2025年3月30日「神よ、私を救い出してください」詩篇70:1〜5

序−私の子どもが小さい時、「詩篇には敵をやっつけてくださいと書いてあるけど、クリスチャンはそれでいいの」と質問して来たことがありました。私たちは、どうでしょうか。詩篇のそのような文言を見つけては同感したり、それでいいのかと思ったりしたでしょう。では、本当のところはどうなのでしょう。詩篇はどう教えているのでしょうか。

T−急いで私を助けてください−1、詩篇40:13
 まず、詩篇70篇の表題を見てください。「記念」と記されています。原文の言葉は、「思い出す」という意味です。この詩篇は、詩篇40:13〜17とほとんど同じ文章です。詩篇40篇からこの部分を取り出し、神をほめたたえる礼拝に用いていたのでしょうか。同じ詩篇が二度も繰り返されているということは、神様に拠り頼む者の心情を代弁してくれているからです。神の民は、切迫した問題や困難がある時、この詩篇70篇を読んで、神様に助けを求めました。ダビデは、この詩篇で神様を待ち望むすべての聖徒たちにとって、神様の助けになることを証ししています。
 私たちが、人生においてとても緊急な助けが必要な問題に出会うことがあります。そんな時、至急助けがほしいと願い、祈ることができるのです。1節。ダビデは、自分が危機的な状況にあることを訴え、急いで助けてくれるように懇願しています。詩篇40:13。これまで忍耐して待っていたとしても、今は切羽詰っています。急いで助けてほしいと祈っています。問題に取り囲まれています。私たちはどうですか。私たちの周りの人たちはどうですか。仕事の困難、家庭の混乱、心の病、人間関係の問題など様々なことで緊急な助けの要請が必要な時があるでしょう。
 この詩は、ダビデの個人的な体験に基づくものですが、多くの聖徒たちの共感を得、繰り返し読まれました。なぜなら、イエス様がこう言われたからです。ヨハネ15:18〜19。事実、今日まで敬虔に生きようとする者は、人々からの嘲りと迫害を受けて来ました。Uテモテ3:12。
 詩篇40篇は、ダビデがサウル王から追われている時期が作られた詩篇だと言われています。しかし、不思議なことに、ダビデの詩篇見ると、そのような切迫した状況なのに、サウルがどうした、サウロが何を言ったとは言っていないのです。ダビデが詩篇にその名を残すほどの信仰者として生きることができたのは、自分を苦しめ切迫した問題の本質が何かを知っていたからです。自分が出あっている問題が人からではなく、霊的な存在から来たことを気付いていたからです。人はどうでしょう。自分の心を傷付けた誰かの言動をあげ、その人の名をあげて怒りや文句を言うのではないでしょうか。ダビデの祈りが私たちに参考になります。
 この1節の祈りのポイントは、至急救い出してください、急いで助けてください、急いで祈ることです。クリスチャンは、神様の助けが必要な時、すぐに祈るべきです。一般に事故や病気で緊急な助けが必要な時、人は何をしますか。119番に電話して救急車を呼びます。この1節のような緊急の祈りは、まさに神様への119番です。問題や困難で失望落胆する時、人の言動で心傷付き恐れる時、自分が興奮し怒りそうな時、間違った判断をしそうになった時、緊急に祈らなければなりません。急いで助けの要請を祈らないと、肉の思いや罪の言動が出やすくなるからです。
 神様に寄り頼む者にとって、このような祈りはまさに特権です。なぜ神様はこのような時助けなければならないのですか。ここで太字の主が使われていますが、ヤハウェ「自ら存在される方」という意味です。神様がこの太字の主を神の民との間に用いられる時、契約で一つとなったという意味です。イエス様の十字架を信じて救われた時から、結婚した夫婦の約束のような関係になったのです。イザヤ54:5。

U−あざ笑う者たちが恥をかいて、立ち去るように−2〜3, 詩篇40:13〜14
 では、詩人を危機的な状況にさせた者について、どう言っているのでしょうか。2〜3節。ここが問題となる表現です。「私のいのちを求める者たちが、恥を見、辱められますように」「私のわざわいを喜ぶ者たちが退き、卑しめられますように」「『あはは』とあざ笑う者たちが、恥をかいて、立ち去りますように」と祈っています。確かに、敵に対して報復してほしいという祈りは、イエス様が言われた「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と比べれば、聖徒がそんなこと言っていいのかとなるでしょうか。マタイ5:44。
 私たちの命を求めないとしても、私たちの災いを喜び、あざ笑う人が現れるかもしれません。そんな時私たちは、どう対処するでしょうか。祈りと言えば、イエス様の「彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないのです」という十字架上での祈りや、石打ちにされたステパノの「彼らにこの罪を負わせないでください」という祈りに比べれば、報復するようなことを祈っていいのかとなります。ルカ23:34,使徒7:60。
 しかし、詩人は、世の人々が報復するように、自分にひどい言動に及んだ人に対して、実際に恥をかかせたり、辱めたり、卑しめたりはしていません。神様に祈るだけです。ここに大きな違いがあります。詩人たちが敵に対して報復してくださるように祈ったのは、自分の復讐心を満足させることではなく、その動機は神様の栄光のためであることが分かります。悪者を戒めることを通して、神様が義なるお方であることを明らかになるためでした。神様は、悪者が戒めを受けて、悔い改めて、神様に立ち返って来ることを望まれておられます。エゼキエル33:11,使徒3:19
 聖徒たちが、悪者の罪を赦してくださるように祈ったのも、神様が愛なるお方であることを人々が知るためでした。結局、聖徒たちの祈りは、神様のことが知られることでは同じでした。聖徒たちが望んだのは、神様の栄光があらわされることでした。私たちに教えているのは、詩篇のように祈ることでも、それは憎しみから出るのではなく、神様の栄光のためという目的から出なければならないということです。Tコリント10:31。
 悪者は、聖徒たちを攻撃しますが、聖徒たちは攻撃しません。実際ダビデは、自分を付け狙うサウル王から逃げるだけでした。大変辛かったでしょう。ですから、逃げながら神様に緊急救助信号を送るしかありませんでした。2〜3節の祈りはダビデの個人的な憎しみや怒りの感情によるものではありません。神様に拠り頼む者に対する敵対行為は、神様に対する敵対行為であると分かったから、このような祈りができたのです。
 イエス様を信じて救われた者は、自分の肉の思いに基づくのではなく、神様の御心に基づかなければなりません。ローマ8:5。祈ることによって、ダビデは敵に対することを完全に神様に任せました。悪者の計画が神様によって挫折させられ、神様の裁きが臨むことに委ねたのです。ローマ12:19。

V−神は大いなる方−5〜6,詩篇40:16〜17
 ですから、詩人は、神様を慕い求める人たちが、神様の救いと愛を楽しみ、喜ぶように、神様を愛する人たちが「主は大いなる方」と言って、神様の栄光をほめたたえるようにと祈っています。恨みや憎しみをぶつけているとしたら、こんな祈りはできません。神様の栄光のために祈っていたからこそ、信仰に生きる人々の祝福を祈り、神様があがめられるように祈ったのです。
 神様を慕い求める人たち、神様の救いを愛する人たちが信仰で人生を生きることができるのは神様の存在だという確信があったから、このような祈りができました。神様に拠り頼む人たちが「神は大いなる方」と、いつも言いますようにと祈っているのは、詩人自身の思いでもあったのです。悪者に苦しめられ、嘲られて緊急の祈りをしている詩人が、聖徒たちのために祈ることができるというのはどういうことでしょう。自分のことで悶々として、そんな余裕がないはずと思うですが。でも、救急の祈りをしているうちに神様へ信頼が増し加わり、このような祈りが出て来たのです。
 そして、最後に再び、詩人は神様がすみやかに臨み、自分を救ってくださるよう求めました。5節。詩人は、自分のことを「悩む者、貧しい者」と言っています。詩人は、神様の助けを受ける時、自分が神様の助けを受けなければならない者であることを明らかにしているのです。この自覚が必要です。神様の助けを求める時、神様の助けを受けることに対する確信が兼ね備えられていることが必要です。カルヴァンは、「聖徒たちが苦労すればするほど、神様の救いはより近くにある」と言いました。苦労を通して神様の助けを確信するようになり、神様の救いが近くなるのです。
 このように、私たちは、試練の中でただ主なる神様が助けてくださることを知って祈らなければなりません。この詩人の祈りは、私たちが信仰のゆえに世の人々から非難や嘲りを受ける時、どのように祈らなければならないか教えてくれました。私たちは、そのような時、神の栄光が現れることを求め、神様がどのような環境においても、私たちが勝利の人生を生きるようにされるという確信を告白しなければなりません。神様に対する信仰告白を持って生きるということは、私たちが人生を生きていくすべての力の源泉として神様を信頼して生きることを意味しています。
 今日の詩篇は、「神よ、私を救い出してください。急いで私を助けてください」と懇願する祈りでした。私たちも恥辱や嘲りを受け、心の痛みと苦しみからを緊急の助けを必要とする時があるでしょう。そんな時は、この詩篇を「思い出し」祈りましょう。神様への119番となります。詩篇70:5。



詩篇 < 70 > 指揮者のために。ダビデによる。記念のために
70:1 神よ、私を救い出してください。主よ、急いで私を助けに来てください。
70:2 私のいのちを求める者たちが、恥を見、辱められますように。私のわざわいを喜ぶ者たちが退き、卑しめられますように。
70:3 「あはは」とあざ笑う者たちが、恥をかいて、立ち去りますように。
70:4 あなたを慕い求める人たちがみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神は大いなる方」と、いつも言いますように。
70:5 私は悩む者、貧しい者です。神よ、私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ、遅れないでください。


詩篇40:13主よ、みこころによって私を救い出してください。主よ、急いで私を助けてください。
40:14 私のいのちを求め、滅ぼそうとする者たちが、ことごとく恥を見、辱められますように。私のわざわいを喜ぶ者たちが退き、卑しめられますように。
40:15 私を「あはは」とあざ笑う者どもが、おのれの恥に唖然としますように。
40:16 あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主は大いなる方」と、いつも言いますように。
40:17 私は苦しむ者、貧しい者です。主が私を顧みてくださいますように。あなたは私の助け、私を救い出す方。わが神よ、遅れないでください。

ヨハネ15:18 世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。
15:19 もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。

Uテモテ3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

マタイ5:44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

ローマ12:19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに委ねなさい。こう書いてあるからです。「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」

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