2025年1月26日「心が衰え果てる時」詩篇61:1〜8
序−人生を歩みながら、苦しい経験をしたことがないという人はいないでしょう。困難なことは避けて、簡単な道を歩もうと知恵を働かせても、大変な目にも遭うでしょう。詩篇に登場するタビデ王も、数々の困難や事件に遭うことが多い人生でした。時には、心が衰え果てるほど苦しい経験もしました。どのように受け止め、乗り越えたのでしょうか。
T−心が衰え果てるとき、地の果てに−1〜2
サウル王に仕え、軍人となって戦い続けました。幾多の戦いに勝利し、活躍すると、サウル王に妬まれて命を倣われ、逃亡生活となりました。逃げ回って洞窟で過ごすような生活が10年以上も続き、サウル王の死後、イスラエルの王となりました。ところが、王になって32年、老年になって息子の謀反に遭うことになります。
詩篇61篇は、アブサロムの謀反によって、ダビデが家来たちともに逃げ出した時の詩篇だと言われています。アブサロムは、王子たちの中で最も優れた息子でした。その期待の王子が、ダビデの最大の悲しみをもたらす息子となりました。アブサロムは、母違いの弟アムノンを殺害して亡命しました。どれほど、ダビデの心は痛く悲しかったことでしょうか。
3年後、アブサロムは赦されて、亡命先から戻りましたが、確執は続きました。ハンサムで知恵があったアブサロムは、民の心を盗んで、自分に従う者を多く手に入れて、謀反を起こしました。Uサムエル15:10〜14。ダビデは驚き戸惑い、痛み悲しみ、エルサレムから逃げ出し、ヨルダン川の向こう側ギルアデのマハナイムまで来ました。すぐ近くまでアブサロムの軍隊が迫っていました。Uサムエル17:24,26。
この時のダビデの心境が2節に記されています。2節。あまりの悲しみと痛み、恐れで、ダビデの「心が衰え果て」ました。なぜダビデの心が衰え果てたのですか。子どもが病気になれば、むしろ自分が代わりたい、痛みを背負いたいと思うものが親なのに、子と戦わなければならないからです。自分の心を痛めるようなことをする息子、赦しても悔い改めることなく、敵対して来た息子は、ダビデにとってどんなに辛く、悲しく、苦しかったことでしょうか。
ダビデのことを調べていますが、ダビデの物語を調べることが目的ではありません。ダビデを通して働かれた神様が、今を生きている私たちの神様であることを覚えるためです。今日を生きる私たちにとっても、問題と事件によって私たちの心が衰え果てるがあるからです。
人は、悲しみや痛み、不安や恐れ、悩みや苦しみが続くと、心が衰え果てます。詩篇143:4。体も具合が悪くなってきます。私たちも、家族や職場の問題で、勉強や学校の事で、経済や病気のことで問題に遭遇して、心が衰え果てる経験をすることがあるでしょう。それは、とても辛い経験です。ですから、今朝の御言葉から学びたいのです。
その時の状況についてダビデは、「地の果て」と言っています。2節。エルサレムから離れて、国境まで逃げて来ていたからでしょうか。距離的なことだけでなく、その時心が衰え果て、弱った状態にあったという心情的な様子が、「地の果て」という表現から伝わって来ます。私たちが問題や事件で痛みと悲しみ、恐れと不安が伴う環境にいる時、頼るものがなく知ってくれる人がいないと思うと、とても辛くて、「地の果て」にいるように感じるのです。
U−祈り叫んで、御翼の陰に身を避ける−1〜4
心が衰え果てるような環境にいるとしても、私たちをイエス様によって救ってくださった神様を拠り頼み、神様に祈ることができます。1〜2節。ダビデの祈りは、「叫び」でした。泣きながら、叫んで祈りました。ダビデは祈りの人でした。エルサレムの王宮から着の身着のまま逃げ出し、アブサロムの軍に追われています。ダビデが王となってから久しく、60歳を越えていた時です。どんな心境だったか、思うにあまりあるものでした。ダビデは、祈り叫ぶしかありませんでした。
戦いに強かったダビデがどうして逃げ出したのかと思います。エルサレムで戦うことをせず、逃げ出すことを選択したのです。その時は戦えなかったのでしょう。ダビデは、しばしば叫んで祈らなければならない危機の中を数え切れないほど生きて来ました。ダビデは、恐れと不安で苦しく、耐えられない状況で神に叫んで祈りました。痛みと悲しみで衰え果てた時に、叫んで祈りました。私たちも、心が衰え果てる時、叫んで祈ります。
ダビデは戦いに強い人でしたが、心が弱くなることもしばしばでした。今愛する息子に裏切られた痛み、戦いを避けて逃げた自分を、軍を率いて追って来る息子の行動に心は限りなく衰え果てました。だからこそ、祈りの人ダビデは、神様に叫んで祈りました。神様の答えをキャッチしたダビデは、神様が自分にとってどんなお方なのか、証ししています。3〜4節。
神様は「私の避け所」です。神様は、危機から避けることができる避難所であることが分かりました。時には、私たちの人生にも避難所、避け所が必要です。私たちが本当に大変で心が衰え果てる時には、避け所が必要です。また、神は「強いやぐら」、砦です。問題や事件で悲しみ痛み、心が衰え果てる時、神様は「最後の砦」となります。神様は、私の人生を最後まで責任を持って守ってくださって助けてくださるお方です。
そして、「神の幕屋に住む」と言っています。神の幕屋とは、神の臨在を覚える所でした。私たちも心が衰え果てる時、祈って神の臨在を覚え、平安を得なければなりません。神の「御翼の陰」に身を避けると言っています。親鳥の翼の中に守られているひな鳥を思い浮かべるでしょう。神様は、その翼の中に入って来る私たちを受け入れて、涙を拭い、慰めて真の安息を与えてくださます。どんなにありがたいことでしょうか。詩篇57:1。
使徒パウロの告白を聞きましょう。Uコリント12:10。どうして「私が弱いときにこそ、私は強い」のでしょうか。自分が頼るものが何もなく衰え果てる時、むしろ神様だけを見るようになるからです。むしろその時、衰え果てた心で祈り叫ぶことになるからです。ダビデやパウロだけでなく、人の人生には問題や苦難があります。痛みや悲しみがない人生などありません。誰でも、苦しみと悲しみ、病気と別れを経験しながら人生を歩んでいきます。信仰も、そうした中で育っていきます。聖徒の苦難は、決して無駄なことではありません。苦しみは、祝福の通路となります。
心が衰え果てた時、ダビデは祈りました。祈りが信仰であり、祈りが力であり、祈りがクリスチャンの人生です。神様は、祈りの人に同行し、祈りの人を愛し、祈りの人を祝福してくださいます。
V−主が聞いてくださったので−5〜8
後半の部分は、祈った後の反応です。5〜8節。私たちは、祈ったことが確実に聞かれたと思ったら、どうしますか。祈って答えられたら、その恵みに自分も応答して、応えようとするのではないでしょうか。ダビデは、誓いの祈りを果たすことを決心しました。5,8節。
6〜7節は、一見すると、誰か第三者である別の王のことを言っているかのように見えます。読む者を惑わせる箇所です。ダビデが自分について、第三者のようにとりなし祈っているのは、王としての立場の自分自身について語り、王として自分に与えられた約束に言及しているからです。おそらくダビデは、愛して赦した息子に裏切られ、謀反を起こされ、逃亡し、追われているという惨状によって心が衰え果て、もう何をする気力も失われたような状態だったのでしょう。親としては、衝撃が大きく、そうなるのも無理ありません。
しかし、彼は一人の親であると同時に、神様に立てられたイスラエルの王でした。王としての働きをまっとうしなければなりません。そのためには、生かされている限り生き続け、その王朝が続くように務めなければなりませんでした。神様に対して王としての働きを続ける責任がありました。息子の謀反のためにいつまでも心が衰え果てたままではいられなかったことに気付いたのです。ですから、第三者のようになって、王である自分を励まし、とりなすような祈りをしたのです。神様に対する誓いを果たすためでした。
私たちも、イエス様の十字架を信じて救われ、新しい命を神様から与えられ、神様の栄光をあらわして生きる者とされていることを覚えます。何かのことで心が衰え果てたとしても、イエス様に救われた者として、神様に生かされています。生きてなすべきことが与えられています。自分を愛してイエス様の犠牲のゆえに救ってくださった神様に応えなければならない存在なのです。Tコリント6:20。
ダビデは、これからは、自分自身のために生きるのではなくて、国民のために、続く王朝のために生きることを意識しました。残りの期間をきちんと神様に立てられた王として生きることを決心しました。
私たちも、残りの人生を神様を意識して生きることを願います。長老教会の創始者、宗教改革者カルヴァンの生涯を支配したのが、「神の御前に生きる、Coram Deo」という信条でした。救っていただきもう一度生きる機会を与えてくださったので、神様の御前に生きる、残りの生涯を神のために生きることにしました。私たちもそのように生きることを願います。Tコリント6:20。
詩篇61 指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデによる
61:1 神よ、私の叫びを聞き、私の祈りに耳を傾けてください。
61:2 私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼び求めます。どうか、及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。
61:3 あなたは私の避け所、敵に対して強いやぐらです。
61:4 私は、あなたの幕屋にいつまでも住み、御翼の陰に身を避けます。 セラ
61:5 神よ。まことにあなたは、私の誓いを聞き入れ、御名を恐れる者の受け継ぐ地を、私に下さいました。
61:6 どうか王のいのちを延ばし、その齢を代々に至らせてください。
61:7 王が、神の御前でいつまでも、王座に着いているようにしてください。恵みとまことを与えて、王をお守りください。
61:8 こうして、私はあなたの御名を、とこしえまでもほめ歌い、日ごとに、私の誓いを果たします。
詩篇143:4 それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、私の心は私の中で、荒れすさんでしまいました。
Uコリント12:10 ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
Tコリント6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
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