2024年11月10日「子どもは神からの賜物」詩篇127:1〜5
序−世の多くの人々が、自分が一生懸命働けば、いくらでもよく生きることができると考えています。自分が努力して子どもを育て、家庭を築けば、人生は幸福になるはずだと思っています。しかし、世の現実はそうではないことを示しています。働いて子どもを育て、家庭を築いていくのに、大事なことが抜けているからです。
T−子どもは主の賜物、胎の実は報酬−
まず聖書は、子どもは、神様から授かった賜物であり、胎の実は報酬だというだと教えています。3節。つまり、子どもは神様から預かったものだということです。日本で古来言われていることです。子どもは、神様からの最高の贈り物です。子どもが神様からの賜物、報酬だというなら、当然感謝しなければなりません。私たちは、「神様、私たちに子どもを与えてくださってありがとう」と感謝したでしょうか。子どもは神様がくださった命の賜物です。
ところが、世ではどうでしょう。子どもを自分のものと思っている人々がいます。自分の所有物であるかのように思っています。神様から預かったものなのに、なんて失礼な話でしょうか。神様からいただいた賜物である子どもを邪魔者扱いにしたり、お荷物に思ったりするのは愚かなことです。神様に似せて造られた子どもを、人が自分のものだとして、自分の思うように育ててよいのでしょうか。
神様が任せてくださった大切な命なのですから、最善を尽くして育てなければならないでしょう。ですから、聖書では、どういうことが言われていますか。子どもを蔑(さげす)んだり、軽く扱ったりしないようにと言っています。マタイ18:10。また、子どもを怒らせたり、粗末に扱ったりするなと言われています。エペソ6:4。粗末に扱ったり、蔑(ないがし)ろにしたりするのは、子どもが神様からの預かった賜物であるということを知らないからです。
神様からの賜物、預かりものだと思ったら、そのようにすることはできません。ちょっと考えてみましょう。神様は預けっぱなしでしょうか。そんなことはされないでしょう。私たちは、子どもが神様から授かった賜物であり、報酬であることを忘れてはなりません。神様から預かった責任を神様に果たさなければなりません。
U−親としての働き−
そんな子どもをどのように育てればよいのでしょう。世で教えている子育て法ですか。親の考えているやり方ですか。それにも良いところはあるでしょう。しかし、子どもが神様からの預かったものであるなら、任せてくださった神様の御旨に沿うように育てるのか良いと分かります。それは何でしょう。御言葉によって育てなければなりません。
クリスチャンも、世の中の子育てから強い影響を受けます。世の風潮にも流されてしまいます。悪いことばかりではありませんが、しばしば悪い影響を受けて、子どもも傷付き、親も疲弊してしまうことがあります。何かの事件の影に子どもの養育の問題が取りざたされることがしばしばあります。そうした危うさのある世の価値観ではなく、私たちの人生の基盤である聖書の価値観で養育するのです。
それでは、御言葉はいつから学びますか。日本では三つ子の魂百までもと言われています。現代社会では、人格教育というものがほとんどありません。そして、誤った社会の価値観や風潮からどんどん影響を受けながら育つようになります。親がその間違ったものに囚われて、育ててしまうことも多いです。
ですから、小さい頃から御言葉をしっかり教え、神様の人として整えられ、神様の働き人になるように養育しなければなりません。Uテモテ3:16〜17。テモテは、小さい頃から母と祖母の信仰教育を受けました。Uテモテ1:5。昔からユダヤ人も、3歳頃から子どもに聖書の教育をしたそうです。子ども時代のリンカーンは貧しく小学校も出られませんでしたが、母の残してくれた聖書を読み、その通り生きて有名な大統領になりました。偉大な出エジプトのモーセも、ほんの幼児の時だけ母の信仰養育を受けたのですが、生涯それを忘れず、エジプトの王宮でもその教えから離れませんでした。
現代の教育学の専門家は、子どもは3歳までの環境で土台ができあがり、人格も3歳頃から形成され始め、10歳頃までに基本的な部分が確立すると言っています。このような時期に親が信仰生活をよく教えれば、幼い子どもたちもそれを心に刻み、生涯神様に仕える人になると聖書は教えています。箴言22:6。
子どもたち幼い頃から御言葉で育ててください。家で聖書を読むようにしてください。教会学校に送りください。実を結ぶようになります。
しかし、教える親も子どもに教えるためには、自分自身も御言葉で生きるようにしなければなりません。申命記12:28。親自身が御言葉に養われてこそ、子どもを御言葉で育てることができます。なぜなら、子どもの初めのモデルは親だからです。Tコリント11:1。人生の基盤が形成される大事な時、親を見て育つからです。モデルになりたくない、モデルとするなと言っても無理な話です。子どもは無意識にそうしているのです。
そんな話を聞くと、もう遅いとがっかりしたりするかもしれません。でも、イエス様の弟子たちの御言葉による養育を思い出してください。大人になっても、御言葉によって養われれば、あのように変われるのです。整えられ、成長できるのです。イエス様は、私を見なさいと言いました。ヨハネ13:14。弟子たちもイエス様から倣いました。まず、親自身が御言葉によって整えられ、造り変えられることです。
V−主が家を建てるのでなければ−
では、子どもを御言葉で育て、家庭を築き上げなければどうなると言っていますか。世の人々も、子どもを育て、家庭を築き上げるために労苦しています。聖書は何と言っていますか。1〜2節。神様が家を建てないと、その働きはむなしいと言っています。どんなに労苦しても、神様が家を守ってくださらなければ、むなしいと言っています。三度も繰り返し、「むなしい」と言っています。それは、体験から出た証しだからです。
この詩篇127篇は、ダビデ王朝二代目ソロモン王の詩です。初代のダビデが築き上げたイスラエル王国を継承したソロモンは、さらに強大な権力と広い国土を手にして、栄華を誇りました。各国の王女を後宮に迎えました。王は、貿易、外交、防衛、芸術などあらゆることに優れていました。そのような王が書いた伝道者の書は、その冒頭から「むなしい」と繰り返しています。伝道1:2〜3,14。そして、伝道者の書の最後では、「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と結論付けています。伝道12:13。
有能な王ソロモンは、家をよく建てようととても労苦したはずです。家を守り、国を治め防衛するために、誰よりも苦労したことでしょう。神様からいただいた知恵と力を用いて国を治め、壮麗な神殿を立て、貿易港を作り、遠征もしました。多くの業績を残しました。しかし、ソロモンの王位を継いだ息子レハブアムは、愚かなために民心を読むことができず、すぐに国を分裂させてしまいます。その萌芽はソロモン時代です。
ダビデ、ソロモンと二代で築いて来た広い領土と強い国は、一瞬にして衰退し、すべての労苦はむなしくなりました。ソロモンは、神様から素晴らしい知恵を与えられていたのに、神様に頼りませんでした。神様を信頼しませんでした。自分の力で、自分の知恵で、自分の努力で自分の家庭と国を守ろうとしたのです。神様に聞き従うことを止めてしまい、外国から迎えた後宮が偶像をもたらし、ソロモンの信仰も失われてしまいました。神様のいない成功は長く続くことができませんでした。やがて、砂上の楼閣のように崩れてしまうことに気付きました。
それゆえ、ソロモンは証ししています。1〜2節。ソロモンの実感がこもった声が響いてくるようです。ですから、神様が家を建ててくださるのであれば、その家はしっかり建てることができます。神様が守ってくだされば、その家庭は守られます。神様に寄り頼んで、聞き従って労苦するならば、その労苦は報われ、その結果も残ります。神様に愛され、守られる幸いがあります。私たちも大いに慰められ、励まされます。
神様に信頼し、神様に聴き従う者に神様は何を与えてくださると言っていますか。業績や財産ですか。世での成功や賞賛ですか。いいえ、「主はその愛する者に眠りを与えてくださる」と教えています。不安になれば、よく眠ることができません。体が痛くても眠ることができません。つまり、神様がその愛する者に、平安と健康と幸いを与えてくださるということです。神様が守ってくださるから、平安に眠ることができます。
子どもは神様からの賜物、報酬です。ですから、子どもも家庭も、神様によって建てられるものです。それを忘れていると、自分の思うように産み育てようとしてしまいます。自分の思いや努力だけて家庭を築こうとします。それは、大変です。労苦してもむなしさも覚えるようになります。しかし、神様が家を建ててくださる、神様が子どもを守り導いてくださると分かれば、神様に信頼して育てることができ、労苦も報われます。何と感謝なことでしょう。詩篇127:1,3。
詩篇127:1 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。
127:2 あなたがたが早く起き、遅く休み、労苦の糧を食べたとしても、それはむなしい。実に、主はその愛する者に眠りを与えてくださる。
127:3 見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬。
127:4 若い時の子どもたちは、実に勇士の手にある矢のようだ。
127:5 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と論じるとき、恥を見ることがない。
マタイ18:10 あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。
エペソ6:4 父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
Uテモテ3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
Uテモテ1:5 私はあなたのうちにある、偽りのない信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスとあなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。
箴言22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。
申命記12:28 気をつけて、私が命じるこれらのすべてのことばに聞き従いなさい。それはあなたが、あなたの神、主の目にかなう良いことを行って、あなたも後の子孫も永久に幸せになるためである。
Tコリント11:1 私がキリストに倣うものであるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい。
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