2025年2月26日「感謝の賛美」詩篇65:1〜13

序−「いただきます」の意味は、食事を作ってくれた人、食材を準備してくれた人、食材を与えてくれた自然に感謝することだと言われています。その意味が訪日外国人に感銘を与えるそうですが、日本人がその意味を意識して言っているのでしょうか。いや、私たちクリスチャンも神様に感謝しているのでしょうか。感謝について詩篇から学びましょう。

T−祈りを聞かれる方−1〜2
 キリスト教は感謝する信仰です。クリスチャンは感謝する人です。感謝という言葉を多く使います。聖書は、「すべてのことについて感謝しなさい」と勧めています。Tテサニケ5:18。感謝することは、神様がイエス様の救いを通して私たちに望んでおられることなのです。もちろん、神様が感謝してほしいから求めておられるわけはありません。感謝することが、信仰者にとって大切な、必要不可欠なことだからです。ダビデは、感謝の詩篇を最も多く残しています。65篇もそうです。感謝の賛美を歌っています。
 はじめは、祈りを聞いてくださる神様への感謝です。1〜2節。当たり前のことのようですが、本当にダビデという人は、神様が自分の祈りを聞いてくださる方と本気で堅く信じていた人です。だから、どんな時でも、どんなことでも神様に祈りました。辛い時や悲しい時は嘆いて祈りました。不安な時や恐れる時は、必死に懇願しました。危機の時も真実に拠り頼んで神様に祈り委ねました。これまで学んで来た通りです。
 そして、神様がダビデの真実な祈りに応えてくださいました。多くの人々の祈りが、ダビデの祈りと違うのは、祈った通りしてくれるなら、真剣に祈るのだけれどもという姿勢です。誰かから頼まれる時、ちゃんとやってくれると分かれば、信頼して頼むのですがと言われて、いい気分で頼み事を引き受けようとするでしょうか。そんな失礼なことを神様に対してしていないでしょうか。
 ダビデは、自分のことを率直に神様に祈りました。まるで、神様と会話しているようです。神様は、私たちの不安や悩み、痛みや弱さもよくご存知です。誰よりも私たち自身を知っておられ、自分を真実に愛してくださっておられる神様にどれほど感謝しているでしょうか。ダビデのように真実に神様に信頼して祈る者は、祈りながら自分と共におられる神様を確認することができます。神様が自分と同行し、祈りを聞いてくださることが確信できます。このことを信じることができる人と、信じないで生きる人とでは大きな違いが出て来ます。
 詩篇103:1〜2を見てください。なぜ、神様に感謝してほめたたえよと繰り返し言っているのですか。その理由は、「主の良くしてくださったこと」が多くあるからです。それら一つ一つを忘れないならば、感謝せずにはいられないからです。私たちの人生もそうではないでしょうか。確かに苦しいこと辛いこと、うまく行かないことが多くあります。祈りはぜんぜん聞かれないと感じることもあります。しかし、良く考えてみれば、神様は多くの祈りを聞いてくださり、よくしてくださったことを思い出すことができるのです。
 ロビンソン・クルーソーの漂流記は、作者ダニエル・デフォーの人生の試練や苦悩と深く関わる信仰告白の書でもあります。ロビンソンは漂着後すぐに、受けた不幸と感謝できることを対照して書き出しました。その結果、「私は自分の境遇の、暗い面よりも、明るい面に注意を向けて、私に不足しているものではなくて、私が持っているもののことをもっと考えるようになり、そのために私は言いようがないほどの平安を感じるようになった。我々が感じる不満のすべては、我々が持っているものに対して、感謝の念を抱くことがないことから生じているように、私には思われた」と言っています。

U−罪を赦してくださる主−3〜5
 次にダビデが感謝したことは、神様が罪を赦してくださったことです。3〜4節。ダビデは多くの強い敵と戦い勝利し、イスラエル王国を統一しました。ただ一つ勝てないことがありました。それは、ダビデの内面に生じる罪の思いでした。そのために、罪に堕ちることがありまました。ダビデは、大きな王国を建て上げたという満足感で気が緩み、夕方に起きて屋上を散歩していた時に、美しい女性を見つけ、王宮に召して妊娠させました。それを隠すために夫を戦場で死ぬようにさせました。Uサムエル11章。十戒のうち6〜9戒の罪を犯したのです。
 3節の「数々の咎が私を圧倒しています」というのは、その自分の犯した罪がとても多くて重いということです。罪の奴隷となって、自由ではなくなったということです。ダビデは、バテシェバ事件の後、自分が大変な罪人であることを痛感したからです。自分がひどい罪人であることに気付いたダビデは、罪の奴隷から解放されるために、神様に罪を告白し、赦しを求めました。詩篇51:1〜4。ダビデは、罪を悔い改めて神様に告白したので、赦されました。ダビデは、自分を神様が赦してくださったことを感謝しています。詩篇32:1。神の民は、礼拝するために聖所に来るたびに、罪の赦しを意識しなければなりません。
 神様は、救った者をどうしてくださったのでしょうか。4節。神様は、救った者をそのままに置かないで、ご自分に近づけさせてくださいました。これは、罪赦された者の大きな恵みです。救いに「選ばれた」ということも恵みです。そうすると、救われた者はどんな生活をするのでしょうか。神様の大庭に住み、その家の良いもので満ち足りると言っています。教会での礼拝生活を通して、神様から恵みや祝福を受けるようになるということです。
 3節の「私たち」とは、今礼拝をささげている「私たちも」含まれています。私たちは、どうして救われたのですか。イエス様が私たちの罪を負って十字架にかかってくださったからです。Tペテロ2:24。罪を悔い改めて、神様に告白した私たちも、罪を赦されて、きよめられています。Tヨハネ1:9。こうして神様に近づき、礼拝の生活を通して祝福を受けられる者にされたのですから、罪赦されたことを感謝して、歩みましょう。イエス様の十字架という犠牲の御業によって救われていることを感謝します。5節。

V−人生を潤してくださる神様−6〜13
  そして最後に、自分の人生に恵みを与えてくださった神様に感謝しています。6〜8節。山と海を創造し、統べ治めておられることを感謝しています。人も、自然と同様に神様の御手によって創造され、支配されている被造物です。ですから、自然のすべてを感謝し、神様を賛美しています。「最果てに住む者」とは、神様のことを知らないで生きていた者たちのことですが、自然を通して、神様の存在を思うようになります。8節。自然が維持されているのも神様の御手によることであり、朝夕がめぐって来ることも神様の愛と憐れみであることを悟るようになります。一日生きること自体が奇跡であり、恵みであることを覚えて、感謝します。
 9節を見ると、神様が雨を降らせて、大地を潤し、穀物の実りを与えてくださった恵みを感謝しています。この地域において、水は貴重なものです。「神の川」とは、神様が水を供給しておられるということです。水が供給されなけば、農業をすることができません。自然を司る神様は、神様に信頼して従う者に、自然を通して恵みを与えてくださると約束されています。申命記28:12。神の民にとって、水は命を意味していました。水がなければ、砂漠になります。イエス様に救われた私たちも、イエス様から霊的な命の水を与えられて生きることができます。ヨハネ4:14。
 人は、自分の力で働いて、自分の力で生きているように思っていますが、このような土地で自然の中で生きて行くならば、神様によって生かされているということがよく分かり、神様に感謝するようになります。10節。いくら人が一生懸命土地を耕し、種を蒔き働いたとしても、神様が雨を降らせてくださなければ、実りはありません。ですから、私たちが仕事をして生活し、家庭が守られ、世の中が動いて行くのも神様の恵みです。私たちがこうして学び、働き、生活できること自体、神様に感謝しなければならないことなのです。感謝すれば、なお恵みが分かり、祝福されます。
 ロビンソン・クルーソーに作者ダニエル・デフォーが言わせているように、私たちが感じる不満や不幸のすべては、私たちが感謝の念を抱くことがないことから生じていたのです。
 そして、一年を振り返ると、神様が大地を潤して、羊を養わせ、穀物を実らせてくださったことを感謝しています。11〜13節。日本人が古来より持っている自然観に近いものを感じます。自然を征服しようとする高慢は自然を破壊して自分たちを苦しめます。自然の中で生かされている謙遜さを持って感謝すべき存在が人であるということです。
 感謝は、実が結ぶのを助ける栄養素です。感謝する人たちに、心の実、人生の実が実るようになります。感謝は、私たちの未来を祝福することになります。私たちの持っている才能や力などがあっても、神様の祝福と恵みがあるから実りがもたらされるのです。悲惨な状態に置かれたように見えたとしても、それでも感謝できる要素はあります。時々生活に問題が発生しますが、そのような状況の中でも感謝することはあるでしょう。すべてのことについて感謝して生きる人生となることを願います。Tテサニケ5:18。


詩篇< 65 > 指揮者のために。賛歌。ダビデによる。歌。
65:1 神よ、御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。
65:2 祈りを聞かれる方よ、みもとにすべての肉なる者が参ります。
65:3 数々の咎が私を圧倒しています。しかし、私たちのそむきを、あなたは赦してくださいます。
65:4 幸いなことよ、あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家の良いもの、あなたの聖なる宮のもので満ち足ります。
65:5 私たちの救いの神よ。あなたは恐るべきみわざで、義のうちに答えられます。あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の信頼の的です。
65:6 あなたは、御力によって山々を堅く据え、大能を帯びておられます。
65:7 あなたは、海のとどろきを静められます。その大波のとどろき、もろもろの国民の騒ぎを。
65:8 最果てに住む者も、あなたの数々のしるしを恐れます。あなたは、朝と夕べの始まる所が、高らかに歌うようにされます。
65:9 あなたは地を訪れ、水を注ぎ、これを大いに豊かにされます。神の川は水で満ちています。あなたは、こうして地を整え、人々の穀物を備えてくださいます。
65:10 地のあぜ溝を水で満たし、その畝をならし、夕立で地を柔らかにし、その生長を祝福されます。
65:11 あなたはその年に、恵みの冠をかぶらせます。あなたの通られた跡には、油が滴っています。
65:12 荒野の牧場に滴り、もろもろの丘も喜びをまとっています。
65:13 牧草地は羊の群れをまとい、広やかな平原は穀物を覆いとしています。まことに喜び叫び、歌っています。


Tテサニケ5:18 すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

詩篇103:1 わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。
103:2 わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

詩篇51:1 神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。
51:2 どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

Tヨハネ1:9 もし、私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義から私たちをきよめてくださいます。

詩篇32:1 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。

申命記28:12 主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。

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