2025年2月2日「ただ神を、神こそ」詩篇62:1〜12
序−前回、息子アブサロムの謀反によってダビデの心が衰え果てたことについて学びましたが、ダビデの心が傷付き、衰えたのは、自分の息子が謀反を起こしたことだけでなく、その時多くの人々が裏切り、敵対したからです。ダビデに仕えていた人々がその謀反に加わっていたからでした。人生を生きていると、知っている人の反発を受け、裏切られるようなことを経験することがあります。ダビデは、その時どうしたのでしょう。
T−裏切り、罵られても−3〜4
62編も、アブサロムの謀反の時に作られたと言われています。ただし、焦点は息子アブサロムではなく、謀反に加担した人々です。ダビデが愛して、信じていた息子が謀反を起こしただけでなく、その時までいつものようにダビデに仕え、忠誠を誓って従っていた人々がこの謀反に加わり、ダビデに反逆したからです。なぜ、そんなにも、急激に心が変わり、反逆したのか。ショックは大きく、ダビデの心は深く傷付きました。
Uサムエル15:2〜6を見ると、アブサロムの用意周到な備えがありました。アブサロムはエルサレムの門にいて、王に陳情に来る人々に「王は聞いてくれない。私を王にしてくれたらい、陳情を聞いてあげる」と吹き込み、騙して支持者を増やしました。そして、名参謀もアブサロムにつき、アブサロムに組する人が多くなりました。Uサムエル15:12。謀反と知らずに従って来た者もいました。Uサムエル15:10〜11。とにかく、あっと言う間に民心がアブサロムになびくようになり、ダビデはすぐに逃げなければなりませんでした。Uサムエル15:13〜14。そんな時人はどんな思いになるでしょうか。
その時の気持ちを表現したものが、3〜4節です。まるでダビデ一人だけを大勢が襲い、殺そうとしているような心細さを感じました。その敵対勢力が城壁や石垣を崩すような大きな力に感じました。彼らは、自分を王位から引きずり降ろそうと企んでいたことが分かりました。Uサムエル15:2〜6。民や家来たちが「ダビデ王様に祝福あれ、王様万歳」と言っていたのは偽りであった。心では呪っていたのかと思いました。
どれほど、家来や民の裏切り、反逆が衝撃となり、心が痛み、悲しみに沈んだことでしょう。Uサムエル15:30にあらわれています。「頭をおおう」のは、あまりにも悲しい状態かあまりにも心が痛い時にする行為です。「裸足で」歩くのは、神様の前で自分の罪を悔い改め、謙虚にへりくだる行動です。出3:5。ダビデは、怒ったり、憎んだりしていません。
また、シムイというサウル王の一族の者が逃げるダビデの近くに来て、ダビデ王が王位をサウル家から奪ったと思い込み憎んでいたので、ダビデにのろいの言葉を吐き、石を投げつけましたが、ダビデは、怒ることなく、かえってシムイを殺そうとする兵士を止めました。Uサムエル16:5〜12。「その嘲りやのろいを受け止めている自分を神様が見て、彼の呪いに代えて、自分に良いことをもって報いてくださるだろう」と言っています。私たちが他人から罵りや裏切りを受ける時、このダビデの姿を思い出しましょう。
このような時、私たちは自分を説得しなければなりません。他人からのののしりや裏切りに対して、怒り憤慨し、報復することから、自分を守らなければなりません。そうしなければ、サタンが喜ぶだけです。
U−どんなときにも神に信頼せよ−1〜2,5〜8
ダビデは、怒りや憎しみを抱かないため、罵り裏切る人を見るのでなく、神様だけを見ました。1〜2節。この苦しい、悔しい状況の中で、ダビデは、驚くほど落ち着いています。ダビデは自分に敵対して来る人々を憎んではいません。戦おうともしていません。何か自分に有利な形にしようともしていません。神様が彼らによって自分を王位から退けられるのなら、それでもよい、神様に従うと言っています。でも、神様が継続して王位につかせてくださるのなら、状況がどうであれ、神様が再び戻してくださると信じていました。Uサムエル16:10〜12。
私たちは、今日の箇所から、ダビデがそのような状況で落ち着いていることができる秘訣を知ることができます。5〜6節でも、1〜2節と同じことを言っています。1節と違うところは、5節では命令形になっていることです。自分に命令して、自分に確信するようにさせています。ダビデは、黙って神様だけを見ました。人は、こんな時、自分を裏切り、敵対するようになった人々のことばかり考えて悶々とし、悲しみ悩み、怒り憤慨すするのではないしょうか。ダビデはしていません。静かに、黙って神を待ち望みました。私たちは、どうでしょうか。
ここでも、ダビデは、神様についてこう言っています。2,6節。神様だけを見て、ただ神を待ち望むと、神様こそ「わが岩、わが救い、わがやぐら。私は揺るがされることがない」と確信するようになりました。「わが救い」とは、「助け、勝利」という意味です。敵対され、罵られる時、自分を悲惨に感じさせて、人を憎ませ、神を恨むようにさせるのが、悪魔の作戦です。そんな作戦に騙されないでください。黙って、ただ神を待ち望んでください。神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐらです。賛美歌267番「かみはわがやぐら」は宗教改革者ルターの作品です。多くの敵対者に囲まれたルターを励まし、瞬く間にヨーロッパ中に広まり、宗教改革を進める曲となりました。
詩篇62篇の原文には、一つ大きな特徴があります。1,2,4〜6,9節の文頭に「アク」という単語が記されていることです。その意味は「ただ、こそ、実に、まことに」などと訳される言葉です。「ただ神を待ち望む、神こそわがやぐら」と繰り返されています。「アク、アク、ただ、こそ」と文頭に連ねられているのですから、とてもインパクトがあります。アクを連ねる表現によって、人々の裏切りや敵対という悲惨な状況にあっても、ただ神を待ち望み、神こそわがやぐらとする信仰を告白しているのです。ダビデが人を見るのではなくて、神様だけを見ていることを示しています。
自分がどんな状況にいるかではなく、そこでどんな思いでいるかということで事が決定されます。人の心はいつも確信を持続することは難しいでしょう。敵対や罵りに脅かされる度に、ただ神を待ち望み、神だけを拠り頼むのです。詩篇42:5,11。そうすることで揺るがされなくなります。
5節で「ただ神を待ち望め」と命令しているのは、「私の望みは神から来るから」です。人は自分がどんなことに希望を置くかによって、その人生の目的と態度が決まり、その人の未来が決まります。世の中に希望を置く者は、世のものがなくなると共になくなります。
ですから、途方もない苦難を受けながらも、神様だけを見て揺れなかったダビデは、民に勧めます。8節。「どんなときにも」ということは、嬉しい時悲しい時を問わず、常に神様に信頼しなさいということです。ルカ18:1。少しでも心に心配や悩み、落胆や葛藤が生じるならば、すぐに神様に祈りなさいと勧めています。心を神様に注ぎ出しなさいと言っています。
難しいことがあって、心が苦しくて不安で揺れていますか。どんな時にも神様だけを見て頼り、神様に自分の心の中にあるすべてを注ぎ出して祈ってください。
V−その行いに応じて報いられ−9〜12
こうして神のみに頼るように言った後、ダビデは神様に頼らない人の姿について話しています。9〜10節。イエス様を信じて救われた人は、神だけを頼り、人を頼らないようにと言っています。アブサロムに従って、敵対して来た者たちはみな、今までダビデに仕え、従って来た者たちです。ダビデは彼らを信頼し、頼りにしていたので、落胆と失意は大きかったのです。ただ神様だけを信頼しなかったなら、自暴自棄になっていたことでしょう。
もちろん、ダビデに従って来た人々もいました。アブサロムに従った人々皆が確信して、ダビデに敵対したわけではありません。何も分からずに加わっていた人々、騙されて追随した人々、権力に従った人々もいました。人は付和雷同です。しっかり考えることなく、簡単に同調してしまうものです。簡単に怒り、敵対して来ます。そして、積極的に権力保持と富のために敵対した者もいました。10節。彼らは、そういう人々を見ながら、ダビデは、人はむなしい、人は偽りだと言っています。9節。
ですから、民には、権力や武力、富や人の力に頼るな、むなしい望みをかけるなと勧めています。一時期騙されて、権力や富に惑わされてアブサロムに従った人々が大勢いたからです。現代の人々もそうです。社会の高い地位にある人々が富や権力に惑わされて、たましいを売り渡している姿が多くあります。
最後に11〜12節で、「権力、力は神のもの、恵みも神のもの」と言っています。神は、繰り返し言われました。すべての権力や富は、神様のものです。ダビデのように、自分のすべては神からのものだという認識が必要です。長老教会の教理も、神の主権を強調しています。
ですから、私たちは困難の中で勝利して神様に栄光を帰して生きるのです。 全能の神様は、人それぞれが行ったとおりに裁かれます。主は、各人が行ったように報いられるお方です。イエス様の十字架を自分の罪の身代わりと信じた私たちは、救いの恵みと神様の助けと守りを受ける者とされています。どんな時にも神を信頼して、神を待ち望んで生きる者となることを願います。詩篇42:11。
詩篇62 指揮者のために。エドトンによって。ダビデの賛歌
62:1 私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。
62:2 神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は決して揺るがされない。
62:3 おまえたちは、いつまで一人の人を襲うのか。おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。城壁を傾け、石垣を倒すように。
62:4 実に彼らは、彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。彼らは偽りを好み、口では祝福し、心では呪う。 セラ
62:5 私のたましいよ、黙って、ただ神を待ち望め。私の望みは神から来るからだ。
62:6 神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。私は揺るがされることがない。
62:7 私の救いと栄光は、ただ神にある。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
62:8 民よ、どんなときにも神に信頼せよ。あなたがたの心を、神の御前に注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。 セラ
62:9 低い者はただむなしく、高い者も偽りだ。秤にかけると、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。
62:10 圧制にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富が増えても、それに心を留めるな。
62:11 神は一度告げられた。二度私はそれを聞いた。力は神のものであることを。
62:12 主よ、恵みもあなたのものです。あなたは、その行いに応じて人に報いられます。
詩篇37:7 主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。その道の栄えている者や悪意を遂げようとする者に腹を立てるな。
37:8 怒ることをやめ、憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
Uサムエル16:11 ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の息子さえ、私のいのちを狙っている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。放っておきなさい。彼に呪わせなさい主が彼に命じられたのだから。
16:12 おそらく、主は私の心をご覧になるだろう。そして、主は今日の彼の呪いに代えて、私に良いことをもって報いてくださるだろう。」
詩篇42:5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
42:11 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。
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