2025年1月12日「神は私の避け所、私の砦」詩篇59:1〜17

序−前回の詩篇58篇では悪しき者が毒蛇に例えられていましたが、今回の59篇では野良犬に例えられています。詩人の置かれている環境は、犬のような悪しき者に取り囲まれ、命が脅かされている危機にあるということです。しかし、その詩篇の内容は、神に対する信頼に満ちています。

T−犬のようにほえ、うろつき回る者ども−6〜7,14〜15
 序文を見ると、「ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに」とあります。この背景には、サウル王の家来であったダビデがペリシテとの戦いで幾度も勝利し、民の人気を得たという事情があります。嫉妬に狂ったサウル王から命を狙われ、逃げたダビデがサウル王の派遣した暗殺者たちによって家を囲まれている時の思いを表したものだと言われています。Tサムエル19:10〜11。
 その悪者によって取り囲まれ、脅されている様子が、まるで恐ろしい野良犬が吠えて脅し、自分の周りをうろつき回っている状況に例えています。6〜7,14〜15節。ここで言う犬とは、餌を求めてうろつき回る飼い主のいない野良犬のことで、ペットとしての犬ではありません。当時のイスラエル社会では、犬は不潔で醜い動物とされていました。
 暗殺者たちが、そういう人間であるということです。彼らは、お金で雇われたいわゆる傭兵です。捕まえて処刑する理由とか裁判とかどうでもよいわけで、お金をもらえば、何でもする人々でした。まさにサウロ王の犬でした。悪者たちは、危険で破壊的です。悪口雑言を言い、正しさや忠告などに対して聞く耳を持ちません。
 詩篇を読む人々にもこのことが適用されます。私たちが世で生きていると、吠えて悪口雑言を浴びせ、唸り声をあげて恫喝するような人にも会うかもしれません。犬に例えるのは失礼かもしれませんが、嘲りや批判の声は吠えているようであり、恫喝や攻撃の声は唸り声のようです。実際に、世にはそのような人々がいます。
 そこまででなくても、私たちに文句を言い、批判する人がいるでしょう。私たちを嫌い、憎む人もいるでしょう。もちろん、私たちの対応のせいで嫌われ、憎まれることがあるでしょう。時には、ダビデのように妬まれ、嫉妬のために憎まれることもあるでしょう。また、私たちが信仰に生きるために疎まれ、責められることもあるでしょう。
 そんな時、私たちは、どのように受け止めればいいのでしょうか。イエス様がこう教えておられます。ヨハネ15:18〜19。私たちに落ち度がなくても憎まれることがあります。イエス様だって憎まれたのです。イエス様がそうなら自分もと納得します。イエス様を主として正しく生きようとするために、嫌われ、罵られ、憎まれることだってあるのです。Uテモテ3:12。戸惑ったり、思い惑ったりすることはありません。もちろん、私たちの失敗や対応の足りなさのためならば、私たちが回復させることに努めればよいのです。
 敵対する人の私たちへの批判や攻撃で恐れることもあるでしょう。私たちに対して吠えたけり、唸り声をあげるのを聞いたとしても、恐れたり、うろたえたりしてはありません。そこで起こり得る危険があります。他人からの罵りや攻撃が私たちを罪の行為に誘うことがあるからです。心に痛みや苦しみを生じさせ、憎しみや報復へと誘います。それについては、私たちが悪をもって悪に報いず、良いと思うことを考えて、なすべきだと聖書は教えています。ローマ12:17〜18。
 肉の思いにかられるならば、復讐は神様に委ねなさい。それは神様の領分だからと教えています。ローマ12:19。ダビデは、サウル王の敵対行為を度々受けましたが、その度に自分は敵対する思いがないことを表明し、報復などしませんでした。

U−パニックの中ですること−1〜5
 それなのに、サウル王が仕向けた暗殺者に取り囲まれました。それはパニックに陥ってしまうような状況です。ダビデの感じた危険は、緊迫して命が脅かされるものでした。問題がある時、私たちはどうするのでしょうか。その時、ダビデは何をしたのでしょうか。そこに注目しましょう。1〜2節。ダビデは「私を敵から救い出してください」「私を暗殺者から救い出してください」と切実に祈り、神様に訴えました。罵られ、敵対されると恐れ、悩み、落ち込んでしまいます。ですから、「私を引き上げてください」とお願いしています。
 私たちも、そのような状態に陥ったら、とにかく神様に心を向けて祈ります。切実に助けを求め、訴えるのです。詩篇40:1〜2。
 それから、ダビデは、自分に落ち度はなく、罪や咎がないこと、それなのに敵が攻撃して来ると訴えています。3〜4節。これは、自分勝手に正当性を主張しているようなものではありません。ダビデは、何度もサウル王に対して敵意のないことを示していました。Tサムエル26:11。この祈りが必要です。なぜなら、自分のせいで敵対関係になり、責められることもあるからです。神の前にこう祈るなら、自分の落ち度や誤りも気付かせられるでしょう。その場合は、修復へと導かれます。
 そして、そのような神様に逆らう悪しき者どもを裁いてくださるようにお願いしています。5節。神様に対して「万軍の神、主、イスラエルの神」とは、全世界を統べ治められる絶対的な主権者ということを言っています。その絶対的な主権者である神様を覚え、裁きを委ねています。
 このように敵対する者から、罵りや攻撃を受ける時、イエス様を信じる者であることを躊躇したり、復讐したい思いにかられたりするならば、私たちが神様に訴え、神様に呼びかけることがとても重要です。ダビデは、このような緊急なパニックに陥りそうな状況で主に心を向け、祈りました。私たちも、そうすべきです。他人からの嘲りや批判、攻撃を受けた時、うろたえたり、とまどったりするのでなく、すぐに心を神様に向け、祈り、訴えましょう。詩篇55:1〜2。そうすると、神様に対する信頼感に心が包まれて来ます。

V−神に対する絶対的な信頼−8〜17
 神様に切実に祈り、訴えたダビデ、詩人の心に圧倒的な神信頼が生じてきました。そして、心が落ち着いて、神に守られる確認が満ちてきました。まず、神様が自分の状況をよくご存知だということに気付いてきました。8節。自分に対して吠え、唸る者たちを神様が笑い、嘲られることを知るようになりました。落ち着いてきました。
 そうして、力ある神様が勝利を与えてくださることを確信するようになりました。9〜10,17節。10節の「私を迎えに来てくださる」とは、慈愛の神が前もって準備して迎えてくださるという意味です。主なる神様は。御心によって時を定められ、事を行われるお方であることを知るようになりました。詩人が持っていた確信の根拠は、神の慈愛です。救い主イエス様を与えてくださった慈愛の神です。ヨハネ3:16。私たちは、主の助けの時を知りませんが、神様が必ず助けくださるという事実だけを信じることです。
 そして、恐ろしい敵が神様によって裁かれるように願っていくうちに、悪者を裁かれる神様に対する絶対的主権を信頼するようになりました。11〜13節。そういうことを悪者も知るようにと祈るほど、恐ろしい悪者を余裕を持って見ることができるようになりました。
 そうした神様への絶対的信頼が最も強く表されたが言葉が繰り返されています。9,16〜17節「神は私の砦、私の逃げ場、私の避け所」という表現は、詩篇の至る所に記されています。「砦」という原語は、安全な所、要塞、避難所という意味です。しばしば神が神の民の避難所という比喩的表現に用いられています。「逃げ場」という原語も、避難所という意味です。神様が自分の避難所であるならば、どこにいようとどんな状況でも、私たちには避け所がある、避難所があるということです。
 ダビデの敵が恐ろしい「吠える犬」として表現されていましたが、神様は難攻不落の砦として表現されています。古代の町は、壁で囲まれ見張り台のある城塞都市でした。敵が来れば、町に避難し、門を閉じました。ダビデや詩人にとって、神様は砦のような存在でした。神様の下には安全があるからです。
 問題がある時、私たちはどうするのでしょうか。ダビデや詩人はどこへ行ったのでしょうか。神の下へ走りました。神のもとに逃げ込みました。全能者の陰に身を寄せました。詩篇91:1〜2。その時、神様のもとが「私の避け所、私の砦」となります。神様は、「私の信頼する私の神」となるのです。神様の御翼の陰に身を避けました。詩篇57:1。ですから、敵に囲まれていたとしても、安心して、心を強くしてことに当たることができました。ダビデは、妻ミカルによって窓から逃げることができました。Tサムエル19:12。結果、神様に対する絶対的信頼をもって、神様を繰り返し賛美しています。16〜17節。
 私たちの避け所はどこにありますか。人生において、様々な問題が起こるでしょう。時には犬のような人々が現れ、うろつき、吠えるかもしれません。しかし、うろたえることはありません。イエス様が言われたように、それはあり得ることだからです。そのような時、とにかくすべきことは、神に祈り、訴えることです。神のもとに逃げ込むことです。詩篇91:1〜2。



詩59篇 指揮者のために。「滅ぼすな」の調べで。ダビデによる。ミクタム。ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに。
59:1 私の神よ、私を敵から救い出してください。向かい立つ者たちよりも高く、私を引き上げてください。
59:2 不法を行う者どもから、私を救い出してください。人の血を流す者どもから、私を救ってください。
59:3 今しも、彼らは、私のたましいを待ち伏せし、力ある者どもは、私に襲いかかろうとしています。主よ。それは私のそむきのゆえでもなく、私の罪のゆえでもありません。
59:4 私には咎がないのに、彼らは走り、身構えています。どうか目を覚まし、ここに来て、見てください。
59:5 あなたは万軍の神、主、イスラエルの神。どうか目を覚まし、すべての国を罰してください。邪悪な裏切り者を、だれもあわれまないでください。 セラ
59:6 彼らは、夕べに帰って来ては、犬のようにほえ、町をうろつき回ります。
59:7 ご覧ください。彼らの唇には多くの剣があり、その口で放言しているのです。「だれが聞くものか」と。
59:8 しかし主よ。あなたは彼らを笑い、すべての国々を嘲られます。
59:9 私の力よ、私はあなたを見続けます。神が私の砦だからです。
59:10 私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私に敵を平然と眺めるようにしてくださる。
59:11 彼らを殺してしまわないでください。私の民が忘れることのないように。御力によって、彼らをさまよわせてください。彼らを打ち倒してください。主よ、私たちの盾よ。
59:12 彼らの口の罪は、彼らの唇のことば。彼らは高慢にとらえられるがよい。彼らが語る、呪いとへつらいのゆえに。
59:13 憤りをもって滅ぼし尽くしてください。滅ぼし尽くしてください。彼らがいなくなるまで。神が地の果てまでも、ヤコブを治められることを、彼らが知るようにしてください。 セラ
59:14 彼らは、夕べに帰って来ては、犬のようにほえ、町をうろつき回ります。
59:15 食を求めてさまよい歩き、満ち足りなければ、夜を明かします。
59:16 しかし、この私はあなたの力を歌います。朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。私の苦しみの日に、あなたは私の砦、また、私の逃げ場であられたからです。
59:17 私の力よ、私はあなたにほめ歌を歌います。神は私の砦、私の恵みの神であるからです。


ヨハネ15:18 もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。
15:19 もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。

Uテモテ3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

詩篇55:1 神よ、私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いに、耳を閉ざさないでください。
55:2 私をみこころに留め、私に答えてください。私は悲嘆に暮れ、泣き叫んでいます。

詩篇91:1 いと高き方の隠れ場に住む者、その人は全能者の陰に宿る。
91:2 私は主に申し上げよう。「私の避け所、私の砦、私の信頼する私の神」と。

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