復興の姿です。その挫折や喪失感の痛みの経験が他の人のために用いられて行くのです。Uコリント1:4。
 私たちは、人々の中では、神の祭司であり、神に仕える者なのです。仕える者ですから、犠牲を伴う時もあるでしょう。でも、その祭司の霊的力をもってどんなことが起こるのでしょうか。「国々の財宝を味わい、彼らの富を誇る」というのは、彼らが福音を通して救われて、神の民となれば、彼らも神の民となって自分の富を分けて一緒に使うようになるということです。
 こうした神の民の姿は、私たちに、状況の回復、再建よりも、神の民としての回復、信仰の建て直しが、何よりも大切であり、優先されるべきことなのだということを教えています。信仰が立て直されて行くならば、状況の回復も伴って行くことでしょう。
 
U−心、精神の復興−8〜9
 神様は、民と結んだ契約を確認させてくださいます。8節。神の契約は確かです。神様は、公正を愛し、不法な略奪を憎み、真実をもって報いてくださる方ですから、神様との契約を受ける者も、公正を愛し、不法な略奪を憎み、真実をもって報いる者であければなりません。イエス様を信じて救われた聖徒たちと言っても、神よりも自分が中心で、物事に自分の肉の思いで反応し、神の御旨よりも自分の思いどおりになることを考えているならば、しだいに心は荒廃します。
 荒廃していた心は、復興されなければなりません。この神との契約を受けることができる人は、神様の側に立って考え、神様の御旨を思い、御言葉に聞き従って生きるようになります。かつて神様に背を向けて、自分勝手な道に歩んでいた民は、国を滅ぼされ、都も神殿も破壊されて捕囚とされて、心は荒廃していましたが、そのような心が復興されて、信仰が復興されるようになります。
 公正を愛される神様は、私たちの救いのために、御子イエス様を世に送ってくださり、私たちの身代わりにイエス様を十字架に渡されました。イエス様を信じて救われた者は、神様と新しい契約を与えられています。Tコリント11:25。イエス様の十字架の犠牲によって、私たちが神様との新しい契約を受けられることになりました。罪赦され、天国への命を与えられ、神の民、神の子として生きるようにされました。エペソ1:7,ヨハネ1:12。
 このような恵み、特権とも言える祝福に与っていることを私たちは忘れてはなりません。私たちは、神の民とされているのです。新しい命に生かされているのです。私たちがこの恵みの契約に立ち返るならば、私たちの信仰が復興されるようになります。
 この恵みの契約に生きて行くようになると、神の民はどうなりますか。9節。素晴らしい姿です。クリスチャンが地の塩、世の光として認められる姿です。マタイ5:13〜16。福音によって生きる者は、自分だけでなく、子や孫もその救いの恵みを受け、彼らによって救いが証しされるようになるという契約なのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」このような救いの恵みに立ち返ることができれば、信仰は復興して来ます。使徒16:31。
 子孫を見る世の人々が、あの人たちは主に祝福された者であると認めるようになるのだと約束しています。イエス様を信じるという出来事は、本当に偉大な栄光あるものです。恥ずかしがる必要も、隠す必要もありません。神の子どもとされているのですから、大いに救いの恵みを証ししましょう。
 私たちが信仰によって世の人々に認められるということは、どれほど大きな恵みでしょうか。私たちの能力や業績で認められるというのではありません。それを求めるとしたら、大変です。そうではなくて、世の人々が純粋に信仰に生きる私たちを指して、神様に祝福された者であると認めるようになるというのです。この信仰に立つことができれば、私たちの心が新たにされます。ローマ12:2。

V−生き方の一新−7,10〜11
 神の民としてのアイデンティティーが立て直され、救いの契約によって信仰が復興されるならば、信仰生活はどのようになりますか。7節。恥や侮辱で傷付いた心が癒され、喜びが回復します。恥や侮辱を受ければ心が傷付き、それが続けば心が荒れ果ててしまいます。心が癒され、回復されなければ、状況の改善や変化に心が向かうことは難しいです。
 「二倍のものを受け」と繰り返されていますが、神様からの分け前のことです。神様から分け前を保証されているならば、繁栄を保証されていることになります。強調されていることは、神の民の喜びが回復することです。帰還して荒れ果てたエルサレムを見た民は、意気消沈し、喪失感に囚われました。むなしさと悲しみに心はおおわれたことでしょう。まったく喜びが失われてしまいました。エルサレムの再建、復興のためには、喜びが回復されることが必要でした。
 救いの恵みと約束に立つことができると、聖徒の心に喜びが回復して来ます。10節。人は、心の中に喜びがいっぱいあれば、建て直しや復興の働きに力強く取り組むようになりますが、喜びがまったくなければ、イライラし、失望します。喜びは、人が生き生きと生きて行くために基本的に必要な心理です。御言葉に聞き従って、神様に拠り頼んで生きる時、平安と喜びを味わうことができます。しかし、かつての民のように神様から離れ、神様に信頼するのでなければ、心は不安定になり、荒れ果ててしまいます。
 神を失った人々の共通点は、喜びの喪失です。霊的な喜びの源である神を持たないからです。私たちも、「私は主にあって大いに楽しみ、私のたましいも私の神にあって喜ぶ」と言うことができます。なぜなら、イエス様を信じて、救われているからです。神様は愛であり、イエス様の救いには愛が溢れています。愛されている者には、喜びがあります。人を愛し、人に仕え、価値あることをすれば、喜びが生じて来ます。
 イエス様の救いを信じて歩む道は、希望と喜びが芽生えて来る道です。感謝と賛美が溢れて来ます。11節。神様の恵みを覚えて生きるなら、信仰生活そのものが、喜びと賛美になります。救いが神様の一方的な恵みであると気付いたら、感謝でいっぱいです。救われただけでなく、生きて行く力と導きまで受けます。救いの恵みを受けると、まるで蒔かれた種が自然に芽が出て来るように、賛美が口から自然に賛美が出て来ます。11節。
 信仰の生涯には様々な問題が起こりますが、何よりも私たちの信仰が立て直され、復興され、一新されることを願います。ローマ12:2。



イザヤ61:4 彼らは昔の廃墟を建て直し、かつての荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。
61:5 他国の人は立って、あなたがたの羊の群れを飼い、異国の民があなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる。
61:6 しかし、あなたがたは主の祭司と呼ばれ、われわれの神に仕える者と呼ばれる。あなたがたは国々の財宝を味わい、彼らの富を誇る。
61:7 あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、人々は自分の地で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが自分のものとなる。
61:8 「まことに、わたしは主、公正を愛し、不法な略奪を憎む。わたしは真実をもって彼らのわざに報い、永遠の契約を彼らと結ぶ。
61:9 彼らの子孫は国々のうちで、末裔は諸国の民のうちで知れ渡る。彼らを見る者はみな、彼らが主に祝福された子孫であることを認める。」
61:10 私は主にあって大いに楽しみ、私のたましいも私の神にあって喜ぶ。主が私に救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。
61:11 地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽ばえさせるように、神である主が、正義と賛美とをすべての国々の前に芽ばえさせるからだ。


Tペテロ2:9 しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

マタイ5:13 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
5:14 あなたがたは世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。
5:15 また、明かりをともして枡の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。


使徒16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」


ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

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