2024年12月15日「開かれた門」黙示録3:8〜13

序−人は、自分の置かれた状況から自分を判断します。困難な状況にあり、問題が起こっている。自分の力が発揮できない、うまく行かない、特別持っているものもないとなると、どうしても自分を悲観的に見てしまい、自分はだめだと判断してしまうのです。そんな間違った見方に聖書はどう教えてくれるのでしょうか。

T−少しばかりの力があって−7〜8
 今日の箇所に登場にするのは、フィラデルフィアにある教会です。7節前半。この教会のことを知るには、フィラデルフィヤという都市を知る必要があります。七つの都市の内最も歴史が浅く、最も小さい都市です。BC189年にペルガモン王国のエウメネスUが建てた国です。王は、自分が戦争に出ている間に弟を立てて反乱を企てられたのですが、弟はそれに乗りませんでした。後に弟の忠誠心を知った王は、その町をフィラデルフィア、兄弟愛と呼ぶようにしました。東方への重要な道にありましたが、この都市は地震が頻発する地域で、安定した生活はできませんでした。
 この教会は、はじめから賞賛されています。8節。「わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかった」と言われています。10節でも、「わたしのことばを守った」と言われています。そう聞くと、大きくて人も多く力ある教会かと思いますが、フィラデルフィア教会は小さな教会でした。8節に何と書いてありますか。「少しばかりの力があって」とあり、別訳では「少ししか力がなかったが」とあります。力がなかったが、弱かったがイエス様を愛して、主の御言葉を守っていたというのです。
 普通少しばかりの力では、守ることは難しいです。少ししか力がなければ、簡単に否定してしまいます。力がなければ、文句を言って落胆し、絶望しやすいものです。この教会は、弱かったけれども、御言葉をしっかり守っていたということが強調されています。私たちは、自分について、どう思っているでしょうか。
 これまで学んで来たように、御言葉を守ることは迫害を覚悟しなければならかったし、社会で損害を被ることもありました。小さな群れだったので、社会への影響力もなく、注目もされませんでした。特に、この都市にはサタンの会衆と言われるユダヤ人が多く住んでおり、経済力と影響力を持っていました。このユダヤ人によって、フィラデルフィア教会は社会的ないじめと迫害を受けていました。9節。しかし、この教会は、少ししか力がなかったが、弱かったが、それでも真実に御言葉を守って生きていたのです。これが、イエス様の賞賛を受けた理由です。
 この教会は、自分たちには少ししか力がないこと、自分たちが弱いことを気にしていませんでした。どんな境遇であっても、主とともに生きることが幸いであり、平安だったのです。ピリピ4:12〜13。私たちは、自分の状態や環境で自分の信仰を考えてはいないでしょうか。この教会は、力もなく人数も少なかったけれども、救い主イエス様の愛に感謝して、誠実に生きていたのです。ただイエス様が好きで、自分の力とは関係なく、主の御言葉に従順に忠実に生きていたのです。
 主は、この教会のことを「わたしは、あなたの行いを知っている」と言われました。8節。世間からは注目されなくても、主はこの教会に注目され、見守っておられました。このことばは、私たちにとっても慰めとなります。聖徒たちが弱くて、力も少ししかなくても、御言葉に忠実であり、最善を尽くそうとする聖徒たちの姿勢に、主は感動されたのだと思います。何か特別なものがなくても、その立場を守って、支えるだけで、主は褒めてくださっておられるのです。
 この教会は、すでに勝利の冠も受けています。11節。その冠を失わないようにするのも、ただ「持っているものをしっかり保つ」ことだけです。ですから、自分がしている御言葉に忠実なことを小さく思わないでください。私たちの頭にも勝利の冠が置かれているのです。

U−三つの祝福−8〜~10
 主は、このような信仰に感動され、喜ばれました。この教会に三つの祝福が与えられています。1つ目は、「わたしはあなたの前に門を開いておいた」ということです。8節。今回主は、「ダビデの鍵を持っている方」と紹介されています。7節。天国への鍵は、私たちのために十字架に死んでよみがえられた救い主イエス様の御手にあります。イエス様は十字架の死と復活を通してダビデ王国、神の国の門を開き、神の御座に座られました。それで、救い主イエス様を信じることで生まれ変わった者が天国に入ることになります。
 イエス様は、「わたしは門です」と言われました。ヨハネ10:9。今、フィラデルフィア教会の聖徒たちの前に、神の国への門を開いておいたと主は言われます。それで、その教会に加わる者はみな天国に入ることになります。どれほど素晴らしい祝福でしょうか。人々を天国へ導くことは、地上に教会があることの目的です。伝道、証しの門が開かれています。
 この教会は、少しばかりの力でもって、忠実に主の御言葉を守っていました。それは、小さなことに忠実であったということです。神様は、小さなことに忠実な聖徒には、大きなことが任されます。ルカ16:10〜11。忠実なフィラデルフィアの聖徒たちには、伝道の門や祈りの門が開かれたでしょう。困難な中で、仕事や生活の門も開いてくださったでしょう。私たちにはどんな門が開かれているのでしょうか。
 人は仕えようとする時、力の少ないことを言い訳にしようとしますが、その力で忠実である時、神様はより大きな力を与えてくださいます。神様は今の力で仕える時に、大きなことを任せてくださいます。決して人の弱さは神の働きの障害とはなりません。むしろ神様の力があらわれる機会となります。足りなくても、弱くても、落胆する理由にはなりません。むしろ足りない自分を通して、弱い私を通して、神様が働いてくださるのです。Uコリント12:9〜10。肉体の弱さのために祈ったパウロに励ましが与えられました。宗教改革のガルヴァンも、歩き回る総合病院と言われました。
 二つ目は、聖徒たちをいじめ、迫害していたユダヤ人についてです。9節。彼らの嘘と偽りで傷つけられ、苦しめられました。聖徒たちを悪く言い、不利な立場にして、社会でいじめ、迫害しました。それでも、聖徒たちは、ただ御言葉に忠実に生き、誠実に歩みました。それに対して主は、そんなユダヤ人を「聖徒の足もとに来させてひれ伏させ」ると言われました。敵対したユダヤ人が救われることで主が聖徒たちを愛されたことが明らになります。驚くべきことです。聖徒たちの信仰のゆえです。
 私たちも、この聖徒たちのように歩むならば、私たちを悩ませ、傷つけていた人々と信仰を共にする瞬間がやがて来るということを思わされます。イザヤ60:14。福音を拒み、信仰共同体をいじめた中から、救われる人々が出て来るという幸いな約束です。今日私たちを傷つける口が、明日は主を賞賛する日が来ることを思って祈りましょう。
 そして、三つ目には、「試練の時に守ってくださる」ということです。10節。主の再臨の時まで守ってくださるので、聖徒たちが出遭う試練についても守ってくださいます。聖徒たちは、ユダヤ人から来る試練、地震など災害から来る試練の中でも守られるというのです。どれほど励まされたことでしょうか。ローマ8:38〜39。

V−神の神殿の柱とする−12
 最後の約束を見てみましょう。12節。この教会を神の神殿の柱とするというその約束です。フィラデルフィアには、度々の地震によって建物が崩れたり、廃墟になったりしていましたが、柱だけ残っています。倒れない神殿の柱とすると約束は、地震を経験したフィラデスフィアの聖徒たちには実感することができました。平安を力強く感じたでしょう。地震の多かったこの都市では、地震の際は、崩れて来る石に押しつぶされないように、すぐに外に出ていました。「もはや決して外に出て行くことはない」という表現は、主とともにいる平安をあらわしたものです。
 古代の神殿の石には、それをささげた人の名前が記されたそうです。江戸城の石垣にも、その部分を担当した大名の紋が刻まされているそうです。神の神殿の柱にも、三つの名前を記すと約束されています。神の名と新しいエルサレムの名と主の名です。フィラデルフィアにも三つの名がありました。神の名を書き記すとは、神に属する者となったということです。新しいエルサレムと主の名で呼ばれるとは、天国の市民となったということです。イエス様を信じた私たちは、神の民、天国の市民です。
 神殿の柱は、神殿を支える最も重要な存在です。少しの力でも、弱くても御言葉に忠実に生きる人が、神の国の柱のような存在とされるのです。ですから、神様の御手で貴重な大切に用いられるという約束です。家庭でも社会でも教会でも、柱のような存在になるように呼び出されたのが、私たちです。
 フィラデルフィア教会を学ぶことで、人生は環境や状況によるではなく、イエス様への愛と御言葉を守って生きることによると分かりました。私たちあきる台BCは、フィラデルフィアのような教会になりたいと願います。そのためには、私たちを救ってくださったイエス様を私たちの小さな力でもって誠実に愛し、御言葉に忠実に生きることを祈ります。Uコリント12:9。



黙示録3:7 また、フィラデルフィアにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデの鍵を持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる―。
3:8 「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。
3:9 見よ。サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなくて、嘘を言っている者たちに、わたしはこうする。見よ。彼らをあなたの足もとに来させてひれ伏させ、わたしがあなたを愛していることを知らせる。
3:10 あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったから、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、わたしはあなたを守る。
3:11 わたしはすぐに来る。自分の冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり保ちなさい。
3:12 わたしは、勝利を得る者を、わたしの神の神殿の柱とする。彼はもはや決して外に出て行くことはない。わたしは彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、わたしの神のもとを出て天から下って来る新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを書き記す。
3:13 耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい。』

ピリピ4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

ヨハネ10:9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

Uコリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

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