2024年11月27日「迫害より誘惑によって」黙示録2:12〜17
序−基盤と指針を失った現代社会、何でも受け入れ、迎合すべきだという風潮の中で、ますます混乱する社会となっています。そんな社会の中で、私たちクリチャンはどう考え、生きるのか、今日のペルガモンにある教会への手紙から学ぶことができます。
T−偶像と迫害の中で信仰を守った人々−12〜13
小アジア七つの教会の三つ目は、ペルガモン教会です。12節。ペルガモンという町は、前のエペソやスミルナのような港町、商業の町ではなく、小アジアのムシア地方にある都市で、属州アジア州の行政首都でした。この都市は、元々アッタロス朝ペルガモン王国として栄えていました。他の七つの教会同様、その町の特徴が色濃く教会に影響を与えています。
まず、この都市を有名にしたのが、蔵書20万冊を誇る図書館です。エジプトのアレキサンドリアに次ぐ規模です。写本だと思うと驚くばかりの量です。その昔本はエジプトのパビルス紙で記されていましたが、エジプトが禁輸した時、ペルガモンが羊皮紙を発明し、羊皮紙の名産地となりました。羊皮紙の英語パーチメントの語源がペルガモンだと言われます。
次に、蛇で象徴された医療の神アスクレビウスで有名でした。その神殿には病院と医学校がありました。蛇が世に現れた治療の神であると信じられていました。世界で始めて精神療法が行われ、様々な治療が行われていました。今日WHO世界保健機構や日本医師会のロゴ、救急車のマークにも蛇が巻き付いた杖の紋章が使われています。また、ゼウス神殿やアテネ神殿もありました。岩山にある巨大なゼウス像が、市外を威圧していたそうです。属州の首都であったので、皇帝礼拝も盛んでした。
ですから、聖徒たちは、この歴史と学術的な誇りを持っていた都市で、偶像や異教思想と対峙しなければなりませんでした。それゆえに、「そこにはサタンの王座がある」と言われています。13節。そのような都市で聖徒たちが信仰にしっかり立っていた姿は、ローマ帝国の役人や偶像を拝む市民から嫌われ、町の秩序を乱す者であると責められました。そして、残酷で過酷な迫害を受けました。
「あなたが住んでいるところを知っている」とありますが、「住んでいる」とという言葉は、一時的に住んでいる意味でなく、そこに居続ける、定着するとうい意味です。イエス様は、聖徒たちがサタンの王座のような地で生きていることを知っていると励ましたおられたのです。私たちも、家庭や学校や職場等そこにあって、主の福音と栄光をあらわして生きるようにと、それぞれの場に遣わされ、置かれているのです。マタイ5:13〜14。
しかし、このような苦難と迫害の中でも、ペルガモン教会の聖徒たちはイエス様の名を固く握り、イエス様を信じる信仰を捨てませんでした。苦しい時、辛い時何度もあったでしょうが、信仰を堅く守りました。それゆえに、主に賞賛されています。13節。その中でも、アンティパスという殉教者の名が記されています。皇帝を神として拝むことを拒んだために、捕まって殺されました。それゆに「確かな証人」と言われています。
ある聖徒たちは、命を捨てるよりも辛い苦難にあったでしょう。キリストのために嘲りや攻撃を受け、自分が享受できるはずのことを失って生きる人々も、イエス・キリストの御名のために迫害の人生を生きている人です。使徒5:41,15:26イエス様は、アンディパスのように命を捧げた人々だけでなく、キリストのために犠牲を払う人々にも「主の確かな証人」という称号を与えてくださるでしょう。
U−誘惑に落ちた人々−14〜15
ところが、そんなペルガモン教会にも、叱責と警告が与えられています。まず、14節。「バラムの教え」とは何でしょう。出エジプトの民がヨルダン川に面したモアブの地まで来た時、モアブの王バラクがアラムの預言者バラムを招いてイスラエルを何度も呪わせ倒そうとしました。でもできませんでした。そこで、「酒宴に招待してモアブの女の舞を見せ、酒を飲ませ、ご馳走を食べさせなさい」という助言に従うと、大勢のイスラエルの民が偶像と姦淫の罪を犯し、裁かれました。民数記22〜25章。その記憶は、「バラムの事件」として記憶されました。民数記31:16,Uペテロ2:15。
このように偶像崇拝と姦淫の罪を犯させてイスラエルを堕落させたのと同じ手法をニゴライ派がこのペルガモンの聖徒たちを堕落させるために使用したということです。14節。モアブと時と同じように、偶像の祭祀の飲食に招待して、酒とごちそうと踊りを通して誘惑し、偶像を拝ませ、姦淫するように誘いました。ニコライ派については、教理と御言葉に忠実だったエペソ教会は間違った教えとして見抜きました。黙示録2:6。ニコライ派は、言葉巧みに、福音と御言葉の教えを曲げて、ペルガモンの聖徒たちを誘い、偶像礼拝と姦淫の罪に引き入れたのです。現代も、異端やカルトは、言葉巧みに誘い、食事やプレゼントで誘います。
聖徒たちは、「堅いことを言わないで一緒に飲んで楽しみましょう」などと誘われ、飲むうちに理性を失い、偶像と姦淫に堕ちてしまったのです。騙す者は、「恵みによって救われた信者たちは、神様の恵みによって守られているので、今は何をしてもよいのです」などと偽って誘惑するのです。「世の皆さんと同じにするのが寛容でよろしいのでは」と人間的なところをついてきます。「酒を飲んだからと言って、信仰がなくなるわけじゃないでしょう」「世の人たちと同じにした方が受け入れられますよ」「そうしてこそ、世の人々を教会に導けるのでは」などと尤(もっと)もらしく誘惑したのです。私たちも世でしばしば聞くことではないですか。
多くの聖徒たちがこの誘惑に堕ちてしまいました。激しい迫害に耐えたのに、誘惑には弱かったのです。何と言うことでしょうか。御言葉によって立つのでなく、人間的なところに立つと、もろくも誘惑の罠にかかってしまうのです。私たちも誘惑の罠にかからないように注意しなければなりません。御言葉と教理が私たちを誘惑から守ってくれます。人に対する時、人間的な思いで迎合することが愛ではなく、イエス様の教えに従ってすることが愛です。ローマ12:2。
イエス様は、私たちが御言葉を固く守り、主の御名を堅く保って、世と区別される聖なる人生を生きることを望んでおられますが、世において人々に仕えて、地の塩、世の光になることによってキリストの忠実な証人になることも願っておられます。福音を信じたら、世と妥協して、何をしてもよいというのは間違っています。ペルガモン教会の聖徒の幾人かがこのように誘惑されて堕落したのは、本当に神を恐れる聖なる敬虔がなかったからです。御言葉と教理にしっかり立つことが必要です。
V−警告と祝福−16〜17
愛に満ちた主は、ペルガモンの聖徒たちにその信仰の結果どうなるのか、警告と祝福を言われました。まず、警告と勧めです。16節。悔い改めが勧められています。誘惑の罠に落ちても、悔い改めるならば回復され、御前に生きることができます。もし彼らが悔い改めなければ、主自ら聖徒たちの前に来られるというのです。12節でイエス様は、「鋭い両刃の剣を持つ方」裁き主の姿が紹介されています。黙示録1:16では、主の口から出てくる御言葉を左右の鋭い剣であると例えました。
主の御言葉は刀のようなもので、肉の誇りを持つ心を刺して謙遜にさせ、偽装して隠している実体を明らかにされます。ヘブル4:12。私たちの罪と誤った習慣が切り捨てられ、誤った教えは倒されます。ですから、謙虚な思いで御言葉を黙想して、圧倒されるような姿の主の前に自分を省みることが必要です。
両刃は、聖徒たちの罪や過ちを裁く刃だけでなく、主の剣はご自分の民を守り、助けてくれます。騙す者から守り、敵の攻撃を防いでくれる刃もあります。御言葉から離れていなかっただろうか、世の風潮と人間的な思いと流されていなかっただろうかと省みて、悔い改めたいのです。
こうして悔い改めを求めた後、励ましと約束の言葉を与えてくださいました。17節。ここに出て来た「マナ」とは、出エジプトの時荒野で神様が与えて、天からくださった食料です。出16:12〜16,31。イエス様はご自分を「天から下って来たパン」と言われました。ヨハネ6:51。「隠されているマナを与える」とは、イエス様との豊かな交わりを通じて、真の満足と新しい命をさらに味わわせてくださるという意味です。主は世と妥協することなく主のみ仕える者に、世が知らない御国の飲食を豊かに与えてくださると約束されます。人を騙す飲食に惑わされないようにしたいものです。
もう一つの祝福は、「白い石」です。囚人たちが競技場で獣と戦う時、総督が白い石を投げれば、囚人は自由になったそうです。したがって、この白い石は真の自由を与えることを意味しています。偶像崇拝して姦淫する者は、自分が自由だと勘違いしています。その実は罪の奴隷です。
一方、主にのみ仕える聖徒たちは、世の中の人々が見る時、制約の中に生きでいるように思うのでしょうが、主の御言葉の中で真の自由を味わうことになります。主は、今でも左右に鋭い剣を持って教会を見守っておられます。今日、私たちには、迫害や困難よりも人間的な誘惑の方が危険で恐ろしく致命的であることを学びました。誘惑を受けて罪の奴隷にならないように、祈りと御言葉で霊的に目を覚まして自由人として生きることを願います。ローマ12:2。
黙示録2:12 また、ペルガモンにある教会の御使いに書き送れ。「鋭い両刃の剣を持つ方が、こう言われる。―
2:13 わたしは、あなたが住んでいるところを知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの確かな証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたのところで殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。
2:14 けれども、あなたには少しばかり責めるべきことがある。あなたのところに、バラムの教えを頑なに守る者たちがいる。バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、つまずきの石を置き、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。
2:15 同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを頑なに守っている者たちがいる。
2:16 だから、悔い改めなさい。そうしないなら、わたしはすぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦う。
2:17 耳のある者は御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。勝利を得る者には、わたしは隠されているマナを与える。また、白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が記されている。」
使徒5:41 そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
民数記31:16 ああ、この女たちはバラムの事件のおり、ペオルの事件に関連してイスラエル人をそそのかして、主に対する不実を行わせた。それで神罰が主の会衆の上に下ったのだ。
ローマ12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
ヘブル4:12 神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
ヨハネ6:51 わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」
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