2024年10月20日「イエス・キリストが希望です」黙示録1:4〜8
序−人が希望を見出せないことが最も厳しい状況です。でも、状況が厳しいから絶望するというのではなく、希望を持つことができないから絶望するのです。今日の箇所は、迫害の中で苦しんでいた小アジアの聖徒たちに希望を与えています。私たちも、ここから希望を与えられたいのです。
T−苦悩する差出人と受取人−4
この手紙の差出人は使徒ヨハネ、受取人は小アジアにある七つの教会です。4節前半。当時、ドミティアヌス皇帝が皇帝崇拝を帝国内に命じて、参拝を強制しました。しかし、皇帝崇拝に最後まで抵抗したのが、クリスチャンでした。エペソに皇帝神殿を建てさせましたが、その小アジア地域のクリスチャンが参拝に来ないのです。なぜ、迫害に耐えられるのか調べてみたら、ヨハネがいたからでした。ヨハネを捕まえて殺しても、殉教こそ栄光に与ると言うので、バトモスという厳しい小島に流刑としました。こうして、聖徒たちからヨハネを引き離したのです。
初代教会において、多くの聖徒たちは、捕らえられ、拷問を受け、殺されました。生き残った者たちは、投獄されたり、ヨハネのように流刑にされたり、カタコンベのような地下墳墓に隠れなければなりませんでした。多くの聖徒たちは、恐れ苦しみ、喪失感や絶望に打ちひしがれました。迫害の中でどこに希望を見出すことができるのでしょうか。現代の私たちは、迫害はないものの、様々な試みや誘惑があります。問題による痛みや苦しみ、悩みがあります。私たちにも希望が必要です。
ヨハネを失い、絶望感に打ちひしがれていた小アジアの七つの教会へ聖霊に導かれてヨハネが手紙を書き送りました。悪の勢力に対して最終的に勝利を収めることを確信させ、厳しい現実でも、落胆せずに、希望を失わずに耐えるように勧めました。私たちにも勧めています。
これまでイザヤ書で学んだように、神様の祝福を受ける秘訣は、御言葉を聞いて、主に拠り頼むことでした。先週、この啓示を読んで聞いて守る時、祝福があると学びました。絶望の時代を生きていた聖徒たちに確かな未来があるということは、厳しい現実を克服できる希望を与えます。このイエス・キリストの啓示は、時代を越えて世に生きるすべてのクリスチャンのための恵みの贈り物であり、信仰で生き、神の慰めと希望を必要とするすべての聖徒たちのためです。
イエス様が十字架にかけられた時、他の弟子たちはみな逃げましたが、十字架の下にいたヨハネにイエス様が母マリアのことを頼みました。ヨハネ19:25〜27。ヨハネの福音書では、「イエス様の愛された弟子」と呼ばれています。ヨハネ21:23。確かにそうだったのでしょう。ですから、危険が迫ったらイエス様の母を一緒に連れて逃げなければなりません。他の使徒たちのように殉教することはできず、彼女の世話をしなければなりませんでした。そうして、ヨハネは、十二弟子の中で最後まで生き残って、長く教会を世話し続けた人となりました。栄光だったけれども、労苦も多かったのです。私たちはそんなヨハネについて何を思うでしょうか。
島流しにされたヨハネは、そこで教会のこと聖徒たちのことを心配しました。激しい迫害ために、聖徒たちが倒れ、教会が力を失っていく様子を聞いて、心痛みました。そんな場所に流刑になっていたので、教会を直接助けることができません。どうにかしてあげたいのに何もできないという切ない思いで懸命に祈っていたヨハネに、イエス・キリストの啓示が告げられました。懸命に祈る私たちにも与えられたのが黙示録です。
U−イエス様に救われたから−4〜6
まず、4〜5節前半。三位一体の神様の恵みと平和の祝福を祈りながら、神様がどんな方なのかを明らかにしています。父なる神様は「今おられ、昔おられ、やがて来られる方」と言い、聖霊なる神は「その御座の前におられる七つの御霊」と表現し、神の御子エス・キリストについては、「確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリスト」と述べています。この三位一体の神様が、私たちに恵みと平和をくださいます。三位一体の神様ということは、神様のすべての働きがなされたということを教えています。大いに励まされたでしょう。
そして、特に救い主イエス・キリストについて語っています。5〜6節。イエス様について三つのことが表現されています。イエス様は、「確かな証人」です。イエス様は、ご自分の栄光を追求せず、ただ御父の御心に従い、神の愛と救いを証ししました。ピリピ2:6〜8。主の地上の人生と死は、天の神様の御心をこの地に完全に知らせるためのものでした。それは、イエス様の弟子すべてが見習うべきことです。
また、「死者の中から最初に生まれた方」です。これは、福音の核心となるイエス様の十字架と復活の出来事を思い出させます。人は自分で自分を救うことができません。罪の結果、死ぬ者だからです。結局は、誰かが私たちに代わって罪の値を支払うしかなかったのです。「その血によって私たちを罪から解き放ち」と言っているように、イエス様の血は、罪人をその呪いと死から解放するために払われた贖いの代価でした。マタイ20:28。イエス様の十字架は、身代わりの犠牲でした。Uコリント5:21。このイエス様の救いによって、信じた者は死に打ち勝つ者とされました。Tコリント15:54〜57。
そして、その行為の動機は「私たちを愛してくださった」からです。ヨハネは、使徒たちの中で、自分はイエス様に愛された者だと思っていました。雷の子とイエス様から呼ばれるほど、感情量の多かったヨハネは、イエス様の愛を他の弟子たちより感じていたのです。ヨハネの記した福音書、手紙には、「愛」がふんだんに出て来ます。小アジアの聖徒たちにも、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」というイエス様の言葉を繰り返し伝えたことでしょう。ヨハネ13:34。
最後は「地の王の支配者」です。ローマ皇帝が主であり最強の王あると考えられていた時代に、イエス様こそが真の王であることを示しています。ドミティアヌス皇帝の迫害に苦しんでいた聖徒たちにとって、大きな励ましとなりました。黙示録を読んだ聖徒たちは、イエス様の十字架による救いによって、すでに死に勝利しているので、聖徒たちは迫害にも、皇帝の強権にも打ち勝つことができると知って心を強くされ、迫害の中で希望を持って生き抜くことができました。Tヨハネ5:4〜5。
また、6節の「神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった」とは、私たちの中で神様の御心が成し遂げられる、私たちの中に神様の完全な統治が成されるという意味です。私たちの中で神様の御心が成し遂げられているでしょうか。肉の欲や自分中心の考え、こだわりではなく、神様の御言葉が私たちの中心になることを切に願います。また、私たちが祭司とされるということは、私たちが神様の前に堂々と進むことができるようになったということです。大きな励まし、希望となりました。
マラキ1:2では、神様が「わたしはあなたがたを愛している」と言われると、神の民は「どのように愛してくださったのですか」と反問しています。私たちも、時には疑うことがあるでしょう。神様の愛の証拠はイエス様の十字架です。疑いが生じた時、イエス様の十字架を見ましょう。ローマ8:32。
V−再臨の主を待ち望む−7〜8
迫害で苦しむ聖徒たちに希望を与えるのは、イエス様が救いのために来られた初臨だけでなく、イエス様が再び来られる再臨も希望を与えてくれます。7〜8節。復活されたイエス様が雲に乗って天に戻られた時、「同じ有様で、またおいでになります」と言われていました。使徒1:9。ただ、「雲とともに来られる」というのは、栄光の姿で来るということです。マタイ16:27。すべての人が見て「イエス様が来られた」と認めるしかない姿で来られるということです。イエス様の再臨は、希望を語っています。
イエス様の再臨の時、悲しむ者がいます。自分の滅亡に注目せず、神様がくださる罪からの回復も望まかったからです。イエス様が再び来られるということは、救いの扉が閉まるということだからです。でも、迫害の中で苦しむ聖徒たちにとって、イエス様が再び来られて世を裁かれるというのは、大きな希望でした。ローマ皇帝も裁かれて、聖徒たちは守られるからです。「来られる」という動詞は現在形です。当時のクリスチャンにとって、今すぐに来られるかもしれない現在形の信仰だったのです。
イエス様は確かに来られます。この御言葉は今も有効です。現代の私たちも、イエス様の再臨に大きな関心を持たなければなりません。
最後に、歴史を主管される神様を「今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者」と紹介し、「アルファであり、オメガである」初めであり、終わりであると言っています。8節。この方が私たちの神なのだと確認し、励まされ希望を与えられます。アーメン、アーメンと唱和します。6,7節。
現代も、多くの人々が希望を失い、絶望の呻き声をあげています。人々に与えられた希望は、救い主イエス・キリストです。黙示録は、苦しみの中を生きる人々に向かって、伝えなければならず、伝えるべき希望の実体が誰であるかを伝えています。まず、救われた私たちがイエス様の救いに生きることです。私たち救われた者に与えられた希望をもって生きてこそ、この希望を人々に伝えることができるようになります。希望は、環境の問題ではなく、視点の問題です。この手紙を受け取った聖徒たちは、迫害の中、希望を持って生き抜くことができました。Tヨハネ5:4〜5。
黙示録1:4 ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
1:5 また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
1:6 また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力とが世々限りなくあるように。アーメン。
1:7 見よ、その方は、雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は、彼のゆえ胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。
1:8 神である主、今おられ、昔おられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」
ヨハネ13:34 わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
Uコリント5:21 神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。
Tコリント15:54 しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。
15:55 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
15:56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
15:57 しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
Tヨハネ5:4 神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
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