2025年1月19日「敗北から勝利へ」詩篇60:1〜12
序−平安時代には、大きな地震が起き、その被害も甚大でした。地震は、その時代の人々にとってはただの自然現象ではなくて、政治的、社会的不安定の象徴となり、様々な精神的行動へ人々を走らせました。今日の箇所にも詩人の精神的不安定の象徴として地震が例えられています。
T−予期せぬ敗北に自分を振り返った−1〜3
詩篇60篇の表題には、北のアラムと戦っていた時、エドムに勝利したと記されていますが、詩篇60篇の内容は、その前にエドムに負けた時のことがいます。王となったダビデが北のアラムと戦っていた時、その隙を狙って南からエドムがイスラエルに侵入して来ました。そして、予想外の敗北を喫してしまったようです。これまで勝利を続けて来て、今や北のメソポタミヤ地方まで外征を行っていたダビデに起こった、突然の敗北でした。
それは、予期せぬ敗北でした。大きなショックを受け、その衝撃は大地が揺れ動くようでした。1〜3節。サウル王の後、王として立てられたダビデは、イスラエルを統一しました。これまで負け知らずです。負けるはずがない。どうして負けたのか。何かのせいだ。何が間違っていたのか。ダビデはショックの中で考えました。そして、「神様が怒られ、イスラエルを拒み、捨てられたのだ」と感じたのです。私たちにすれば、ずっとうまく行っていたのに、何でもない所で思わぬ失敗をするという状況です。突然の失敗や問題で神様から見捨てられたと感じる瞬間です。
神の民にとって、神様から捨てられる、拒まれることほど辛いこと、悲しいことはありません。エドムに敗北したのは神の助けがなくなったからと考えたのですが、その理由は記されていません。ダビデは勝利の絶頂にいました。そんな時の突然の敗北です。かつてイスラエルが征服したことのない地で勝利を重ね、ダビデは自信過剰になっていたのかもしれません。物事がうまくいっていたため、自分の力に頼っていたのでしょうか。新たな領地に夢中になり、以前から治めていた南の地域を忘れていたからでしょうか。予期せぬ敗北はショックでした。
私たちも、ダビデのような境地になることがあるでしょう。どんなことでダビデのような思いを感じたでしょうか。私たちも、ある新しいことがうまくいっているからと慢心したことはないでしょうか。そのために神様のことを忘れていなかったでしょうか、新たな分野に興味が引かれるあまり長い間携わって来た分野をおろそかにすることがないでしょうか。新しい人間関係にとらわれて、以前からの関係をおろそかにしてしまうことはないでしょうか。そのようなことのために失敗や問題が生じたことがなかったでしょうか。
ダビデは立ち止まって考えました。なぜこのような敗北感に襲われることになったか気付きました。問題は霊的なものでした。Tサムエル12:9。アラムというメソポタミヤ地方まで軍を進めている時に、エドムがダビデの地盤であるユダに攻め入ったのです。どれほどダビデの心が揺れ動いたことか、大地が動くようなショックだったのです。慢心のせいでした。
その上、「引き裂かれた、裂け目」と言っていることから、エドムに敗北したことから、統一されたばかりの国が分裂する危機になったようです。敗北のショックで国中が混乱し、統率が取れなくなってしまうのです。大地震のように人々が揺れ動いたのです。人は、予想外の問題が生じると、大きな衝撃を受け、心が揺り動かされます。私たちはどうですか。ただうろたえますか。そんなはずはない、なぜだと嘆くばかりですか。
3節では、ショックで揺れ動く様が酔っている人に例えられています。「よろめかす酒」という表現は、神様の戒めに用いられる例えです。イザヤ51:21〜22。予想外の敗北で人々は酔ったようによろめき、国中が不安定になりました。ダビデの感覚は混乱し、ふらつきました。人は、予想外の出来事に遭遇したり、突然のショックに襲われたりすると混乱して、ふらつきます。思いや行動も不安定になるものです。私たちは、そんな時どうしますか。
ダビデは、そのままではありませんでした。「回復させてください」(1節)、「癒してください」(2節)と懇願しました。
U−助けを求めることに対する神の応答−4〜8
敗北したイスラエルの民は揺れ動き右往左往していますが、ダビデは、神様の助けを求めて、祈りました。4〜5節。神様が指揮権を取られるように求めました。自分がイスラエル軍を指揮して勝利して来たことで、高慢になっていたことを気付いたからでしょう。「神を恐れる者に、旗を授けられた」とは、神様に従う者の指揮を神様が取ってくださるということです。イザヤ5:26。昔軍隊は旗の周りに集まり、その旗に従って戦いました。続く勝利で調子に乗っていたダビデは、悔い改めて謙虚に神様の指揮に従うことを表明し、神様の助けを願いました。旗と言えば、312年コンスタンティヌス皇帝が内乱の時、夢で十字架と「この印にて汝は勝つ」という幻を見て、十字架の旗を持って戦い勝利しました。それによって、迫害から転じてキリスト教を公認することになりました。
ダビデは、自分たちのことを「神様の愛する者たち」と呼んでいます。5節。この信仰が大切です。私たちも、御子イエス様が私たちの身代わりに十字架にかかられるほど神様に愛されている者たちです。だから、神様は決して私たちを見捨てません。Uコリント4:9〜10。神様がダビデに勝利を約束してくださったことを思い出しました。Uサムエル7:9。
そのようなダビデの祈りに対して、神様が答えてくださいました。6〜8節。6節のシェケムはヨルダンの西側の地を代表しています。同じくスコテはヨルダンの東側の地を代表しています。7節の都市は、すべて重要です。だから、神様は、「わたしのもの」と言われたのです。ギルアデはヨルダン川の東側で、マナセ部族はヨルダン川両側に広がっています。エブライムは北部イスラエルの中心部族で、南部のユダからはダビデ王が出ました。これらは、イスラエル本土というところです。改めて神様が領土を認定してくださったということです。
8節は、神様の言葉で、モアブとペリシテが従うことを確証しました。足を洗うのは、しもべの仕事です。履物を管理するのも、しもべの仕事です。ペリシテが大声で叫ぶというのは、ただ声だけで実際に反抗する力がないということです。周囲の国々がイスラエルに従うと神様が約束しておられます。
こうして、具体的に都市の名前を挙げているのは、失ったイスラエルの土地を再び所有し、周りの国々を征服されると神様が約束しておられたということを確信させるものでした。この神の約束は聖所から語られたという重みがあります。神の恵みの約束が、最も大きな励ましとなります。
V−勝利を確信して立ち上がる−9〜12
この神の約束を聞いて、ダビデは確信を取り戻し、自分が自分のという思いという考えをやめて、神に拠り頼んで、立ち上がります。9〜12節。神様がイスラエルを導くなら、約束が成就します。9節の「防備の町」とは、エドムの首都セラ、今日のペトラです。ダビデの時代は、攻撃するのに難しい堅固な町でした。「誰が連れて行くのでしょうか、誰が導くのでしょうか、主よあなたではありませんか」と主の指揮権を反語的に強調しています。考えが変わったことのあらわれです。私たちの活動の指揮権は誰ですか。神様を忘れて、自分だけで徒手空拳(としゅくうけん)していませんか。
予想外の敗北で、神様が共におられなかったことに気付いたダビデは、神様にこう言っています。10節。「私たちを拒まれるのですか、ともに出陣なさらないのですか」と一見疑問文のようですが、共にエドムに行ってくださるように婉曲的に懇願しているのです。神様が共に行ってくださらなければ駄目だと言っているのです。ダビデの敗戦は、敗戦自体よりも、神様が一緒にしない、神様から捨てられたという絶望感がより大きかったからです。私たちもダビデのように神様が共に行ってくださるように求めたいと思います。
ですから、ダビデは、11節では、はっきり神様の介入を求めています。おそらくダビデは、人の言葉に従って失敗したようです。今ダビデは徹底して神様の御心に従うと告白しています。そのために重要なことは、神様に先んじないということです。仕事や人間関係に神様と共に取り組むということを忘れて、自分の思いで突き進んでいないでしょうか。失敗や困難が生じたならば、それに気付き、神様の介入を求めましょう。「この戦いは主の戦いだ」と宣言してみましょう。Tサムエル17:47。
結局、神様の御力で勝利することができます。12節。最終的にエドムを打って完全に勝利し、エドムに守備隊を置いて支配することになります。Uサムエル8:13〜14この時、ダビデは、はじめは予想もしない敗戦を経験したので、神様が自分を捨てたような痛みを経験しました。しかし、自分のせいであることを認め、慈愛の神様に拠り頼み、助けを求め共に戦い、勝利しました。
私たちも、時には神が一緒におられないような苦い敗北を経験する時、地震のように心が揺れ動くでしょう。その時立ち止まって、何のせいなのか、何が間違っていたのか、と省みましょう。悔い改めて、主に拠り頼み、主が働いてくださるよう要請します。Tサムエル17:47。
詩篇60篇 指揮者のために。「さとしは、ゆりの花」の調べにのせて。教えのためのダビデのミクタム。ダビデがアラム・ナハライムやアラム・ツォバと戦っていたとき、ヨアブが帰って来て、塩の谷でエドムを一万二千人打ち殺したときに
60:1 神よ、あなたは私たちを拒み、私たちを破られました。あなたは怒られました。どうか、私たちを回復させてください。
60:2 あなたは地を揺るがし、引き裂かれました。その裂け目を癒してください。地が揺れ動いているからです。
60:3 あなたは、御民を苦しい目にあわせ、よろめかす酒を、私たちに飲ませられました。
60:4 あなたは、あなたを恐れる者に、旗を授けられました。弓から逃れ者をそこに集めるために。 セラ
60:5 あなたの愛する者たちが助け出されるよう、あなたの右の手で救い、私に答えてください。
60:6 神は聖所から告げられました。「わたしは、喜び勇んでシェケムを分け、スコテの平原を測ろう。
60:7 ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムはわたしの頭のかぶと。ユダはわたしの王笏。
60:8 モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に、わたしの履き物を投げつけよう。ペリシテよ、わたしのゆえに大声で叫べ。」
60:9 だれが、私を防備の町に連れて行くのでしょうか。だれが私をエドムまで導くのでしょうか。
60:10 神よ、あなたご自身が、私たちを拒まれるのですか。神よ、あなたはもはや、私たちとともに出陣なさらないのですか。
60:11 どうか敵から私たちを助けてください。人による救いはむなしいからです。
60:12 神にあって、私たちは力ある働きをします。神が、私たちの敵を踏みつけてくださいます。
Uサムエル7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者の名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。
Tサムエル17:47 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」
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