2025年3月23日「泥沼に沈みから賛美へ」詩篇69:1〜36
序−ある詩人は「詩は感じられる思想であり、感覚による認識である」と言っています。作者の深い感情が表現され、読者もそれに共感します。詩は、心理療法にも用いられ、詩を読むことにはメンタルへの効果があるそうです。詩篇69篇は、詩人の苦しみや絶望、恥辱や孤独の感情が多く記されています。読む者の深い感情に触れてくれます。
T−深い泥沼に沈み、大水の底に陥り−1〜
ダビデ王は、大きな国を立てた人でしたが、普通の人々が出あうことのない苦難と恥を受けた人でした。けれども、その苦難と恥を信仰で克服し、神様が拠り頼むべき救いであることをその人生を通して世に表わした人でした。詩篇を読むと、私たちはその中に自分の感情を見ることができます。そして感情的な反応が起こります。感情や苦しみは、神様との関係の一部です。この詩篇は苦しみや痛みから生まれ、今苦しみ痛んでいる人に語りかけています。ですから、この詩篇を通してカウンセリングや治療を受けることができます。
この詩篇は、メシヤ詩篇と呼ばれます。イエス様の体験となっているからです。この詩篇の作者は、精神的な苦難の中にありました。1〜3節。詩人は自分の精神的な苦しみについてどのように説明していますか。泥沼に沈み、大水の底に陥っています。今受けている苦しみは、まるで深い泥沼に陥っているようだ、首までつかっている、足場もないということで、危機的絶望状態に陥っていることが表現されています。そして、絶望の中で神様を呼び求め、疲れ果てています。何の答えも聞くことができません。絶望だけが残るでしょう。聖徒たちにとって、最も苦しい辛い時です。
詩人がこのような苦しみにあった理由は何ですか。4節。人々から敵対され、憎しみを受けていたということです。それも、その多くは自分のせいでなく、ゆえなく憎しみを受けていたのです。理由もなく憎まれれば、耐え難いものです。もし私たちが不当な扱いを受けたとしても、戸惑わないでください。イエス様でさえそのような状況に耐えたと思えば、その意味を思うことができます。ヨハネ15:25。
そして、詩人は、なぜそのように敵対する者から救い出してくれるように嘆願するのか、その理由を言っています。まずは、自分の愚かさです。5〜6節。詩人は、自分が何をしたかよく分かっています。自分の愚かさや罪をわきまえています。もう少し気をつけて身を処していたら、と悔やんでいます。時には、罪の問題が人の心に入り込み、心を病気にさせることもあります。その気付きは、「神様を待ち望む者たちが私のために恥を見ないようにしてください」という思いに導かれています。詩人は、他の神様を待ち望む者への影響まで考えています。私たちの信仰は、自分一人の信仰の問題で終わることではありません。私たちを見ている人々が、私たちの信仰の結果を静かに見ています。詩人は、今このことも神に責任を取り扱ってほしいと求めているのです。
詩人が人々から受けていたのは、そしりや侮辱です。7節。嘲りや物笑いの種となり、うわさ話とされました。10〜12節。イエス様も人々からそしりを受けました。ルカ23:11。しかし、ののしり返さず、神様に委ねられました。Tペテロ2:23。ののしりや侮辱、嘲りから生じるのは、恥辱の感情です。恥辱の感情を放っておくと、他人に向かえば責めや怒りの感情となり、自分に向かえば不安や抑うつ、絶望の感情となります。恥辱を長く経験すると、脳にも影響を及ぼして自己否定や不安、依存症などの障害を引き起こし、精神的な疾患につながることもあるそうです。これは詩人だけでなく、私たちにとっても問題です。でも、神様から高価で尊いと言われ、愛されていることを感謝します。イザヤ43:4。
詩人は、そのような絶望や恥辱に加えて、孤独も感じていました。8〜12節。家族や周りの人々から信仰のゆえにのけ者よそ者とされ、嘲りを受けたというのです。物笑いの種となりうわさ話をされれば、孤立感を覚えます。孤独や孤立感も、大きな問題です。テレビや映画などの華やかな世界にいながら、薬の過剰摂取で孤独の中でなくなる人がいます。たとえ孤独や孤立を感じるとしても、神様がともにおられ、自分を覚えてくれる人がいます。
U−しかし、主に祈ります−13〜29
そのような苦難と絶望、恥辱や孤独の中で心痛め、傷付いていた詩人はどうしましたか。13〜19節。13節で「しかし私は、主よ、あなたに祈ります」と宣言しています。そうです。そのような苦難と絶望、恥辱や孤独の中でも神様に拠り頼んで祈ると強調しています。自分の考え方を改め、絶望や恥辱、孤独や痛みを感じる中で神様に助けを求めます。苦難や問題が続くと祈れなくなる、神様に拠り頼まなくなるという逆の反応になることもあるかもしれませんが、それは、逆効果です。苦難や不安が続き、大きくなることになります。泥沼から切なる思いで神様を拠り頼み、祈るのです。詩篇40:1〜2。
ここでも泥沼、大水、深い淵というのは、詩人が今あっている危険な状況、絶望をあらわしています。14〜15節。とてもその危機的状況から自分を救うことができません。だから、祈ります。ところが、しばし聖徒たちが祈っても、神様は祈りに答えてくれないと不平を言うことがあります。13節を見てください。詩人は「みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください」と言っています。神様が私たちの祈りに答えてくださるのは、義務ではなくて、恵みだというのです。神様が私たちの祈りを聞いてくださるのが義務であるかのように考えていないでしょうか。そうだとすると、祈りは感謝ではなくて、不平と恨みに終わることが多くなるでしょう。
私たちは、苦難や問題の中で、自分はどういう存在かと問わなければなりません。神様から「高価で尊い、わたしはあなたを愛する」と言われる存在なのだ、神様が自分の代わりに御子イエス様を十字架に渡すほどに愛されている存在だということです。ヨハネ3:16。神様は愛であり、愛によって行動してくださいます。その愛を信じるならば、不の感情から解放されます。御言葉のカウンセリングを受けましょう。祈りを通して治療を受けてください。とりなしの祈りという支援を受けるのです。
何よりも、私たちは恵みによって救われているということです。詩人も、神様の救いを確信しているから、力強く祈っています。14,18節。18節では、贖うという意味の別の言葉を繰り返しています。イエス様が十字架の上で私たちの罪の負われました。私たちは、それによって罪赦され、癒されています。ですから、絶望や恥辱、孤独からの解放を神様に求めることができるのです。
その後、詩人はもう一度、自分が受けた痛みや苦しみの感情を繰り返し述べています。19〜28節。嘲りや侮辱を受けて、病気になっていることを語っています。19〜20節。周囲の人が助けてくれず、孤独を感じていることを繰り返しています。21〜28節。切実な祈りにもかかわらず、慰めを得ることができずに苦しんでいました。20節の嘲りの原語は、非難、恥辱、恥、軽蔑、侮辱などの意味があります。人に見捨てられたイエス様の絶望的な状況を表しています。マタイ26:56。イエス様は、様々な罵りや嘲り、恥辱を受けました。21節の渇いたときには酢を飲ませたことも、イエス様は十字架上で受けられました。ヨハネ19:32。
V−癒してくださる神様を賛美する−29〜36
29節には、訳されていませんが、文頭は「しかし」です。「しかし、私は苦しんで、痛みの中にいます」と言っているのです。つまり、祈っても、苦しみや痛みは残りますが、慈愛に満ちた神様、天地の造り主である神様が私を救ってくださると確信しているのです。私が神様に求めて祈るなら、私の心を癒し、私の病を治してくださると確信したのです。
このことは、苦しみの中で証ししているパウロの信仰と同じです。Uコリント12:9〜10。苦難と絶望、恥辱や孤独の中にいた詩篇69篇の詩人と同じように、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難の中にいたパウロは、主の力が自分の弱さのうちに完全に現れるから、弱い時に強いと証ししています。詩人やパウロのように苦難や弱さの中でも神様を信頼して行くなら、今はそうでなくても、神様の恵みや癒しがあるという真理です。
この信仰に立てた詩人は、その後何をしていますか。30〜36節。賛美しています。苦難と絶望、恥辱や孤独の中でも、賛美で終わることができます。詩篇40:1〜3と同じです。32節では、「神を求める者たちよ、あなたがたの心を生かせ」と言っています。圧倒的な感情の渦の中でも、詩人は神様の慈愛と救いを確信して、自分を生かしてくださる神様に寄り頼んでいます。私たちが心のストレスや病の中にあったとしても、神様の癒しを確信して生きていくことができます。
詩篇は、神の民が集まって礼拝し、信仰を告白して、互いを支えるために歌った礼拝の歌です。そこには人の感情についての詩があります。詩篇69篇は、苦しみや恥辱、孤独の中にいる詩人の感情が豊かに表現されていました。その中に私たちの感情を発見することができました。そのような感情の詩を歌う中で、賛美する者の感情も取り扱われ、癒しや励まし、希望や喜びが与えられます。詩篇40:1〜3。
詩篇< 69 > 指揮者のために。「ゆりの花」の調べにのせて。ダビデによる。
69:1 神よ、私をお救いください。水が喉にまで入って来ました。
69:2 私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り、奔流が私を押し流しています。
69:3 私は叫んで疲れ果て、喉は渇き、目も衰え果てました。私の神を待ちわびて。
69:4 ゆえなく私を憎む者は、私の髪の毛よりも多く、私を滅ぼそうとする者、私の敵、偽り者は強いのです。それで、私は、奪わなかった物さえ、返さなければならないのですか。
69:5 神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。
69:6 万軍の神、主よ、あなたを待ち望む者たちが、私のために恥を見ないようにしてください。イスラエルの神よ。あなたを慕い求める者たちが、私のために卑しめられないようにしてください。
69:7あなたのことで、私はそしりを受け、侮辱が私の顔をおおっているのです。
69:8 私は自分の兄弟から、のけ者にされ、母の子らには、よそ者となりました。
69:9 それは、あなたの家を思う熱心が、私を食い尽くし、あなたを嘲る人々の嘲りが、私に降りかかったからです。
69:10 私が断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私への嘲りのもととなりました。
69:11 私が粗布を自分の着物とすると、私は彼らの物笑いの種となりました。
69:12 門にすわる者たちは私のうわさ話をし、私は酔いどれの歌になりました。
69:13 しかし私は、主よ、あなたに祈ります。神よ、みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。
69:14 私を泥沼から救い出し、私が沈まないようにしてください。私を憎む者どもから、大水の底から、救い出してください。
69:15 本流が私を押し流さず、深い淵が私を呑み込まず、穴が私の上で口を閉じないようにしてください。
69:16 主よ、私に答えてください。いつくしみ深いあなたの恵みのゆえに、あなたの豊かなあわれみにしたがって、私に御顔を向けてください。
69:17 あなたのしもべに御顔を隠さないでください。私は苦しんでいます。早く私に答えてください。
69:18 私のたましいに近づき、これを贖ってください。そうして、私の敵から私を贖ってください。
69:19 あなたはよくご存じです。私への嘲りと、恥と侮辱とを。私に敵対する者はみな、あなたの御前にいます。
69:20 嘲りが私の心を打ち砕き、私はひどく病んでいます。私は同情を求めても、それはなく、慰める者たちを求めても、見つけられません。
69:21 彼らは私の食べ物の代わりに、毒を与え、私が渇いたときには酢を飲ませました。
69:22 彼らの前の食卓は罠となり、栄えるときに、落とし穴となりますように。
69:23 彼らの目は暗くなり、見えなくなりますように。その腰がいつもよろけますように。
69:24 あなたの憤りを、彼らの上に注いでください。燃える怒りを、彼らに追いつかせてください。
69:25 彼らの陣営が荒れ果て、彼らの天幕から住む者が絶えますように。
69:26 彼らは、あなたが打たれた者を迫害し、あなたに刺し貫かれた者の痛みを言いふらします。
69:27 どうか、彼らの咎に咎を加え、彼らをあなたの義の内に入れないでください。
69:28 彼らがいのちの書から消し去られますように。正しい者と並べて、書き記されることがありませんように。
69:29 私は苦しんで、痛みの中にいます。神よ、御救いが私を高く上げように。
69:30歌をもって私は神の御名をほめたたえ、感謝をもって私は神をあがめます。
69:31 それは、雄牛にまさって主に喜ばれます。角が生え、ひづめが割れた若い雄牛にまさって。
69:32 心の貧しい人たちよ、見て喜べ。神を求める者たちよ、あなたがたの心を生かせ。
69:33 主は、貧しい者に耳を傾け、捕らわれたご自分の民を蔑まれない。
69:34 天と地よ、主をほめたたえよ。海とそこにうごめくすべてのものも。
69:35 まことに神は、シオンを救い、ユダの町々を建て直される。彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。
69:36 主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住む。
ヨハネ15:25 これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。
詩篇40:1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、
40:2 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。
40:3 主は、私の口に、新しい歌、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。
Uコリント12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
12:10 ですから私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
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