2024年10月13日「聞いて守る者は幸いです」黙示録1:1〜3
序−問題によって苦しみ、神様は見捨てておられるのか、神様はいないのだろうかと試みられることがあります。そんなに真面目に御言葉に生きたら損でしょうと誘惑されたりもします。実際に、AD90年頃迫害で苦しみ、試みを受けていた聖徒たちに送られた手紙から学びます。
T−苦しんでいた聖徒たちへの啓示−
当時ローマ帝国は、ドミティアヌス皇帝の時代でした。彼は、皇帝となるのに30年も待たされただけに、絶対権力へ向けて野望を燃やしました。自分を神として崇めるように求めました。10月を自分の名前ミティアヌスと呼ぶように強制するほどでした。恐怖政治を行い、皇帝崇拝を強要して、従わない民を弾圧しました。小アジアで苦しんでいた聖徒たちを支えていた使徒ヨハネも捕らえられて、小アジアの南西海岸から56km離れた小島パトモス島に流刑とされました。すでに他の使徒たちは召されており、最後に残っていたのが老齢のヨハネでした。どんな思いだったのでしょうか。
そこで皇帝崇拝と圧制に苦しんでいた小アジアの聖徒たちのために祈っていたヨハネに神様から示されたのが、この黙示録です。1〜3節。1節に「黙示」アポカリュプシスとは、隠れたものを明らかにするという意味で、啓示とも訳されます。黙示という漢字から来るイメージとは違います。書名が「ヨハネの黙示録」となっていますが、「イエス・キリストの黙示」と記されえています。神様がイエス様に与えられたものであり、イエス様から流刑になっていたヨハネに教えられた啓示です。
当時は、ローマ皇帝の絶対的権力が帝国を支配して時代です。皇帝の権力に従わなければ生き残れない時代でした。皇帝を神とするか、キリストを神とするかを聖徒たちは迫られていました。現代社会の状況はどうでしょうか。実際に私たちを支配しているのは、何ですか。イエス様が主であり王であると告白していますが、イエス様の統治権を実感して生きていますか。
当時は聖徒たちにとって大変厳しい迫害の時代でしたが、現代はそうではないにしても、霊的な危機の中に生きているのは同じかもしれません。どちらも、頻繁に心配と不安があります。家庭の危機や職場の問題もあります。信仰的な誘惑や試みも変わらずにあります。
当時、イエス様を王と告白すれば、殺されてしまうかもしれない状況で、悩み苦しむ聖徒たちは、「本当に主よ、あなたが世の支配者なのですか」と問わずにいられなかったでしょう。「イエス様を信じていて大丈夫なのですか」と訪ねたことでしょう。そのような疑問の前に、聖徒たちは揺れ動いたに違いありません。
実際、この世を誰が統治しているのかということで悩むのは、1世紀の聖徒たちだけではありません。この21世紀の時代に生きるクリスチャンも避けることのできない疑問です。問題は次々と起こり、あれもこれもうまく行かないと、「本当に神様は世の支配者なのですか、神様を信じていて良いのですか」と揺れ動くからです。その疑問に答えたのが、この黙示録です。神様は、天から地を見させ、歴史の週末から現在を見させ、その見たことをヨハネに証言させました。2節。
やがて権力者の支配が崩壊するのを見せます。イエス・キリストの究極的勝利を見せます。それで、ローマ帝国が真の支配者ではないことを証ししています。ですから、最後の勝利の日まで揺れないで、信仰に耐えるように、今の弱さに倒されないようにと勧めているのです。これがヨハネの伝えてくれるイエス様の啓示です。信仰は、天を通して地を見る目、目に見えない神様の支配を見る目、終末論的な視点で現在を見る目を持つことです。目の前の現実に振り回されることなく、神様の前で現実を生き抜くことが信仰の力です。黙示録を通して、そのような信仰の力を得ることを願います。
迫害という激しい嵐が出合った教会という小さな船が転覆しそうになるという状況が、黙示録が記された当時の状況でした。どんなに激しい嵐でも、救い主イエス様が私たちの王として守ってくださるから大丈夫だと、ヨハネは迫害で倒れそうになっている教会の背後に立つ勝利者イエス様を見ました。ヨハネ16:33, ローマ8:35〜37。イエス様は以前おられただけでなく、今もおられ、将来にも来られる絶対的な王です。
マルコ4:35〜41には、イエス様が嵐を制する話があります。イエス様と弟子たちがガリラヤ湖で舟に乗って向こう岸に向かう時、疲れたイエス様は眠っておられました。その時、嵐が突然吹き荒れて、舟は大きく揺れ動いて沈みそうになり、弟子たちは恐れましたが、イエス様が助けてくださいました。迫害という嵐に揺れ動かされていたのが、当時の教会でした。世にある限り嵐は吹き荒れます。私たちは揺れ動きますが、イエス様が同乗しておられます。
U−御言葉を聞いて、守る者たちは、幸いである−3
ですから、ここでも、迫害で揺れ動く聖徒たちに祝福が語られています。3節。どんな人が祝福を受けるのですか。幸いだと言っていますか。御言葉を読む者と、それを聞く者と、それを守る者です。
まず、御言葉を読む者は幸いです。3節。「この預言のことばを朗読する者」と言っています。「朗読」と訳されているように、会堂で公に読まれていました。申命記31:11。朗読されて、説明され、解き明かされていました。ネヘミヤ8:8〜9。イエス様も会堂でそうされました。ルカ4:16。御言葉は礼拝において、語られなければなりません。
それだけでなく、御言葉を一人ひとりが読まなければなりません。申命記17:19。「自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない」と言っています。「手ものに置き」ということは、いつでも読めるということです。すべてのことについて御言葉が基盤となり、どう対応すべきか指針を教えてくれるからです。一生読み続けるものだと教えています。御言葉を読むことによって人となりが形成され、私たちが神の民として成長するからです。それによって幸いな人となります。
御言葉は、家族で読むことも勧められています。申命記6:6〜7。家庭で聖書が読まれることが大切です。神の民は、その伝統のゆえに信仰が形成されています。昔日本で漢籍などを小さい頃から読み聞かせたように、ユダヤの民も家庭で御言葉が読まれました。それによって成長し、祝福を得、幸いな家庭となります。どこにあっても、どんな状況下でも生き抜くことができました。聖書から知恵を得ることができるからです。箴言1:7。
次に、御言葉を聞く者が幸いだと言います。3節。神の民は、聖書が会堂で読まれ、人々は熱心に聞きました。聖書では、繰り返しみことば聞くように命じています。エレミヤ10:1。神様の臨在を覚える礼拝において、生きて働くものとして御言葉を聞きます。確かに人生において御言葉が生きて働くことになります。
御言葉を聞くことは大切です。なぜなら、信仰は聞くことから始まるからです。ローマ10:17。イエス様の十字架福音を聞いて、心を刺されて、悔い改め、信じる告白をし、救われます。御言葉を聞いてイエス様を信じるなら、「永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っているのです」ヨハネ5:24。
御言葉を聞くことは、信じる時だけではありません。御言葉を聞くことをやめてしまったら、どうなるのでしょうか。聖書の教えから迷い出ることになります。継続して繰り返し御言葉を聞くことが大切です。御言葉は、たましいの糧です。耳を傾けて聞かなければなりません。箴言2:2。御言葉を聞く者が神の民となります。出19:5。御言葉を聞く者は、神様の愛と祝福を受けることになります。申命記7:12〜13。
御言葉を聞いて行くなら、子孫も祝福を受けると約束されています。申命記12:28。神様が、私たちが御言葉を聞くことを喜んでくださいます。Tサムエル5:22。反対に御言葉を聞かない者は、裁きにあい、祝福も奪われるでしょう。Tサムエル12:15,マラキ2:2。
そして、御言葉を守る者に幸いがあると言います。3節。御言葉を聞いて守る者には祝福が約束されています。箴言8:32。イエスも、「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです」と言われました。ルカ11:28。御言葉を聞くだけで終わるという人たちがいたからなのでしょう。喜んで聞いたとしても、御言葉を行うことを考えません。ヤコブ2:17では、行いがなければ、信仰は死んだものだとさえ言われています。
確かに御言葉を実行することが難しい場合もあるでしょう。でも、難しいと自分が判断するから守らないというのは、神様を無視していることになりませんか。守るように言われた神様の御心を思い、御言葉に生きるように願うことが大切でしょう。「時が近づいている」とは、イエス様の再臨のことです。イエス様が今にも来られると思えば、迫害の中でも真剣に御言葉を守って生きるのではないでしょうか。霊的緊迫感を持ちましょう。
迫害の中にあった聖徒たちが、御言葉によって守られ、御言葉生きるようにと、ヨハネは黙示録を書き送りました。黙示録を受け取った聖徒たちは、知ってびっくりしたでしょう。御言葉を聞いて悔い改め、信仰が回復したことでしょう。どんな中にあろうとも、神の御言葉が民を守り、導いてくれます。ですから、私たちも、どんな中に置かれていても、御言葉を読み、聞き、守って生きるのです。ルカ11:28。
黙示録1:1 イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。
1:2 ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。
1:3 この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。
ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
申命記7:19 自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。
申命記6:6 私が今日あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心にとどめなさい。
6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。
ヨハネ5:24 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っているのです。
ルカ11:28 しかし、イエスは言われた。「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」
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