2024年9月29日「産みの苦しみと保育の喜び」イザヤ66:5〜14
序−救い主イエス様を遣わして私たちを救ってくださった神様は、どんなお方ですか。神様について良く知ることは私たちの信仰を豊かにしてくれます。今日の箇所は、母のような神様のイメージを私たちに教えてくれています。それによって慰めと喜びが与えられます。
T−同胞からの攻撃−5〜6
エルサレムの帰還民に新たな問題、困ったことが起きていました。5節。「あなたがたを憎み、わたしの名のゆえにあなたがたを押しのける、あなたがたの同胞は言った。『主に栄光を現させよ。そうすれば、お前たちの楽しみを見てやろう』」とは、御言葉に聞き従う信仰の民を憎み、神様に拠り頼む信仰の民が気に入らず、嘲り、罵っていた人々がいたというのです。
御言葉に聞き従い、神様に拠り頼む者は、世の人々が見た場合、とても不都合、不愉快に見えるのです。信仰の人々は正しい生活をして、良い人たちなのに、それが気に入らず、そういう人を嫌ったり、憎んだりするのです。人の罪の性質がなすことです。それは、イエス様のことを見れば分かります。あんなに正しく愛に満ちておられたイエス様が嫌われ、憎まれ、十字架にかけられたのです。
何よりも、今帰還した民を罵り、嘲るのは、敵でも他の民族でもなく、「同胞」だったというのです。同じ神の民、ユダの民だということです。一緒に帰還した民の中の人たちなのでしょうか。エルサレム再建、信仰の民族再建の希望を持たないまま来た人たちもいたでしょう。ちょっと気に入らなければ、ちょっと困難になれば、堪え性も無く「お前たちは馬鹿だ。再建なんて無理だ。神様なんてあてにならない。頼るのをやめろ」なんて言っていたのかもしれません。
また、捕囚から免れ、農民として残されたユダの民もいました。U列王24:14,25:12。そのような人々にとって、捕囚から帰還した民は、自分たちの既得権を脅かす邪魔者でしかありません。あれこれと邪魔をし、心を萎えさせる言葉を浴びせたことでしょう。そうして、バビロンに戻らせようとしたのです。他民族のように武力で脅すことはないにしても、同胞がゆえに、かえって帰還民にはきつかったのです。「なぜだ、同胞なのに」と戸惑い、言葉だけでも罵りは痛く心に響いたのです。精神的なダメージは大きかったのです。
私たちにとっても、そうではありませんか。関係のない知らない人からの嘲りや罵りはそれほど気にならないのに、知っている人、近くいる人からの嘲りや罵りはダメージが大きいのです。心が痛み、やる気は萎えるのです。どうしてそんなに言うのかと気に病み、なぜと戸惑うのです。
このような人たちに対して、「彼らは恥を見る。主が報復される」と言われました。5〜6節。彼らは、神を嘲ったのです。神様の裁きを受ける時も、彼らはうるさいです。ですから、私たち神の民が、御言葉に聞き従う道を歩むのを人々が罵り、嘲っても気にしないで、神様に拠り頼み続けなさいということを教えています。Tペテロ2:23。罵りや嘲りを受けて、萎えたり、がっかりしたりすれば、彼らはますますそれを強めるからです。
とは言え、罵りや嘲りによって心は傷め付けられ、心悩まされたのですから、神様は、斬新な励ましや慰めを与えてくださいました。
U−私のために産みの苦しみをしてくださる神−7〜9
それは、出産の例えをもって、励ましや慰めを与えてくださったことです。7〜9節。出産は、新しい命を世に産み出すという最も高貴なことの一つです。そして、出産の苦痛ほど大きな痛みはないと言われます。
産みの苦しみは労苦が大きいです。使徒パウロも、「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています」と証ししています。ガラテヤ4:19。パウロも同胞から謂れのない中傷や妨害を受けながらも、聖徒たちのために労苦し続けました。
しかし、出産は、痛みや労苦だけでありません。子どもを産むということは、どれほど大きな祝福であることでしょうか。今帰還した民は、大きな失意と痛みに心が苛まれていました。罵りや嘲りを受け、苦しみと失意でいっぱいでした。それが産みの苦しみに例えられています。痛みや苦しみから解放されることも出産に例えられています。
U列王19:3には、ユダ王国にアッシリヤが攻めて来て罵りと嘲りを受けてできることが何もない時、ヒゼキヤ王は「子どもが生まれそうになっているのに、それを産み出す力がない」と表現しています。今罵りや嘲りで痛み苦しむ民も、自分ではどうしようもできない、産み出す力がありませんでした。それで、神様は、民が産みの苦しみなしに出産させると言われたのです。7節。「シオンは、産みの苦しみと同時に子たちを産む」、一瞬の苦しみで産み出されるようにされるというのです。8節。
御言葉に聞き従い、神様に寄り頼む民を「シオン」と言っています。8節。7節で男子を産んだというのは、ただ信仰の相続人ということを意味しています。信仰をもって生きる者には、罵りや嘲り、批判と攻撃があったとしても、信仰の人を産み出してくださり、信仰共同体を産み出してくださるということです。神の民を再建してくださるという祝福です。おそらく、再建された新しいエルサレム、神の民の共同体に「この同胞たち」の多くも回復されたことでしょう。
シオンは、エルサレムのことだけでなく、信仰の人が産み出されて形成される教会も霊的シオンです。私たちも心砕かれて、御言葉に聞き従い、神様に拠り頼んで生きて行くならば、私たちを通して信仰の人を産み出してくださり、私たちを通して信仰の家族が再建され、信仰共同体が形成されて行くのです。
では、そのようなことがどうして起こるのですか。9節。「わたしは産ませる者」と言われます。神様が産まれさせてくださるのだから、「産ませないだろうか、胎を閉ざすだろうか」いや、必ず産み出させてくださるというのです。なんと言う慰めでしょうか。ヘブル語のラーヘム憐れみは、レーヘム子宮という言葉から出ています。神様は、ご自分の身をもって命を生み出し、育てるお方なのです。
この神様の産みの苦しみとは何ですか。私たちを新たに創造するために、私たちを妊娠して、産み出してくださる苦しみを考えてみてください。新しい命が産み出される産みの苦しみ代わってくださったのが、イエス様の十字架です。十字架にご自分の息子を釘付けにして産み出された命であることを覚えてください。Tペテロ3:18。
V−授乳する母のように慰めてくださる神−10〜14
出産の例えの次は、授乳する母のように慰めと喜びを与えてくださる例えです。10〜11節。産み出された子がお母さんから授乳されるようになります。その姿は、世で最も美しい姿だと言われています。赤ちゃんがその母親の胸に抱かれて、安心して乳を飲み喜ぶように、神様が信仰の民に平安と喜びを与えてくださるということです。乳は、聖徒たちには魂の糧御言葉です。Tペテロ2:2。神様の子とされた者たちには、赤ちゃんが母の乳を飲んで満足しているように霊的に豊かな御言葉の乳を与えられ、以前に味わえなかった平安と喜びを与えられるというのです
12節は、お母さんの胸に抱かれて乳を飲む赤ちゃんの幸せな姿を描いています。そのように子どもが母親に抱かれて安心しているように、神様は信仰の民に平安を与えてくださいます。「あふれる流れのように」という表現は、水があふれて新しい流れが作られることを言っています。この地域では、ワジという干上がった川筋跡があります。乾季は谷、くぼみが続いているだけですが、雨期になると水があふれて谷に集まり、川の流れができるようになります。痛んで苦しんで落ち込んだ心を神様が回復させてくださる時には、平安があふれ出すということです。
神様は、私たちを産み出してくださっただけでなく、その後の保育して慰めと喜びを与えてくださいます。13〜14節。帰還して来た民は、同胞の嘲りや罵りに心傷つき、苦しみ、落ち込んでいました。そのような民に対して、赤ちゃんを授乳する母親のようにしてくださると言っているのです。何という慰めでしょうか。出エジプトの民が荒野を行く時も、「人が自分の子を抱くようにあなたを抱いてくださった」と言われています。申命記1:31。人生を歩みの中で不安や恐れの中に時、悲しみ涙する時、悩み苦しむ時、乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる赤ちゃんように私たちを守り、育んでくださるのが私たちの神なのです。
私たちが神様の胸の中で安心している赤ちゃんのように、慰めと喜びでいっぱい受けるのに必要なことがあります。13節。神様が私たちを慰めてくださるのですから、私たちが神様の慰めの中にいなければならないということです。お母さんがいくら抱いて乳を飲ませようとしても、お母さんの胸に抱かれるのを拒み逃げる子は、乳を飲むことはできません。心が不安や恐れが多い子は、母の胸に飛び込みます。
時には理由が分からず不安になり、時にはは問題によって心が痛み、苦しむ時、私たちが取るべき姿は、神様の慰めを求めることです。母のように私たちを産み出し、育んでくださる神の御懐に飛び込んでください。言いようもない平安と喜びが心に広がって来ます。ガラテヤ4:19。
イザヤ66:5 主のことばにおののく者たちよ。主のことばを聞け。「あなたがたを憎み、わたしの名のゆえにあなたがたを押しのける、あなたがたの同胞は言った。『主に栄光を現させよ。そうすれば、お前たちの楽しみを見てやろう。』しかし、彼らは恥を見る。」
66:6 町からの騒ぎが、宮からの声が聞こえる。敵に報復する主の御声が。
66:7 彼女は産みの苦しみが来る前に産み、陣痛が来る前に男の子を産み落とす。
66:8 だれが、このような事を聞き、だれが、これらの事を見たか。地は一日の苦しみで産み出されるだろうか。国は一瞬にして生まれるだろうか。ところがシオンは、産みの苦しみと同時に子たちを産む。
。
66:9 「わたしが胎を開きながら、産ませないだろう。―主は言われる―わたしは産ませる者なのに、胎を閉ざすだろうか」。―あなたの神は仰せられる。」
66:10 エルサレムとともに喜べ。すべて彼女を愛する者よ。彼女とともに楽しめ。すべて彼女のために悲しむ者よ。彼女とともに喜び喜べ。
66:11 あなたが彼女の慰めの乳房から飲んで飽き足り、その豊かな乳房から吸って喜びを得るために。
66:12主はこう言われる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の栄光を与える。あなたがたは乳を飲み、脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる。
66:13 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰める。エルサレムであなたがたは慰められる。
66:14 あなたがたはこれを見る時、その心喜び、骨は若草のように生き返る。主の手はそのしもべたちに知られる。その憤りは敵たちに。」
Tペテロ2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
ガラテヤ4:19 私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。
Tペテロ2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
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