2024年11月17日「死に至るまで忠実でありなさい」黙示録2:8〜11

序−旅行で津和野に行ったことがあります。風光明媚な人気の旅行先でしたが、明治元年に浦上で捕らえられたキリシタンが移され迫害を受けた地です。水攻めや三尺牢という拷問を受けても耐えました。現代のクリスチャンも、初代教会のような迫害はないものの、試練や問題によって悩み、苦しみ、信仰が揺さぶられることがあります。ですから、初代教会のクリスチャンが受けた迫害は、私たちに大切なことを教えてくれます。

T−迫害を受けているスミルナにある教会へ−8
 小アジアの七つの教会の二つ目の教会は、スミルナの教会です。スミルナはエーゲ海に面した町で、現在もイズミールという大きな港町となっています。紀元70年のユダヤ戦争によるエルサレム陥落後、この地に多くのユダヤ人が住むようになりました。スミルナのクリチャンは、皇帝崇拝を強要する者から迫害を受けただけでなく、ユダヤ人からも激しい迫害を受けました。9節。「苦難と貧しさ」の中にいた教会でした。
 スミルナ教会には、使徒ヨハネの教えを受けたポリカルポスという監督がいました。 156年にスミルナ地域にキリスト教迫害が始まると、地方総督のスタティウスは、ポリカルポスの友人であったので、何とか信仰を棄てさせ、助けようとするのですが、ポリカルポスは「私が86年間生きて来た中で、主は一度も私を裏切ったことがありませんでした。まして、私の主人であり、王であり、救い主である方をどうして私が裏切ることができますか、私はクリスチャンです」と拒否して、静かに刑を受けました。
 苦難の中に生きる聖徒たちは、「本当に主が世を統治されておられるのですか」と質問し、問題の連続で苦しむ時に「私の人生に主がともにおられるのだろうか」と疑問を持ち、非難を受け、痛みを受ける時「なぜ私を弁護されないですか。なぜ苦しみを取り去らないのですか」と叫ぶでしょう。
 しかし、そんな聖徒たちに、イエス様は「初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方」であると紹介されています。8節。七つの教会へのイエス様の紹介文がそれぞれ違っています。苦難と殉教を前にした聖徒たちにとって、主は歴史の主観者であり、死の征服者として紹介しています。「死んでよみがえられた方」とは、イエス様が私たちのすべての罪を負って十字架上で死なれ、三日目によみがえられたことです。ヨハネ3:16。クリスチャンなら誰でも知っていることですが、こうイエス様について紹介されることで、クリスチャンも復活の命に与っている、迫害を受けても勝利することができるということを思い出させているのです。
 迫害の中で聖徒たちがイエス様と一緒に苦しみ、イエス様と一緒に死ぬと、イエス様と一緒に栄光を受けることになります。すべての瞬間に、主は聖徒たちと共にいてくださいます。死んでよみがえられた方が自分たちの主であるので、恐れることはないということになります。初めからそのような信仰だったというより、迫害の中で、聖徒たちの信仰がそのようになっていったということです。

U−迫害に耐えた聖徒たち−9〜10
 スミルナでの迫害の中にあった聖徒たちを励ましておられます。9節。スミルナの迫害の特徴は、同胞であったユダヤ人が迫害に加わっていたということです。使徒パウロが伝道旅行の際にしばしばユダヤ人の攻撃と誹謗中傷を浴びたことを思わせます。スミルナには、多くのユダヤ人が住んでいました。選民意識に囚われていたユダヤ人は、クリスチャンを目の仇にして、迫害しました。妬んで嘲り、気に入らないと罵りました。このようなことは、現代でも、社会の中で多くあります。そして、ユダヤ人は、クリスチャンが皇帝崇拝に従わないと訴え、捕らえさせました。
 イエス様は、誹謗中傷を浴びて、訴えられていた聖徒たちに対して、「ののしられていることも、わたしは知っている」と言われました。9節。苦しんでいた聖徒たちにとって、どれほど慰めと励ましになったことでしょう。誹謗中傷に耐える力を与えられました。私たちも、嘲り、罵る人の声や顔を思うのでなく、「あなたがののしられていることも、わたしは知っているよ」というイエス様を思いましょう。
 そして、「苦難と貧しさを知っている」と言われます。迫害の中で財産を奪われ、仕事を奪われ、貧しくなったようです。経済の不安、生活の不安の中にあったでしょう。しかし、イエス様は、「あなたがたの貧しさを知っているよ」と言われるだけでなく、「だが、あなたは富んでいるのだ」と逆説的に言われました。9節。物質的には貧しかったけれども、霊的には豊かだということです。聖徒たちのように迫害に耐えていた信仰者は、天に多くの宝を積んでいることになります。
 迫害に加担するユダヤ人は、「ユダヤ人だと自称しているが実はサタンの会衆である」と言われています。9節。確かに、サタンは人や出来事を用いて、神の民を苦しめます。同胞ユダヤ人から苦しめられると葛藤するのでしょうが、実はサタンの手先になっているなら、彼らを憎むより、主に拠り頼んで自分の信仰を守ることに心が向きます。
 ですから、サタンの攻撃についてさらに言われます。10節。「悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている」というのです。聖徒たちを迫害する者がユダヤ人であろうとローマ人であろうと、その主体はサタンであったというのです。牢に入れて迫害するのを「試すために」と言っています。
 ですから、私たちが問題や苦しみにあうなら、どう受け止め、対応するかが、試されていることになります。その時、人を憎んだり怒ったりしますか。世の間違った方法を取りますか。それとも、主に拠り頼みますか。御言葉に聞き従いますか。よく信仰で考えて、信仰で行動しましょう。迫害や困難に耐えて、勝利できるか否かが、ここにかかっています。
 投獄されサタンの試みを受ける時、「十日の間、苦難にあう」と言われています。10節。迫害も苦しみも期間があるということです。苦しみ悩む時、ずっと続くかのように思うから望みがなくなります。十日経ったら、牢から釈放されるかもしれません。処刑されるかもしれません。結果はどうであれ、主は聖徒たちに「死に至るまで忠実である」ことを求められました。10節。牢獄から釈放されるなら、まだ使命があると命を尽くして忠実に生きるでしょう。もし迫害に死ぬなら、殉教する瞬間まで主に忠実に生き続けようとなります。何事も「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません」ローマ8:35〜36。
 主は私たちに対しても、「死に至るまで忠実でありなさい」と言われます。この主の言葉心に覚えて、信仰の生涯を生きたいと願います。いつ迫害にあうか、苦しみや患難にあうか分からないのですから。

V−勝利の約束−10〜11
 死に至るまで忠実であり続ける聖徒たちに対して、二つの祝福を約束されました。10〜11節。一つは、「いのちの冠を与える」ということです。この冠、ステファノスとは、王冠をあらわすデアデーマではなく、競技で勝利した人が受ける冠のことです。Uテモテ2:5.4:8。古代オリンピックでは、オリーブの枝で編んだ冠が勝利者に与えられました。長い間訓練し、忍耐し、苦労し、節制して勝利した人が受けた冠です。ヤコブ1:12。イエス様のために死に至るまで忠実だった結果、驚くべきことに、トルコの三大都市の一つであるスミルナには、殉教者ポリカルポスの名をとった記念教会が今も存在しています。勝利の冠のような存在です。
 主は、苦難がないから恐れてはならないと言っていたのではなく、苦難を受けるけれども恐れてはならないと言われました。10節。すでに迫害に耐えて、苦難と貧しさの中にあるのに、さらに投獄されて苦しみにあうというのです。なぜでしょう。火で精錬されることで純粋な金属となるように、激しい苦難はより純粋な聖徒を生み出します。苦難はクリチャンの信仰をより純粋にします。迫害や苦難の中で、それまで以上に主を愛するようになるからです。
 もう一つ、「勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない」と約束されています。11節。地上にある肉の体が死ぬことがあっても、これが第一の死ですが、死後裁きにあってたましいが滅びることはないという約束です。信じる者に約束された新しい命は、この世を去ると断絶するものではなく、天国へ続く命にあるという祝福です。
 風は火を消そうとしますが、迫害と苦しみの風は信仰の火を活発にします。試練は信仰の火を燃えさせます。主が試練の時期を知っておられるということは、試練の時期は、神様の御手の中にあるということです。問題や苦難は、信仰をより純粋にさせる機会となります。スミルナの聖徒たちが元々特別だったからではありません。迫害や苦しみを受けて信仰が試され、精錬されて純粋な信仰となり、主に拠り頼み、苦しみの中で御言葉を握って耐え忍び、勝利することができました。
 試練や苦難の時を、信仰が純粋にされる機会としてください。信仰で耐え忍び、勝利する機会としてください。問題や試練は、私たちを勝利者にします。最後まで忠実な聖徒、死に至るまで忠実な聖徒は、世で敗者ではありません。勝利者です。ヨハネ16:33。イエス様の復活によって天国に続く勝利の命を与えられた私たちは、死に至るまで忠実でありたいと切に願います。10節後半。



黙示録 2:8 また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり終わりである方、死んでよみがえられた方が、こう言われる―。
2:9 「わたしは、あなたの苦難と貧しさとを知っている。だが、あなたは富んでいるのだ。ユダヤ人だと自称しているが実はそうでない者たち、サタンの会衆である者たちから、ののしられていることも、わたしは知っている。
2:10 あなたが受けようとしている苦しみを、何も恐れることはない。見よ。悪魔は試すために、あなたがたのうちのだれかを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあう。死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与える。
2:11 耳のある者は、御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によって害を受けることはない。』


ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

ローマ8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

ヤコブ1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

ヨハネ16:33 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。

戻る