2024年11月3日「初めの愛から離れ」黙示録2:1〜7

序−霊的スランプという言葉があります。懸命に奉仕をしている、世での生活もよくやっている、結構頑張っている、でも喜びがない、うまく行かないということがあります。どうしてなのでしょうか。エペソ教会へ宛てられた手紙から学びます。

T−労苦と忍耐を知っている−1〜3,6
 パトモス島に流刑にされていた使徒ヨハネが幻を見て、迫害によって苦しんでいた小アジアの教会に送られたのが、この黙示録です。特に、2〜3章は、小アジアの七つの教会について書かれています。その中には、称賛も叱責もあります。小アジアの七つの教会と言っても、私たちも含めてすべての教会に宛てられています。私たちに宛てて書かれたとして学びます。最初はエペソの教会です。1節。「七つの星を握る方、七つの金の燭台の間を歩く方」とは、イエス様のことです。イエス様が教会を見守っていてくださるということです。感謝なことです。
 最初は、称賛です。2〜3節。エペソは、その地域の中心的な都市で、人口も多く、経済的にも繁栄した港町でした。そして、小アジアで代表的な教会でした。かつて、使徒パウロがそこで2年以上も滞在して、聖書を教えた場所です。使徒19:9〜10。涙で牧会したところです。使徒20:31。ツラノという講堂で、御言葉の養育をして、信仰のリバイバルが起こった所でした。さらに、パトモス島に流される前、ヨハネが牧会していたと言われる教会で、イエス様の母マリアも出席していたそうです。そういうことから、エペソ教会の聖徒たちも自分たち誇りとしていたようです。
 称賛の中味を見てみましょう。イエス様は、「あなたの行い、あなたの労苦と忍耐を知っている」と言われました。2節。素晴らしいですね。この教会は、パウロを通して御言葉の養育を受け、霊的に成長し、生活の様子も変化しました。主のための労苦も惜しみませんでした。パウロや伝道者の世話をしました。聖徒たちはよく教会に仕えました。そして、ドミティアヌス皇帝の皇帝崇拝を拒否し、迫害に耐えました。
 特にエペソ教会が称賛されていることは、「偽り者だと見抜い」て、偽使徒や異端の侵入を防いだということです。相当頑張りました。さらに6節にも、ニコライ派という偽り者を防いだことが称賛されています。早くから見抜いて、先延ばしにしないで対処したことがうかがえます。それだけ、信仰的にも、教理的にもしっかりしていた教会だったということです。
 一般的に人は、称賛するよりも、責めることを先にしがちです。否定的なことに目が行き、批判だけしてしまうことも多いです。しかし、聖書では、責めるよりも褒めるこが優先されています。パウロの手紙を見ても、叱責する内容だとしても、まずは称賛から書き始めています。イエス様は、エペソ教会に対して、まず称賛をしています。
 叱責や批判を先にすれば、人の心を閉じさせてしまうでしょう。人は耳を閉じて聞かないようにします。 しかし、その順序だけを変えても、おおいに変化が生じます。賞賛を先にすれば、心が開かれ、聞きたい心を持たせます。イエス様もパウロもそうしました。私たちも、この聖書の原理を身に付けておくならば、良い実を見ることができるでしょう。

U−初めの愛から離れてしまった−4
 エペソ教会は、イエス様の御名のために耐え忍び、御言葉でもって真理を守り、偽り者を退けた素晴らしい教会です。しかし、「非難すべきことがある」というのです。そんなに称賛される教会に何か問題があったのでしょうか。4節。「初めの愛から離れてしまった」とは何でしょう。イエス様の十字架による救いを信じて、信仰生活を始めた頃のイエス様を愛する熱い思い、感謝にあふれる思いが冷えてしまったということです。
 誰でも、イエス様を信じて間もない頃は、感謝と喜びがあり、救い主イエス様を伝えたい情熱もあります。生まれ変わった思いです。Uコリント5:17。ところが、やがて時間が過ぎて行くと、その熱意が冷め、信仰生活も形式的になってしまうことがあります。エペソ教会も、パウロから御言葉の養育を受け、信仰が復興した時には、イエス様に対する愛が熱かったのです。けれども、時が経つにつれて、次第に冷めて、霊的スランプに陥ったようです。
 御言葉にしっかり立って、主を喜ばせようとして悪い者や偽り者との戦いで疲れてしまったせいもあるかもしれません。それよりも、聖徒たちが自分たちの働きや頑張りを誇りにしていたことが原因のようです。自分を誇る頑張りで良いことをしていても、主の栄光のためにでなく自分の栄光のためとなれば、その行為に愛はありません。人の称賛を目当てにすれば、だんだんと歪んで来ます。罪も入って来ます。
 人は、他人の称賛を求めるものです。誰かに褒められたいと願います。それは、悪いことではありません。しかし、動機や目的がそれだけとなると、歪んで来るのです。期待したような反応や称賛がなければ、不満や疲れが生じて来ます。何のためにやっているのか分からなくなります。霊的スランプに陥ります。信仰生活を自己満足のためにも、習慣的にしてもいけません。イエス様への感謝と愛のない忍耐はイライラするだけです。主への感謝と愛のない奉仕は、疲れるだけです。主への感謝と愛がなければ、何をやっても不満や恨み、疲れと消耗が残ります。
 クリスチャンが何かをする場合、主の愛に対する感謝の思いが動機となり、主の栄光をあらわしたいという願いが目的となります。すべてのことを主に対してするようにと言われます。コロサイ3:23。救われた感謝と主の愛に応えたいという思いで学び、働き、仕えます。たとえ称賛がなくても、そうすることができただけで感謝します。主の栄光をあらわせたと思うだけで喜びなのです。そうしていけば、人々も称賛もあるるでしょう。
 初めは、主の聖徒たちなのですから、主の愛への感謝で主の栄光をあらわしたいという思いでするでしょう。しかし、次第にその思いが薄れ、やがて自分が認められたいというということで事を行い、自分の描いた評価を期待しながら行うようになります。そこには、もうイエス様への感謝や愛が消えています。肉の思いや肉のプライドがそこにあります。

V−思い起こし、悔い改めて初めの行いを−5,7
 それでは、初めの愛を回復するには、どうしたらよいのでしょう。5節。「だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい」と言われています。イエス様への愛が冷め、信仰の情熱が冷めてしまうのには、理由がありました。まず、「どこから落ちたのか思い起こし」なさいと言われています。何が問題であり、どこから間違ったのか、なぜ愛が冷えてしまったのかを考えてみなさいというのです。ヘブル10:32。霊的スランプに陥っていると気付いたら、まずどこから落ちたのか思い起こしてみましょう。
 例えば、祈りをやめた時から愛が冷えてきます。祈りは神様との霊的な交わりですから、交わりがなければ愛は冷めてしまいます。聖書を読む習慣をやめた時から主への情熱が冷めたのかもしれません。御言葉を読み、黙想することを再開すれば、主への愛も回復するでしょう。主の導きを受け、信仰生活に喜びと感謝が戻ってきます。Tテサロニケ5:16〜18。賛美をしなくなって愛が冷えることもあります。賛美は、単なる歌ではありません。御言葉の宣言、祈りです。ワーシップは、賛美だけでなく、敬拝、礼拝という意味です。ですから、賛美は礼拝そのものです。
 また、人々にイエス様を伝えないために、初めの愛を失うこともあります。イエスを信じて恵みを受けたばかりの時、誰かに一生懸命イエス様を証したい情熱がありました。証しする心がなくなれば、情熱も冷めます。そして、肉の思いや罪の思いをそのままにしていれば、急速に愛が冷えてしまいます。やがて、信仰生活に問題が生じてくるようになります。
 どこから落ちたのかが分かったら、悔い改めなければなりません。ここで、「悔い改めて初めの行いをしなさい」と言っています。悔い改めは、誤りを認めることと方向を変える2つのことがあります。悔いただけで行いがないなら、悔い改めとは言いません。罪に対する後悔で終わってはなりません。生活の変化が伴う必要があります。ですから、初めの愛が冷えていたと悔いるだけでなく、初めの愛の行いをしなさいと強調されたのです。
 イエス様に会って悔い改めた取税人ザーカイは、財産の半分を貧しい人に施し、騙し取ったものは4倍にして返しますと宣言しました。ルカ19:8。お金を盗んで逃亡したオネシモが悔い改めで決断したことは、元の主人ピレモンの所に帰ることでした。ピレモン1:12。愛が冷えた人間関係にも、悔い改めて、初めの行いをすることが必要です。回復するようになります。
 イエス様は。エペソ教会が悔い改めなければ、燭台を取り除くと警告されました。5節。火が消えたら燭台は必要ありません。教会からイエス様への愛が消えれば、教会としてのアイデンティテーがなくなるからです。けれども、7節、御言葉に聞いて行うならば、天国で祝福を受けると約束されました。
 御言葉の分かち合いを通して信仰の情熱が回復し、福音の証しも信仰の情熱を再び燃やします。主の臨在を覚えて礼拝をささげることで主に対する愛が回復します。賛美する時に救いの恵みを体験し、祈る度に祈りの答えを経験し、御言葉を通して神様の御声を聞くことを願います。4〜5a節。



黙示録2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を握る方、七つの金の燭台の間を歩く方が言われる。―
2:2 「わたしは、あなたの行い、あなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪者たちに我慢がならず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちを試して、その偽り者だと見抜いたことも知っている。
2:3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れ果てることがなかった。
2:4 けれども、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 だから、どこから落ちたのか思い起こし、悔い改めて初めの行いをしなさい。そうせず、悔い改めないなら、わたしはあなたのところに行って、あなたの燭台をその場所から取り除く。
2:6 しかし、あなたにはこのことがある。あなたはニコライ派の人々の行いを憎んでいる。わたしもそれを憎んでいる。
2:7 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしはいのちの木から食べることを許す。それは神のパラダイスにある。』


Uコリント5:17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。


コロサイ3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。

Tテサロニケ5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

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