2024年10月27日「イエス様の姿に圧倒される」黙示録1:9〜20

序−今日多くの人々が閉塞感の中で苦しみ、もがいています。しかし、心理学では、閉塞感の原因を誤解しているのではという視点を持つことが、閉塞感から抜け出す一つの方法であると教えています。流刑地の洞窟に閉じ込められていたヨハネは、閉塞感の中でイエス様の幻を見せられました。

T−閉塞感と懐疑心の中で幻を−9〜12
 皇帝崇拝強要という迫害に遭っていた小アジアの教会のクリスチャンは、周りからの告発も受けていました。誰を信じればいいのか分からない不信と苦痛に嘆いていました。社会的な活動も経済的な活動もできず、隠れて住まわなければなりませんでした。使徒ヨハネもいません。聖徒たちは、まったくの閉塞感の中にいました。私たちも、失敗したり、責められたり、望みが絶たれたり、苦しい状況が続いたりすると、不安と失意で閉塞感に囚われることがあるでしょう。
 使徒たちの中で一人残されていたヨハネも、流刑地の洞窟に閉じ込められて希望を失い、文字通り閉塞感の中にいました。9節。なぜ信仰に生きる者に痛みと苦難が来るのか、神を求める者に試練を経験させるのかと疑いと不安に覆われました。それでも、いやだからこそ主に祈りました。
 そんな閉塞感の中でパトモス島の洞窟で祈っていたヨハネに、イエス様の幻が示されました。10〜11節。ヨハネに大きなインパクトを与えました。「主の日に」というように、イエス様の復活の記念である主の日に日曜日、御霊によって「ラッパの音のような大きな声を聞いた」というのです。と言っても、ヨハネ以外は聞こえなかったのでしょう。ヨハネ耳にだけ響くような声が聞こえたのです。私たちも主の日に礼拝をささげている時に御言葉を聞いて、御霊の導きを受けるでしょう。
 なぜ主の日と言うのでしょう。イエス様の復活を記念して、日曜日を安息の日として礼拝をささげるようになりました。マタイ28:1,使徒20:7。私たちも、主の日、主日礼拝と言いながら、どれほどイエス様の復活を覚えて、礼拝をささげているでしょうか。
 その声は、「ヨハネが幻で見たことを巻物に記して、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィヤ、ラオデキアという七つの教会に幻の内容を書き送る」ことでした。七つの教会は、地図を見ると、ちょうど時計の針の動きのように右に弧を描くような順序になっています。それらの教会は、ヨハネが牧会していたエペソ教会をはじめ、励ましていた教会です。ですから、この黙示録の目的は、苦難の中でも希望を捨てずに呻いていた聖徒たちを励ますためでした。七つという数は、すべての教会も含んでいるということです。
 閉塞感の中で、幻の中で御言葉を聞いたヨハネ自身が、まず励まされたことでしょう。ヨハネは、自分自身を「イエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者」と紹介しています。9節。幻のイエス様を見て励まされたヨハネは、自分が受けている苦難を信仰でもって受け止め、神の国の前進のために働いていることを覚え、希望をもって忍耐するようになりました。閉塞感は、流刑という状況のせいではなかったのです。私たちも、「イエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかる者」となりたいと願います。

U−幻のイエス様の驚くべき姿−13〜16
 幻を通してヨハネが見たことが、13節以下に記されてあります。ここで、問題があります。手紙を小アジアの教会へ書き送ることが許されても、ローマが滅びるとか皇帝を裁くとかは書けません。検閲にひっかかって、手紙を取り上げられないように、比喩的に書かれています。そのために読んで難しく感じるのですが、聖書を読んでいた当時の人は理解できたのでしょう。それも、インパクトを受けながらです。
 一つ一つ見ていきましょう。まず13節。「私に語りかける声を見ようとして振り向くと、七つの金の燭台が見えた」とあります。七つの燭台とは、七つの教会の象徴です。20節。「その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた」というのですが、「人の子」とは、もちろんイエス様のことです。マタイ16:13。イエス様に愛されたヨハネは、いつもイエス様とともにいました。イエス様の言動をよく見ていました。幻の中でヨハネの前に現れたイエス様は、救い主として世の来られた時の姿ではありません。兵士たちに鞭打たれ、十字架にかけられた苦難のしもべの姿ではありません。復活して天に昇られた栄光の姿でした。
 その御姿をヨハネが説明しています。12節「足まで垂れた衣」とは、大祭司の服です。出28:4。イエス様が大祭司として来られ、人の罪を担当してくださいました。ヘブル3:1。「胸に金の帯を締めていた」というのは、王の礼服です。ダニエル10:5。ローマ皇帝ではなく、イエス様が真の王的権威を持っておられることを示しています。14節の「その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く」とは、イエス様が神様の栄光を持つ方としての聖さを象徴し、「その目は燃える炎のようであった」とは、イエス様が深いところまで洞察する力がある方であることを象徴しています。
 13節の「その燭台の真ん中に人の子が見えた」ということは、七つの教会とともにいてくださるということです。聖徒たちにとって、大きな励ましです。私たちは、苦難のイエス様のイメージが強いでしょう。復活されて昇天されたイエス様の姿を思うことが必要です。
 15節の「その足は、炉で精錬されて光り輝く真鍮のようであり」とは、敵を倒し踏みつけるイエス様の力を示しています。ダニエル10:6。「その声は大水のとどろきのようであった」とは、権威と威厳で裁きを宣言し、罪人に悔い改めを促す声です。エゼキエル43:2。16節のイエス様が右手で七つの星を握っておられた姿は、イエス様の救いによって生まれた共同体である教会を守られることを示しています。「口からは鋭い両刃の剣が出ていて」とは、イエス様が力ある御言葉の宣言することを示しています。イザヤ49:2,ヘブル4:12。「顔は強く照り輝く太陽のようであった」とは、イエス様の栄光と力の光を示しています。
 復活された主は、圧倒的な威厳と力を持った裁き主の姿であり、苦難の中にある聖徒たちの内に住まわれる支配者なのです。聖徒たちは、苦難の中にある教会をイエス様がこのような姿で守ってくださることを知って、どれほど励まされたことでしょうか。苦難に直面する時、すべてを裁かれ守られるイエス様を信じ、圧倒的な威厳と力を持って私たちを守ってくださる栄光のイエス様を覚えましょう。
 
V−最後まで信じ続け、信頼し続ける−17〜20
 幻の中で圧倒的な威厳と力を持った栄光のイエス様を見たヨハネは、その姿に圧倒されて倒れて、死んだようになりました。17節。それは、閉塞感の中で、疑い、不安になり、希望を失いかけていた自分がどれほど愚かだったか、罪深い者であるかを悟ったからです。ヨハネは、その自覚によって大きな衝撃を受けたのです。畏れが生じて衝撃を受け、死んだように倒れたのでした。ヨハネは、小アジアの教会と聖徒たちが迫害のために苦しんでいることについて心配し、神様について懐疑的になっていました。どうして神様は、このままにされておられるのかと疑っていました。私たちは、どうですか。試みを受けてイエス様の救いについて疑ったり、問題によって希望を失いそうになったりしませんでしたか。
 ヨハネは、いつもイエス様と一緒にいました。優しく慰めに満ちたイエス様、鞭打たれ、十字架にかけられた苦難のイエス様が、ヨハネのイエス様のイメージでした。ですから、幻の中で復活されて昇天されたイエス様の圧倒的な姿を見て、イエス様が誰も抵抗できない権威と御力で救いの歴史を責任をもって成し遂げられておられることを知って、大きな衝撃を受けたのです。私たちのイエス様のイメージはどうでしたか。この復活されたイエス様の圧倒的な姿を心に刻みましょう。
 この時、イエス様はヨハネの肩に手を置いて「恐れることはない」と絶対的な権威を示して励ましてくださいました。17〜18節。ああ、やっぱりイエス様でした。イエス様に出会った者は、イエス様がどんな方なのかを知り、それに対して自分がどんな存在なのかを知るようになります。私たちも、そうして自分の罪を知って悔い改め、イエス様の十字架と復活を信じて、救われました。イエス様の救いは確かなことです。
 イエス様は、最後にヨハネの働きを教えてくださいました。19節。見たこと、今あること、この後に起ころうとしていることを書き記するように言いました。すでに11節でも命じられていました。主の救いの歴史の観点から啓示を記録するように命じました。ヨハネ一人だけではなく、七つの教会の聖徒たちに神様の救いのご計画を知らせるのです。そこに黙示録の目的があります。ダニエル10:9〜12。
 当時の状況は、主の教会と聖徒たちが迫害の中で苦しみ、神様を疑い、希望を失いかけていました。主の救いの働きが失敗に終わるかのような考えを持たせる状況でした。しかし、聖徒たちは、この黙示録によって希望を失うことのなく、忍耐しました。ヨハネの流刑の1年半後、ドミティアヌス皇帝は側近によって暗殺され、その業績は抹消されたため、皇帝崇拝も撤廃され、ヨハネも釈放されました。御言葉を学んで、イエス様から励ましを受けた私たちも、閉塞感から抜け出し、他の聖徒たちを励まし、人々に救い主イエス様を伝えていくように願います。ルカ22:32。



黙示録1:9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であり、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
1:10 私は、主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
1:11 その声はこう言った。「あなたの見たことを巻物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィヤ、ラオデキアに送りなさい。」
1:12 私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
1:13 また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた、
1:14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
1:15 その足は、炉で精錬されて光り輝く真鍮のようであり、その声は大水のとどろきのようであった。
1:16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
1:17この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れこんだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、
1:18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世よ限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。
1:19 それゆえ、あなたの見たこと、今あること、この後に起ころうとしていることを書き記せ。
1:20 あなたがわたしの右の手に見た七つの星と、七つの金の燭台の、秘められた意味について、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。



ダニエル10:5 私が目を上げた。見ると、そこにひとりの人がいて、亜麻布の衣をまとい、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
10:6 そのからだは緑柱石のようで、その顔はいなずまのよう、目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがき上げた青銅のようで、彼の語る声は群集の声のようであった。

ダニエル10:9 私は彼の語る声を聞いた。彼の語る声を聞きながら、私は顔をふせて地に倒れ、深い眠りに陥った。
10:10 ちょうどそのとき、一つの手が私に触れて、膝と手のひらをついていた私をゆさぶった。
10:11 それから彼は私に言った。「特別に愛されている人ダニエルよ、私が今から語ることばをよく理解せよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼がこのことばを私に語った間に、私は震えながら立ち上がった。
10:12 彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて、悟りを得ようとし、自分の神の前で自らを戒めようとしたその最初の日から、あなたのことばは聞かれている。私が来たのは、あなたのことばのためだ。

ルカ22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

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