2024年7月28日「主を休ませてはならない」イザヤ62:6〜12
序−よく神の民が神様について誤解します。事が思うように行かないと、「神様は聞いておられないではないか、休んでおられるのですか、なぜ、黙っておられるのですか」と言います。しかし、神様ご自身が「わたしは黙っていない、休んでいない」と語っておられるだけでなく、あなたがたが「主を休ませてはならない」言われます。
T−見張り人は黙ってはならない、主を休ませてはならない−6〜7
1節で、「わたしは黙っていない、沈黙はしない」と言っておられた神様は、民に対しても、「黙っていてはならない、休んではならない」と言われました。6節。エルサレムに見張り台を置いて、見張り人に「黙っていてはならない、休んではならない」言われるのです。なぜ、神様は、見張り人を置いたのでしょうか。エルサレムで起こる状況をすべて神様に知らせるためです。
見張り人の役目は、よく見て、よく調べて報告することです。見張り人は、自分で町を守ることはできませんが、状況を神様に報告すれば、神様がエルサレムを守ってくれます。神様は、今も霊的見張り人を置いておられます。霊的見張り人を立てて家庭を守り、教会を守っておられます。その置かれた所の状況をすべて報告させるために、霊的見張り人を立てておられます。
見張り人は、「一時も黙っていてはならない、休んではならない」と言われているように、逐一、継続的に報告しなければなりません。小さなことも疎かにしてはなりません。では、霊的見張り人はどう報告するのですか。神様に報告するのですから、祈りによって報告します。神様に祈って、すべて状況を報告するのです。Tテサロニケ5:17で「絶えず祈りなさい」というのは、「休まないで祈りなさい」ということです。私たちの生活におけるすべてのことを報告しなさいということです。問題が起こった時には、もちろん報告します。
私たちが、状況について祈って報告するならば、神様がそれに合ったことを導いてくださいます。絶えず祈って報告してみてください。それに合った人を送ってくれたり、神様が臨んで導いてくださいます。
ここで、とにかく「黙っていてはならない、休んではならない」と言われる理由を教えています。6節では、「思い起こしていただこうと主に求める」からです。7節では、「主を休ませてはならない」からです。神様は知っておられるはずだから、祈らなくもいいなどと勝手なことを言う人がいますが、祈って報告して、神様に自分の課題を思い出してもらいなさいと言うのです。いつまで、報告しなければなりませんか。「主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで」です。つまり、私たちの祈りに応えて、神様が事を成し遂げてくださるまでです。祈りで神様に報告するのは、見張り人としての私たちの務めです。
ここに不思議な表現があります。私たちが絶えず祈り、神様に報告するのは、「主を休ませてはならない」からだというのです。神様は黙っておられる、働いておられないなどと文句を言うのではなく、神様を休まないで、働いてもらうように、絶えず祈りなさいというのです。「主を休ませてはならない」というのは、「主に面倒をかけなさい」ということです。人に対してですと躊躇してしまいますが、神様は望むところです。神様は、休むことができないほど祈りの報告を聞きたいし、私たちに働かされることを望まれ、喜ばれるのです。ヨハネ5:17。
イエス様が分かりやすい例え話をもって、このことを教えておられます。ルカ18:1〜7節。この例え話の目的は、「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために」です。このやもめが裁判官にしたように、私たちが神様に面倒をかけろということです。イエス様が私たちにそうするように勧めておられるのです。
なぜ、神様が休めないほど面倒かけなけばならないのですか。神様は、私たちが祈りを通して、神様が生きておられることを知って神様の愛を体験し、神様の恵みを知って神様の栄光をあらわすようになるためです。今日から、私たちの祈りの生活が変わります。
U−労苦が報われ、主の祝福を受けた生活−8〜9
見張り人が神様に絶えず報告していれば、どのようにしてくださるのでしょうか。8〜9節。もう穀物や飲み物を敵に奪われるようにはさせないと言われました。民が労苦して作った物を収穫し、それを食べて神様を賛美し、聖所で飲むようになると祝福してくださいました。民にとって、これが最も大事なことでした。かつては、捕囚の民としてバビロンに支配され、自分のものは何もなく、労苦して働いたものも取り上げられ、悲惨な生活でした。神の民にとって、労苦したことが報われて、神様を礼拝して生活ができることが何よりの安定でした。神の支配が生活全般にわたって及んでいるということです。
イエス様を信じて救われて、神の子どもとされた私たちの人生は、もう罪に支配されているのでありません。私たちを救いに召してくださった神様が私たちの主となり、私たちの人生の主となられたのです。私たちの生活を確かなものにしてくださいます。私たちの労苦が報われ、生活が守られます。ですから、平安の中で生きることができるのです。
ところが、人は、自分が労苦して報酬を得ることを祝福とは考えないで当たり前と考えます。自分の労働の対価としか思いません。私たちはどうでしょうか。代わりに、自分が労苦しないのに与えられることを祝福と思います。祝福を求める時にも、自分が労苦しないで求めます。今日の箇所が教えている聖書的な祝福とは、努力なしで得られることではありません。自分が労苦したものを失うことなく自分が収めることが、聖書の言う祝福なのです。
詩篇128:2〜4を見ると、その手で労した実りを食べることが主の恵みであり、家族と食卓を囲む生活が祝福であると言っています。そんな当たり前ができることが主の祝福なのだと気付かせてくれます。神様は、労苦を惜しまない者を祝福してくださる方であることを知るのです。
誰が自分を助けてくれるのですか、誰が自分を守ってくれるのですか、誰が自分を祝福してくれるのですか。自分を見張り人として置かれた神様です。ですから、神様に祈って、報告するのです。「置いた」という言葉は、「招集する」とか「任命する」という意味です。神様が自分を召してくださり、そこに置いてくださり、見張り人としての使命を与えられたということです。
V−人々がイエス様に来る準備を−10〜12
神様は、見張り人に対して、シオンに来る民を迎える準備をするようにと言われます。10節。散らばっていたすべての民が主の元に来るように祈りなさいということです。
これは、やがて来られるイエス様の救いを預言したものです。イエス様の十字架の御業によって、神の選ばれた人々がシオンと言われた神の教会に導かれることを預言したものです。神の救いに進む人々が妨げられることなく進めるように主の道を準備するこの働きは、バプテスマのヨハネと同じ働きです。ルカ3:3〜4。人々が救いに進むように道を整えるのです。
では、どのようにして道を整えるのでしょうか。救いの御旗であるイエス様の福音を伝えることです。11節。そして、ここまで学んで来たように、その人ついて神様に祈り、報告します。さらに、自分の生活を整えられて、証しの生活をします。この祈りと証しの生活の備えなくして、宣教だけ考えると難しくなるでしょう。祈りや証しの生活が伴っていなければ、中々伝えられないし、話したとしてもその人の心に福音が伝わらないでしょう。祈りと証しの生活があってこそ、イエス様へ向かう道から障害物を取り除くことができます。
ここに、神様に使わされた見張り人の務めがあります。私たちは、あの忠実な働き人ヨハネの祝福された働きを継ぐ者なのです。
12節には、救われた者たちを呼ぶ新しい称号、呼び名が登場しています。「聖なる民、贖われた者」です。「聖なる者」とは、区別された者とう意味です。道徳的で清潔だから呼ぶのではありません。イエス様の十字架の血によって救われて、神の民、神の子どもとして世から区別された者となったから、聖なる者と呼ばれるのです。たとえ世にあって取るに足りない者や見下されている者だとしても、その中で神の聖なる民としてふさわしく生きることを期待されての呼び名です。
「贖われた者」とは、元々困難に直面した親戚のために、奴隷とされた親戚や失った親戚の土地を代価を払って買い戻すことを意味した言葉です。ルツ記2:20。ですから、神様が多大な犠牲を払って、民を救うことをあらわすようになりました。まさに、イエス様の十字架という多大な犠牲を払って、神のものと買い戻してくださったのが、救いの御業です。Tコリント6:20。
神様が休まれないように見張り人として、祈って、報告をしたいと願います。神様は今でも救いのために休まないで働く神様です。今この時も救いのための働きを続けておられます。思い出してください。私たちの間で良い働きを始められた方が、それを完成してくださるまで決して休まれないことを。ピリピ1:6。
イザヤ62:6 「エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り番を置いた。終日終夜、彼らは一時も黙っていてはならない。思い起こしていただこうと主に求める者たちよ。休んではならない。
62:7 主を休ませてはならない。主がエルサレムを堅く立て、この地の誉れとするまで。」
62:8主は右の手と、力強い腕によって誓われた。「わたしは再びあなたの穀物を再び敵に食物として与えはしない。あなたの労して作った新しいぶどう酒を、異国の民が飲むことはしない。
62:9 取り入れをした者が、それを食べて主をほめたたえ、ぶどうを取り集めた者が、わたしの聖所の庭でそれを飲む。」
62:10 通れ、通れ、城門を。この民の道を整えよ。盛り上げ、土を盛り上げて、大路を造れ。石を取り除いて、もろもろの民の上に旗を揚げよ。
62:11 見よ。主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ。あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」
62:12 彼らは、聖なる民、主に贖われた者と呼ばれ、あなたは、追い求められる者、見捨てられることのない都と呼ばれる。
Tテサロニケ5:17 絶えず祈りなさい。
ルカ18:1 いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。
ヨハネ5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。
詩篇128:2 あなたがその手で労した実りを食べること、それはあなたの幸い、あなたへの恵み。
128:3 あなたの妻は、家の奥でたわわに実るぶどうの木のようだ。あなたの子どもたちは、食卓を囲むとき、まるでオリーブの若木のようだ。
128:4 見よ、主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。
Tコリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
ピリピ1:6 あなたがたのう間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
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