2025年3月2日「神が私の魂になさったこと」詩篇66:1〜20

序−良いことや感謝なことがあった時に、賛美が鼻歌のように出て来るでしょう。それを見た人が「何か嬉しいことあるの」と聞かれ、話すことになるでしょう。詩篇66篇も、嬉しい感謝なことがあって賛美が口から出ています。それも喜びと感謝で心が高揚して賛美しています。その高揚感が「神が私のたましいになさったことを」聞いてほしいという気持ちとなりました。何を聞いてほしいのでしょうか。ぜひとも聞きたいです。

T−さあ、神のみわざを見よ−1〜7
 この詩篇の詩人は、すべての人々を神様への感謝の賛美に招待しています。1〜2節。いや、招いているというより、人は神様の御前に出て来て、賛美をささげなければならないと言わんばかりです。「喜び叫べ」「ほめ歌い」「栄光を帰せよ」の動詞はみな、命令形です。
 どうして、このように強く招いているのでしょうか。その理由は、3〜4節です。「恐ろしい」と訳されている言葉は、怖いというのでなく「驚きと畏敬の念をおこさせる」という意味です。人々は神様のなさることに驚き、恐れ、偉大な神様の御力に敵までもひれ伏すと言うのです。それで、人々はみな、神様の御前に伏し、賛美するようになるのです。
 いったい神様のなさることは、どんなことなので、敵までもひれ伏し、人々が驚き恐れるのでしょうか。その疑問に答えるかのように5節で説明してくれます。「神のみわざを見よ」と力強く言っています。それは、6節で「海を乾いた所とされた」「人々は川の中を歩いて渡った」というように、出エジプトの時、神の民に対して神様が行われたことを指しているようです。しかし、出エジプトという過去の出来事を言っているのに、「さあ、神のみわざを見よ」と現在形で記されています。どういうことでしょうか。
 「海を乾いた所とされた」などという出エジプトの出来事は、その時だけのことではありません。現在もこれからの起こることだということです。古代の人々は、自然を通して神様の存在を覚え、恐れを感じました。こうして、出エジプトの出来事を思い出させているのは、聖書の神様こそ、自然を治められるお方であることを明らかにしているのです。7節。現代は不確実の時代であり、社会も自然もどんどん変化して行きます。それでも、十字架の死を復活の栄光に変える神様を信じて行くのです。
 「さあ、神のみわざを見よ」と、あたかもその場にいるように、神様のなさることを見て喜んでいます。私たちも、イエス様の十字架と復活の出来事をその場にいるように思い、驚き喜びたいのです。そこから、ぜひ救いの福音を聞いてくださいと証しが出て来るでしょう。詩人の言う「神が統べ治められる」という一言に、聖書の神様を信じて生きて行く人生の確かさがあります。詩篇47:8。イエス様を信じて天国へ行くことができるようになったということよりも感謝なことはありません。そこに、信仰で生きて行く人生の確かさがあります。ピリピ3:20。

U−私たちを試し、精錬された−8〜12
 次に、詩人は命を保ってくださる神様を賛美しています。8〜9節。命の危険があり、足を揺るがすことがあったからです。出エジプトの出来事は、神の民が救いと喜びを体験した出来事として思い出すだけでなく、救われる前の試練や苦難をも思い出させます。神の民の歴史を見ると、罪や苦難と救いという流れが繰り返されていることが分かります。救われる前に経験した苦しみや試練について、語っています。
 私たちは、イエス様を信じて救われ、恵みや祝福を受けましたが、現実はなお厳しく、苦難や試練もあります。私たちの人生に起こって来る問題や苦難に心乱され、痛みます。だからこそ、私たちに必要なことは、神様から目を離さないことです。どんな中にあっても、賛美することをやめないことです。そうすれば、私たちは信仰によって生きることができます。
 サタンが私たちを揺さぶり信仰から離そうとする時、まず私たちの生活から神様への感謝を取り除こうとします。神様への不信や不満を抱かせます。けれども、どんな問題や試練があっても、神様を信頼して御言葉に生きて行く信仰者は、賛美をやめません。私たちが神様を賛美すると、神様の慰めと喜びが心に広がって来ます。揺れ動いた心が落ち着き、平安に導かれます。
 そこで、詩人は私たち信仰者たちが分かるように、試練の意味を例えによって教えてくれます。10節。神様は、試練を通して私たちを試し、銀を精錬するように、私たちを練られたというのです。もし、信仰者が自分の経験している試練や問題が何も意味がない、ただ苦しむだけだと思うなら、とても耐えられません。しかし、詩人は神の民が経験している苦しみを自分の信仰を精錬するものとして理解しているのです。
 こう言うと、なにもかも神様からの試練だ、神様はひどいと考えるかもしれませんが、そう言うことはできません。なぜなら、それは誰にも分からないことだからです。私たちは、イエス様を信じて救われ、信仰に生きている者にも人生において様々な問題が起きます。どうしても受け入れ難い、理解できない試練もあります。その度に、私たちへの戒めかと考えることも、私たちの判断を超えていることです。
 そのような時、私たちがすべきことは、試練を通して信仰が精錬され、ますます信仰に生きるようになることです。詩人は、「銀を精錬するように」と言っています。精錬とは、地中から掘り出される金属には、他の物質や不純物が多く含まれていますが、それを炉で精錬して純粋な金属を取り出すことです。神様は、試練を通して、私たちの中にある不純物を取り除いて、純粋な信仰にしてくださるのです。
 どのようなことを通して、私たち信仰者を精錬されるのか、見てみましょう。11〜12節。時には、網に捕らえられた魚や鳥のように問題や試練に捕らえられて身動きできないような経験をします。問題や試練が重い荷物となって押しつぶされるように感じることもあります。人々に踏みつけられているような恥辱を受けなければならない場合もあるということです。確かに私たちは、度々そういうことを経験します。でも、それを通して信仰が精錬され、不純物が取り除かれ、信仰が整えられると分かれば、受け止め方や取り組み方が大いに違って来るでしょう。
 12節の後半に目を留めてください。「しかし、あなたは私たちを、豊かな所へ導き出してくださいました」と証ししています。ここに希望があります。神様の助けは、人の思いや考えを越えています。私たちがどんなことに出会っても、希望を失ったり、諦めたりする必要はありません。私たちが忘れてならないことは、神様が私たちを見捨てたりなされないし、助けたいと願っておられるということです。

V−私のたましいになさったことを語ろう−13〜20
  詩人は、すべての人々が神様を賛美しなければならない理由を話した後に、自分自身個人として神様を賛美している理由を証ししています。13〜20節。これまでの「私たち」から、「私」に変わっています。13節のことは、詩人が神様にささげる供え物を持って行って神様を賛美して、礼拝するということです。このことは、苦しみの時に祈り、そうすると詩人が決めたことだからです。14節。詩人が苦しみにあった時に、苦しみから救ってくださるように祈り、後に感謝のささげ物をしますと申し出たのでしょう。
 人は、苦しみの中で祈りながら、苦しみが終わった後、祈ったことを忘れることが時々あります。私たちも、祈ったことを忠実に行うことを忘れてはいないだろうかと省みさせられます。ハンナは、「神様が願い通りかなえてくださったので、私もまた誓いを果たします」と言って、息子サムエルを神殿に仕える者としてささげ、礼拝しました。Tサムエル1:27〜28。
 感謝が心に溢れる詩人は、賛美をささげながら、「神が私のたましいになさったことを聞いてください」と宣言しています。16節。「さあ、聞け」と命令形で言うほど、話したくて、証ししたくてしょうがないという思いです。詩人が聞いてほしかったことは、「確かに神は聞き入れ、私の祈りの声に耳を傾けてくださった」ということです。19節。「神様が私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった」と証しせずにいられませんでした。20節。
 これが、証しです。証しは自分に起こったことが嬉しくて、感謝で、聞いてほしい、話したいという自然な思いから出て来るものです。あるクリスチャンが「自分が救われて信仰生活をしていることは、自分にとっては分けてあげたい素晴らしい宝物です」と家族に話したそうです。それを聞いた他のクリスチャンが大変感動しました。自分もそうしたいと思ったのです。自分が経験した信仰の確かさ、自分が感動した御言葉を話したい、聞いてほしいという自然な思いが他人に伝わります。
 私たちは、神様に祈りに応えてくださることを願うだけでなく、神様に対してふさわしい礼拝と賛美をささげるべきです。私の祈りを聞いてくださった、祈りに応えてくださったという感謝の思いにあふれて賛美し、礼拝をささげて行くことを願います。詩篇71:14〜15。



詩篇66  指揮者のために。歌。賛歌
66:1 全地よ、神に向かって喜び叫べ。
66:2 御名の栄光をほめ歌い、神の誉れに栄光を帰せよ。
66:3 神に申し上げよ。「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のために、あなたの敵は、御前にへつらい服します。
66:4 全地はあなたを伏し拝みます。あなたをほめ歌いあなたの御名をほめ歌います。」 セラ
66:5 さあ、神のみわざを見よ。神の人の子らになさることは恐ろしい。
66:6 神は海を乾いた所とされた。人々は川の中を歩いて渡った。さあ、私たちは、神にあって喜ぼう。
66:7 神はその御力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を見張られる。どうか、頑迷な者を高ぶらせないでください。 セラ
66:8 国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神をほめたたえる声を響き渡らせよ。
66:9 神は、私たちたましいを、いのちのうちに保ち、私たちの足を揺るがされない。
66:10 神よ、まことに、あなたは私たちを試し、銀を精錬するように、私たちを練られました。
66:11 あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷を負わされました。
66:12 あなたは人々に、私たちの頭をまたがらせ、私たちは、火の中、水の中を通りました。しかし、あなたは私たちを、豊かな所へ導き出してくださいました。
66:13 私は全焼のささげものを携えて、あなたの家に行き、私の誓いをあなたに果たします。
66:14 それは、私の苦しみのときに、唇を大きく開き、この口で申し上げた誓いです。
66:15 私は肥えたものを全焼のささげ物として、雄羊のいけにえの煙とともに、あなたに献げます。雄牛を雄やぎとともに献げます。 セラ
66:16 さあ聞け、すべて神を恐れる者たちよ。神が私のたましいになさったことを語ろう。
66:17 私は、この口で神に呼び求め、この舌であがめた。
66:18 もしも、不義を私のうちに見出すなら、主は聞き入れてくださらない。
66:19 しかし、確かに神は聞き入れ、私の祈りの声に耳を傾けてくださった。
66:20 ほむべきかな、神。神は私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。


詩篇71:14 しかし私は、絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美します。
71:15 私の口は絶えず語り告げます。あなたの義と救いとを。その全部を私は知っておりませんが。

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