2024年9月15日「神様が見せてくださるビジョン」イザヤ65:17〜25
序−人生には、私たちを悲しませ、落胆させ、辛くさせることがたくさん起きます。時には大きな問題さえも起きて来ます。そのような中で、慰めを得て、希望を持つことができなければ、嘆きと痛みの中で過ごすことになってしまいます。そんな私たちに、神様はビジョン、幻を見せてくださいます。
T−新しい天と新しい地を創造してくださる神−17〜19
捕囚の民は、帰還を心待ちにしていました。長い間待ち望みました。そしてついに夢に見たエルサレムへの帰還が実現しました。彼らは、エルサレムに帰還できれば、すべてが解決する、幸福になれると思っていました。しかし、帰還してみると、予想とはまったく違っていました。エルサレムは、廃墟となっていました。荒廃がひどい状態でした。神殿は、崩れ果てていました。自分たちの生活を整えることさえも大変でした。周りの人々からの敵対や妨害もありました。再建について大きな困難を覚えました。民は、再建の希望を失い、意気消沈し、喪失感に陥りました。
そのような彼らに神様の声が伝えられました。17節。絶望と苦しみの中にいる民に神様が見せてくださったのは、ビジョン、幻です。思い出させているのは、神様の存在です。民は現実があまりにも厳しくて、神様を忘れていました。人は問題や事件によって起こる痛みや苦しみのために、神様を忘れてしまうことがあります。嘆きや痛みの中に光を見出すことができなければ、人生は真っ暗になってしまいます。ですから、人生の苦しみや嘆きの中で、神様を忘れるならば光が消えてしまうということを思い出さなければなりません。
ビジョンは虚しい夢ではなく、神様が見せてくださる幻であり、希望を回復させてくださるものです。現実は厳しく解決もされていないけれども、ビジョンを抱き、問題が解決された幻を想像してみるのです。そうして幻を見ることは、現状を克服する糸口になります。
神様が見せてくださる幻、ビジョンは、廃墟に代わって、新しい天と新しい地を創造して下さることです。「先の事は思い出されず、心に上ることもない」というのは、新しい天と地があまりにも良くて素晴らしいので、昔のことが思い出されないほどだということです。どんなに感謝なことでしょうか。人は、落ち込んで、悲しむと、過去の事件や問題のことが思い出されて、さらに悲しみ嘆くようになります。過去のことが思い出しては、怒り、嘆き、虚しさや後悔も生じて来ます。もう心が過去のことに囚われ、翻弄され、心が塞ぎ、病気にもなります。
しかし、そういうことを思い出さなくなるというのです。その理由は18〜19節です。18節は、「なぜなら」という言葉から始まっています。なせ過去の罪と悲しみが消えて、新しい天と地となるのか、喜びと楽しみが生じるからです。ここで、喜びと楽しみが繰り替えされています。廃墟を前にした帰還の民は、悲しみと嘆きでいっぱいですが、神様が見せてくださる新しい天と地では、喜びと楽しみがいっぱいで、「そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない」というのです。どんなに素晴らしいビジョンでしょうか。黙示録でもこの幻を見せています。黙示録21:4。
私たちも、人生で起こる問題や事件によって、この時の民のようになることがあります。失望落胆し、悲しみ、嘆きます。問題が続けば、その心の痛みや苦しみ、絶望はもっと大きく、深くなります。神様から新しい天と新しい地を見せていただき、喜びと楽しさでいっぱいになり、泣き声も叫び声も聞かれなくなるなんて、何と素晴らしいことでしょうか。神様の新しい創造を通して、私たちの悲しみと苦しみが喜びと楽しみに変わることを願います。
U−まったく新しくしてくださる−20〜25
ビジョンは、罪と悲しみが消えた世界の様子を見せています。20〜25節。ここに登場していることは、人々がよく見るものです。周りにあるものです。しかし、過去の姿ではありません。その様子、状況がまったく新しくなった姿です。その本性が変わってしたったのです。黙示録でも「見よ。わたしは、すべてを新しくする」と言われます。黙示録21:5。
20節のことは、かつて病気や飢えのために幼な子が死に、高齢者が戦争や病気で寿命を迎えることなく死んでしまいましたが、再び過去のような惨めな死はなくなり、長寿をまっとうするようになるというのです。どれほどの恵みでしょうか。長寿社会となって現代でも、その悲しみはあります。私たちも経験する悲しみです。その中でこのような幻を見せていただけることは、何と言う恵みでしょうか。
21節は、自分たちが苦労して建てた家を戦争や捕囚によって奪われ、自分たちが努力して育てた穀物を他の人が食べました。帰還して見れば、かつて先祖が耕していた土地は、他人のものとなっていました。そんな酷いことは二度と繰り返されない、自分の手で作った物を存分に用いることができるというのです。22節。現代も、自分が苦労したものが他の人のものとなる矛盾や虚しさがありますが、回復の幻を見せてくださるのです。
23節は、捕囚の地で労苦したことが無駄になることが多くありました。苦労して育てた子が病気や事件でなくなることがありました。しかし、アブラハムのように子孫が繁栄するビジョンを見せてくださるのです。落胆や嘆きの中にいる私たちにも、そのようなビジョンを見せてくださるというのです。どんな大きな慰め、希望でしょうか。
24節のことはどういうことでしょうか。神様が答えてくれない、神様の御心が分からないと民は言いましたが、祈る前に神様が答えてくださり、人が語っている間に神様の心を聞くようになるというのです。新しい天と地に創造されたところでは、人と神様との関係がそのようにされるというのです。現代の私たちも、民と同じようなことを言っていないでしょうか。私たちと神様がこのような関係にされるビジョンを見せてくださるというのです。不安や不満を抱く者に平安が与えられます。
25節は、現実にはありえないことです。どういう意味なのでしょうか。狼や蛇や獅子は、他人を傷つけ、騙し、略奪する残酷で邪悪な人間の内面を比喩的に表現したものです。神様が造る新しい天と新しい地では、互いに愛し、喜びを分けて生きることになります。完全な環境を造ってくださるということです。現実は、人間関係が障害となることが多くあります。現実の環境に悩まされる私たちにとって、そのようなビジョンを見せていただけるのは、希望と励ましとなります。
V−ビジョン、幻を見る−Uコリント 5:17、ローマ8:18
もし、帰還の民がそのまま落胆と悲しみの中にいるなら、もっと痛みや苦しみは大きくなり、後悔と嘆きの中で人生を歩むことになるでしょう。しかし、神様は、彼らにこのようなビジョンを見せてくださいました。彼らは、痛みと嘆きの中で、この幻を握らなければなりません。神様がご自分の民を顧みてくださる時に見せてくださる幻、新しい天と新しい地のビジョンを捕まえて、希望を持つことができます。
神様が見せてくださるビジョンは、神様のマスタープランと言えます。この幻を見せていただいた民は、やがて現実の困難の中で再建に挑み、城壁再建、神殿再建と成し遂げるようになります。ネヘミヤ6:15,エズラ6:15。新たに神の民を形成するようになります。神様からビジョンを見せていただき、神様が成し遂げさせてくださると確信したからです。ヘブル11:1。
この新しい天と地は、そのような歴史的な意味ばかりではありません。私たちは、クリスチャンです。クリスチャンが見なければならない幻は何でしょう。イエス様が言われたように、「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」と祈り、その実現のために生きることです。マタイ6:10。この現実の不義と混乱の世界に生きながら、イエス様のもたらされる新しい天と地の幻を眺めながら、歩まなければなりません。そうしないと、現実の問題や事件によって落胆し、嘆き、人生を虚しく、悲しみながら生きることになります。
クリスチャンは、そんな不快で不幸な世界を幸いに生きることができる者とされています。不幸で不義な世を生きていますが、私たちは新しい天と新しい地という幻を眺めて生きるからです。私たちは、現実生活の中で様々な出来事に出会います。失望落胆すること、心が痛み虚しくなること、問題の重荷で潰れそうになること、続く苦しみで耐えられなくなること等々あります。その時、幻を思い、ビジョンを見るのです。
なぜ私たちはクリチャンですか。イエス様が自分の代わりに十字架にかかられたことを信じて、罪と滅びから救われたからです。救われた者は、何と言われていますか。Uコリント 5:17「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」どうか、確信してください。この幻は、先のことばかりでなく、イエス様を信じて救われた時から始まっています。
どうか、現実の問題や苦難、苦しみや悲しみに翻弄されないようにしてください。神様が示してくださる幻を見てください。神様が与えてくださったビジョンを握って、現実の問題や苦難、苦しみや悲しみに取り組んでください。やがてビジョンの実現の時に与えられる栄光は、今の苦難に比べ物にならないものです。ローマ8:18。幻、ビジョンを見ましょう。
イザヤ65:17 見よ。わたしは新しい天と新しい地を創造する。先の事は思い出されず、心に上ることもない。
65:18 だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ喜べ。見よ。わたしはエルサレムを創造して喜びとし、その民を楽しみとする。
65:19 わたしはエルサレムを喜び、わたしの民を楽しむ。そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれない。
65:20 そこにはもう、数日しか生きない乳飲み子も、寿命を全うしない老人もない。百歳で死ぬ者は若かったとされ、百歳にならないで死ぬ者は、のろわれた者とされる。
65:21 彼らは家を建てて住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。
65:22 彼らが家を建てて他人が住むことはなく、彼らが植えて他人が食べることはない。わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者は、自分の手で作った物を存分に用いることができるからだ。
65:23 彼らはむだに労することもなく、子を産んで、突然その子が死ぬこともない。彼らは主に祝福された者の末裔であり、その子孫たちは彼らとともにいるからだ。
65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。
65:25 狼と子羊は共に草をはみ、獅子は牛のように藁を食い、蛇はちりを食べ物とし、わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、滅ぼすこともない」と主は言われる。」
ヘブル11:1 さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
黙示録21:4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」
21:5 すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
Uコリント 5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
ローマ8:18 今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
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