2025年4月6日「年老いて、白髪頭になっても」詩篇71:1〜24

序−現代は人生100年時代と言われています。もはや長寿が求められるだけでなく、どう生きるかということが取り沙汰されるようになりました。私たちはどう生きるのでしょうか。高齢者だけの問題だけではありません。高齢者について若者も認識しておかなければならないし、自分もやがて年を取るからです。御言葉はどう教えているのでしょうか。

T−年老いた時も、私を見放さないで−9,18, 1〜4節
 今日の詩篇71篇は、老いる、年を取るということについて教えています。だからと言って、老人問題についての論文ではありません。詩篇71篇の詩人は高齢者です。自分の人生について考え、神様に祈っている内容です。
 ダビデの名前はありませんが、老人になったダビデも経験したような内容です。ダビデが老人になった時長男アブサロムの謀反がありましたが、その後地上の生涯が終わろうとしていた時、ダビデが衰えたのを見た次男アドニヤが王になろうとして、将軍ヨアブや祭司エブヤタルに相談すると、彼らはアドニヤを指示するようになりました。T列王1:7。年老いたダビデにとって、大変ショックなことでした。
 この詩篇の詩人は、老年になって何か問題にであい大変弱気になっています。年老いた自分のことを見放さないように、衰えた自分を見捨てないように祈っています。9節。詩人は、年老いている自分に起こった問題のことで気持ちがとても弱くなり、神様の憐れみや助けを祈り求めました。懸命に繰り返し、悪者から助け出し、守ってくださるように懇願しています。1〜4節。
 詩人は、自分の年齢による衰えや弱さはよく認識して、受け止めています。でも、だからと言って年老いたことでがっかりしたり、問題に取り組む自分を否定したりしていません。神様に頼っています。衰え、弱くなったからこそ、一層神様に信頼して祈り求めています。神様について、「私の避け所の岩、私の巌、私の砦」と言っています。
 また、18節を見ると、自分を白髪頭の老人と言っています。白髪頭の老人となるまでの過去の人生を振り返りました。18〜21節。偉大な神様が御力をもって自分を守ってくださった。自分を多くの苦難とわざわいから助け出してくださったと思い出しています。すると、確信が与えられ、心は強くなり、若くなります。詩篇103:2〜5。ですから、衰えや弱さを認識しても、決して悲観的や否定的にはなりません。一層神様を信頼し、拠り頼んでいます。これが、年老いた聖徒の美しさです。
 確かに年を取ると、体力は落ち、精神力も弱くなります。活躍していたところから退き、以前できていたことができなくなり、お世話になることも増えます。寂しさや孤独感を覚える時があります。必要とされなくなり、衰えや弱さを指摘されることが、ストレスとなることもあります。9,18節。詩人が「私を見捨てないでください」と繰り返すのは、そういうことです。そんな詩人を神様は、変わらずに「高価で尊い」と言ってくださり、愛してくださいます。イザヤ43:4。
 年老いても、世の人々が持つような否定的悲観的な老人観を持つ必要はありません。衰えや弱さを受け入れても、心満たされて、感謝して生きて行くことができます。そのためには、若い時より、一層信仰で生きることが必要です。

U−信仰で整えられ、信仰で生きる−5〜9,10〜20節
 この年老いた詩人には、どのような信仰が備えられていたのでしょうか。5〜9節。若い時からずっと神様に拠り頼み、御言葉に聞き従って生きて来た信仰が告白されています。詩人は、自分の信仰のことを「生まれた時から、母の胎にいる時から」と言っています。韓国教会には、母胎信仰という言葉があります。母の胎にいる時から教会に通っているのが恵みだというのです。信仰はそこから始まっているというのです。確かに、親から信仰を受け継ぎ、信仰によって育つことは大きな恵みです。
 えてして若い頃は、人生は自分の力で生きて行けると高慢になりがちですが、若い時から天地の創造主なる神様を知って、神様に従って、導かれて生きて行けるのは、大きな恵みです。なぜなら、創造主を覚えないまま年を取ってしまうと、「何の喜びもない」という年月が近づくからです。伝道者12:1。あれもこれも失った、あれもこれもできないと衰えや弱さを嘆き、空しい空しいと言うようになるからです。伝道者2:11,23。
 ですから、この詩人のように若い時から信仰を与えられ、御言葉を学び、御言葉によって養われて来ることがとても大事なことなのです。17節。若い頃、いや幼い時からイエス様を知って、神様の御言葉によって生きていくことができるなら、こんなに大きな恵みはありません。
 若い時から信仰によって生きて来た詩人は、年を取って、衰えて弱った時に大きな問題に遭遇したとしても、その危機的状況においても、これまで信頼して来た神様に拠り頼み、神様を求めました。年老いて危機的状況だとしても、詩人はさらに神様を頼り、御言葉を握りました。日頃どういう信仰で生きて来たか、危機の時にあらわれます。
 それでも、この詩人の人生がいつも順風満帆だったわけではありません。周りの人々から嘲りと攻撃を受けることがありました。10〜13節。年老いたダビデが経験したようなことをこの詩人も受けたようです。特に年老いて衰え、弱くなった詩人について、人々が「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて彼を捕らえよ。救い出す者はいないから」とみなして、責め、なじって来たのです。10〜11節。だからこそ、詩人は、繰り返し、「私を見捨てないでください」と祈ったのです。
 私たちも、詩人のように「私を見捨てないでください」と祈ることができます。なぜなら、イエス様が私たちの代わりに神様に見捨てられたからです。マタイ27:46。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで、お一人ですべての人の罪を負って十字架にかかられました。私たちの代わりにイエス様が神様から捨てられることによって、私たちが救われている恵みを忘れてはなりません。Tペテロ3:18。
 20節では、こう確信しています。これまでも、周りの人々から責められ、嘲りを受けたことが度々あったようです。そして、年老いた今恥辱を受け責められていますが、なお神様が救い、助け出してくださるという信仰を証ししています。私たちもそうです。年老いて衰え、弱くなったために軽んじられたり、責められたりすることがあるでしょう。でも、そんな時なお一層御言葉を握って堂々と信仰で歩むのです。

V−年老いても、賛美し、御言葉を伝える−22〜24,6,8,14〜18節
 年老いて衰え弱くなったとしても、信仰者としてできることがあります。22〜24節。賛美することです。詩篇71篇は祈りと賛美の詩篇です。神様に感謝し、賛美している白髪頭の老人、何と美しい姿でしょうか。病床に横になっていても賛美と祈りはできます。声が出なくても、心の中でも賛美できます。賛美は御言葉が口から出て来るので、励まし、慰め、確信が与えられます。賛美は信仰告白となりますから、それだけで証しとなります。今日、世の年老いた人々が衰えや弱さと嘆き、寂しさや空しさ、憂いに陥っています。ですから、賛美する年老いた信仰者の姿が、美しいのです。子や孫、周りの人たちに対する証しとなります。
 賛美している詩人の姿の特徴が繰り返しあげられています。6,8,14,24節。いつも神様を賛美しています。絶えず賛美して来ます。実際に人々の目の前でいつも賛美しているわけではないのですが、賛美して生きている聖徒たちの姿は、空しく辛く苦しんで生きている周りの人々には、どれほど輝いて見えたことでしょうか。御言葉を握って、信仰で生きることで平安を享受し、堂々と老年期を過ごしている白髪頭の聖徒たちの姿は、好感を与え、影響を及ぼしたことでしょう。
 そうした中で、御言葉が伝わっていきます。15〜18節。体が衰え弱くなっても、病床でも、自分をこれまで救い導いてくれた御言葉を黙想し、自分が助けられ、励まされ、導かれた御言葉を証しすることができます。これが、御言葉によって人生を生きて来た老人信仰者ができる大きな働きです。自分が経験し、生きて来たことですから、自然に伝えることができます。御言葉に助けられた、御言葉に励まされた、御言葉に守られた、御言葉に救われたという自然な証しが伝わります。
 ですから、詩人は残りの人生において御言葉を伝えることを繰り返し宣言しています。15〜18節。神様のことを伝えるとは、御言葉を伝えることです。老いて、白髪頭になったとしても、御言葉を伝えると言っています。詩人は、すべてを私は知っているわではないが、私の口はたえず語り告げると言っています。聖書を詳しく知らなくても大丈夫です。自分が味わい、体験した御言葉だけ伝えればいいのです。自分に適用され、体験された御言葉は伝えることができます。そういう御言葉は伝わります。
 どうすれば、この詩人のような美しい老人の信仰者の姿となるのでしょうか。年老いた信仰者についての有名な1節を参照しましょう。箴言16:31。白髪は栄えの冠と言われますが、白髪そのものが栄光ではなく、それは正義の道に見出されるということです。年老いても御言葉に聞き従い、神様に拠り頼み、賛美して生きる姿が栄光となるのです。若い時からそのような信仰に生きてこそ、白髪は栄えの冠となります。箴言16:31。



詩篇71:1 主よ、私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。
71:2 あなたの義によって私を救い出し、私を助け出してください。あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。
71:3 私の避け所の岩となってください。いつでもそこに入れるように。あなたは私の救いを定められました。あなたは私の巌、私の砦なのです。
71:4 わが神よ、私を悪者の手から助け出してください。不正をする者や残虐な者の手から。
71:5 神である主よ、あなたは私の望み、若い日からの私の拠り所です。
71:6 私は生まれたときから、あなたに抱かれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方、私はいつもあなたを賛美しています。
71:7 私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。
71:8 私の口にはあなたへの賛美が、あなたの栄えが絶えず満ちています。
71:9 年老いたときも、私を見放さないでください。私の力が衰え果てても、私を見捨てないでください。
71:10 私の敵は、私のことを相談し、私の命を狙う者が共に企みます。
71:11 彼らは言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて彼を捕らえよ。救い出す者はいないから。」
71:12 神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。
71:13 私をなじる者どもが、恥を見て、たえず消え失せますように。私を痛めつけようとする者どもが、侮辱と恥でおおわれますように。
71:14 しかし私は、絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美します。
71:15 私の口はたえず語り告げます。あなたの義と救いを。そのすべてを私は知ってはおりませんが。
71:16 神である主よ。私はあなたの力とともに行きます。あまたの、ただあなたの義だけを心に留めまて。
71:17 神よ。あなたは私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいみわざを告げ知らせています。
71:18 年老いて、白髪頭になったとしても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを、後に来るすべての者に。
71:19 神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ、だれが、あなたのようでしょう。
71:20 あなたは私を多くの苦難とわざわいとに、あわせなられましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び引き上げてくださいます。
71:21 あなたが私の偉大さを増し、ふり向いて私を慰めてくださいますように。
71:22 私もまた、琴であなたをほめたたえます。わが神よ。あなたの真実を。私は、立琴にあわせてあなたにほめ歌を歌います。イスラエルの聖なる方よ。
71:23 私があなたにほめ歌を歌うとき、私の唇は高らかに歌います。あなたが贖い出された私のたましいも。
71:24 私の舌も絶えず、あなたの義を告げます。私のわざわいを求めようとする者どもが、恥を見て、屈辱を受けるからです。


イザヤ46:3ヤコブの家よ、わたしに聞け。イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいたときから担がれ、生まれる前から運ばれた者よ。
46:4 あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。わたしは運ぶ。背負って救い出そう。

伝道者12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

Tペテロ3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

箴言16:31 白髪は栄えの冠、それは正義の道に見出される。

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