2025年2月9日「荒野の信仰」詩篇63:1〜11
序−荒野の訓練とか荒野の信仰という言葉があります。緑豊かなエジプトから出た神の民は、荒野での生活を通して、主に拠り頼むことを学び、神への信仰が養われました。これは、信仰者にとっても必要なことです。なぜなら、人生にも荒野があるからです。詩篇63篇から荒野の信仰について学びます。
T−切に神を求めました−1〜3
荒野の信仰とは、荒野のようなところで信仰が訓練され、霊的な信仰が養われることを言います。ダビデも荒野の訓練を受けた人です。サウル王から逃げていた時に荒野の訓練を受けましたが、アブサロムの謀反の時も、荒野での訓練を受けました。詩篇63篇の表題には、「ダビデがユダの荒野にいたとき」とあります。この詩篇も、アブサロムの謀反の時に作られたと言われています。9節の「私のいのちを求める者ども」、10節の「剣の力」、11節の「王は」という言葉からも、その時なのでしょう。
自分の息子が自分を殺して王になろうと謀反を起こしたのですから、どれほど悲しく辛かったことか。昨日まで自分に仕えてくれた家来や民が反逆したのですから、本当に苦しくむなしかったことでしょう。そして、エルサレムからヨルダン川の向こうまで逃げるために、その間にあるユダの荒野を通りました。Uサムエル15:13〜14,23。
そういう状況で荒野を通ったのです。どんな気持ちになったのでしょう。1節後半。息子の謀反によって衰え果てたダビデの心は、荒野という水のない乾いた地で、体だけでなく、心も渇いていました。王座も王宮も、家来も民も何もかも失ったダビデ、緑も何もない荒野で、悲しみや心の痛み、苦しさやむなしさが身にしみたことでしょう。体も飢え渇いていました。Uサムエル16:2。私たちにすれば、問題で心が痛み苦しい時に、状況が悪くなるという感じでしょうか。そんな状況は私たちにとって荒野となり、乾いた地で心が渇いてしまいます。
ダビデは、荒野でどうしたのでしょう。1〜2節。神様に祈っています。切実に神を慕い求めています。詩篇143:6。クリスチャンは、問題や困難に陥った時、そこから抜け出そうと努力し、解決の道を算段しなければなりませんが、まず神様に祈ります。神様に助けを求めて、切実に祈らなければなりません。この時、ダビデは、神様に何と呼びかけていますか。「神よ、あなたは私の神」と呼びかえて、祈り出しています。とても、素直な、率直な呼びかけです。「あなたは私の神」とは、単純な表現ですが、これ以上の表現があるでしょうか。謀反を受け、痛み苦しみながらの荒野の道ですが、ダビデの心の深いところには明らかな神への信頼がありました。私たちも、「神よ、あなたは私の神」と呼びかけを使ってみましょう。
ダビデは、平安な時も苦しい時も、元気な時も病める時も、「あなたは私の神です」とはっきり告白した人です。ですから、切実に祈り求めています。息子や家来に反逆された苦しく辛い心境で、何もない荒野だからこそ、神様の圧倒的な存在と力を覚え、切実に祈ることができました。何にも目を奪われない、何もあてにできない中で、神だけに拠り頼んだのです。
荒野での神との交わりによって、ダビデは聖所にいる心境になっています。2節。聖所は、神が神の民の中に留まる所です。「神を仰ぎ見ています」と言っても、実際に見えるのではなく、霊的に神を見ている、神に集中しているということです。
荒野は神の人を訓練する最高の学校です。荒野で訓練された人が、神の人となります。出エジプトの民が荒野の40年間に、荒野の生活を通して祈りを学び、神と同行する人生を学びました。罪と貪欲を諦めて、神だけを拠り頼む人生を訓練されました。荒野は孤独な所ですが、静かな所です。荒野は、神を捜し求めて、呼びかけるに最適な所です。荒野は何もない危険な所ですが、荒野を通して真の平安は神の中にあることを学びます。
問題や困難がありますか。荒野の訓練を受けることができます。恐れや不安がありますか。荒野で養われて平安に導かれます。孤独や痛みがありますか。荒野で神が同行してくださることを経験します。人としての弱さや失敗もあったダビデです。そんなダビデを何が素晴らしい神の人にしたのですか。荒野の訓練です。
U−生きているかぎり神をほめたたえ、喜び歌います−4〜8
荒野でダビデは、神を思い起こし、神を思い巡らしました。6節。私たちは、日曜日礼拝に来た時だけ神様を覚えるのではなく、平日に家でも、職場でも、学校でも神様を覚えているでしょうか。良い状況だけでなく、悪い状況でも神様を覚えるでしょうか。ダビデは、辛い苦しい状況でも神様を覚えました。私たちも、辛い苦しい状況でなおさら神様を思い起こし、御言葉を思い巡らしましょう。御言葉を黙想しましょう。
そうして、神様を思い起こし、御言葉を黙想し、神様と交わるうちに、ダビデの心が変えられてきました。心が平安を覚えることができ、たましいが賛美するようになりました。3〜7節。何と、ダビデは神の恵みや慈愛に感激するあまり、自分の命よりもまさると言って、賛美しています。3節。神の恵みが自分の命よりも大事だなんてと思うのですが、神の恵みが素晴らしくて、感謝が大きいのでそう思ったのです。詩篇118:1。
ダビデは、いつまで賛美すると言っていますか。4節。何と、「生きているかぎりあなたをほめたたえる」つまりダビデは生涯神を賛美すると言っています。一時期気持ちの向いた時賛美するのではなく、誠実に生涯命の尽きる瞬間まで神を賛美すると誓っています。神様が私たちがどうであれ、恵みと慈愛を与えてくださるからです。ダビデは、どうして両手をあげるのでしょうか。それは、神様の栄光をあらわす手段でしたが、神への感激の思いが両手をあげさせたということです。
5節では、たましいが満ち足りて、喜んで賛美しています。そのたましいの満ち足りていることが、ささげ物の脂肪と髄を食べることに例えられています。神様の恵みと慈愛がたましいを満ち足らせているということでしょう。私たちは、イエス様の十字架という、教曲的な神様の愛と恵みを与えられています。私たちを救うためにご自分の御子を私たちの身代わりに十字架に渡されたのです。Tテモテ2:6。
ダビデは、神様の恵みと慈愛をいつどこで思い出したのでしょうか。6節。荒野での長い夜に思い出しました。どれだけ不安な夜を過ごしていたのでしょうか。神様のことを思い起こしたら、これまで神様が自分の守り、助けであったことを思い出し、荒野にいるけれども、主の御翼の陰にいる思いになって、喜び歌いました。7節。これが賛美です。荒野での不安な夜にも神を覚え、神様の導きと御言葉を深く黙想したのです。この思い起こしと黙想によって、ダビデの心は安らぎ、回復していきました。
V−神の右の手−8〜11
こうして、神の恵みを覚えて賛美するうちに勝利を信じる明確な告白をするようになりました。8節。神様との親密な関係が述べられています。私たちもイエス様の救いを通して神様の愛と恵みを受けているのですから、このような親密な関係を味わうことを願います。
こうして、荒野の訓練を通して賛美するようになったダビデは、自分に反逆し、敵対する者たちは、自分に敵対している人々ではなく、神様に敵対している者として裁かれる者たちだと分かったのです。9〜10節。もう自分の思いはなく、神様に委ねられました。ダビデは、自分に敵対する人々を神様の手に委ねて生きていた神の人でした。若い時にサウル王に追われていた時も、そうしました。これも、荒野の訓練の結果です。
神の民が敵対して来る者に敵対したり、憎んだりしては、彼らと同じになります。神様の手に委ねます。そうすると、どうなるのですか。11節後半。神様が、「偽りを言う者の口が封じられ」ます。
こうして、荒野の訓練を通して勝利の確信を与えられたダビデは、最後に何と言っていますか。11節前半。「神様を喜び、誇る」と言っています。喜ぶと言えば、ウエストミンスター小教理問答の問1「人の主な目的は何ですか」の答えが「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」でした。「神の栄光を表す」は気にしていても、「神を喜ぶこと」は気にいていないかもしれません。どうしてでしょう。
神を喜ぶということは、神様の愛と恵みの経験がなければ、理解できないからでしょう。誰かのことを思ったら喜びが生じるのは、どんな人ですか。好きな人、愛する人ですね。私たちが神様の愛と恵みを経験する時、神様を喜ぶことができます。ですから、イエス様の十字架の御業を通して与えられた神様の愛と恵みをしっかり覚えて、味わいましょう。ヨハネ3:16。
ダビデはいつ神様をさがして神様を覚えましたか。荒野を通る時でした。ダビデはどのようにして神様を喜ぶようになりましたか。荒野での訓練を通してでした。荒野は神様と会うところでした。
神様は、私たちにも荒野の信仰を期待されておられます。私たちにもそれぞれの荒野があるでしょう。振り返ってみて、厳しい荒野を通る経験をされましたか。今荒野を歩いておられる方もいらっしゃるでしょう。荒野の信仰は、環境のとらわれないということでした。荒野で神様を覚え、荒野で賛美できるようになります。ローマ8:28の信仰を持ってください。ダビデのように荒野をよく歩み、荒野の信仰を持つことを願います。
詩篇63篇ダビデの賛歌。彼がユダの荒野にいたときに。
63:1 神よ、あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、衰え果てた乾いた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたをあえぎ求めます。
63:2 私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。
63:3 あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私の唇は、あなたを賛美します。
63:4 それゆえ私は、生きているかぎりあなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。
63:5脂肪と髄をふるまわれたかのように、私のたましいは満ち足りています。喜びにあふれた唇で、私の口は賛美します。
63:6 床の上で、あなたのことを思い起こすとき、夜もすがら、あなたのことを思い巡らすときに。
63:7 まことに、あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。
63:8 私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私を支えてくださいます。
63:9 私のいのちを求める者どもは滅び、地の深い所に行くでしょう。
63:10 彼らは、剣の力に渡され、狐のえじきとなるのです。
63:11 しかし、王は神にあって喜び、神にかけて誓う者は、みな誇ります。偽りを言う者の口が封じられるからです。
詩篇143:6 あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います。 セラ
詩篇118:1 【主】に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
Tテモテ2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。
ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ローマ8:28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画に従って召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
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