2025年4月13日「主が統治される人生」詩篇72:1〜20

序−人々は、為政者に対して何を望むのでしょうか。正しい判断をもって国を統治し、国民を抑圧したり支配したりせず、苦しむ者たちを助け、貧しい人々を救い、弱い者を虐げる者を裁くことでしょう。このような為政者を見たことがあるでしょうか。しかし、聖書には、そのような王様の姿が教えられています。そこから、主が統治される人生を学びます。

T−正しい判断による統治−1〜7節
 今日の詩篇72篇は、冒頭の所にソロモンの名があるものの、最後の20節には、ダビデの祈りとあります。おそらくダビデ王が王の子であるソロモンのために書いたものが用いられたのだろうと考えられています。さらに、詩篇のメシア詩篇(イエス様を預言した詩篇)の一つだと言われています。主が統治される人生について考えることにしましょう。
 イスラエルの王は、他の国々の王とは決定的に違っていました。普通の王は、国民を自分の思うままに支配するというものですが、 ダビデ王は、子のソロモンのためにまずこう祈っています。1〜2節。さばきと公正という原語は判断という意味で、統治するという動詞が語源です。つまり、主なる神様が、判断力を与えてくださるように、それを持って正しい統治ができますようにと祈っているのです。
 これって、すごいことです。王様でなくても、社会において何らかの権力や権限を持つと、人は自分が王のようになって自分の思いや考えでそれを行使する人がいます。そして、王も為政者も自分の上に主なる神様がおられることを意識しません。そのために、平気で欲や悪によって力を行使し、人々に害を与え、人々を抑圧し、疲弊させます。
 自分は為政者でもなく権力も持っていないから関係ないと思わないでください。自分の人生を自分の思いと考えで生きようとしているなら、つまり自分の人生は自分が統治していると思ったら、悪い為政者や王と同じなのです。きっと、何かの権力や権限を握ることになったら、過ちを犯すことでしょう。私たちの人生は神様が統治される人生です。それを意識したことがあるでしょうか。ローマ5:21。
 この祈りによってなのでしょうか。ソロモンが王になった時、神様が夢に現れて、願い事を聞かれました。ソロモン王は何と答えたのでしょうか。T列王3:5〜9。父ダビデは神様から恵みを施されたが、父ダビデに比べて自分は小さな者だ。だから、「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください」と求めました。この願いは、神様の御心に適うものでした。ですから、神様は、ソロモンが富や長寿や戦いの勝利を求めるのでなく、「訴えを聞き分ける判断力」を願ったので、「その通りにする」と言われました。さらに願わなかった富と誉れと長寿も約束してくださいました。T列王3:10〜14。
 私たちも、神様に物事の善悪を判断する心や人の言葉を聞き分ける心を願いたいと思います。王様でなくても、このことがとても大切だということが私たちにも分かります。私たちにも必要です。神様が私たちを統治しているのですから、人生を歩むために祈り求めなければなりません。
 王が統治するためにしなければならないことは何でしょう。4節。「民の悩む者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、民を虐げる者どもを打ち砕く」ことです。このようにしている為政者がいるでしょうか。昔に比べれば、社会制度は格段に発達して来たはずなのに、為政者の姿はどうでしょう。聖書で教えられているように、そうするために権限や権力を与えられているという認識がなければ、自分の欲のために用いるようになります。そうすると、平和はもたらされません。3,7節。
 私たちも、自分が置かれた立場や環境で、苦しむ者や弱い者に寄り添い、話を聞き、助けることができるでしょう。私たちが持っている頭や口や手足は、私たち自身のことだけでなく、人々に仕えるためにも与えられているのです。Tコリント4:2。持っている能力や与えられている賜物をよりよく、正しく用いるためには、自分の統治者である神様に聞かなければなりません。

U−人々を癒す統治−8〜14節
 そのような王の統治が続くとどうなるのでしょうか。8〜11節。その統治する範囲が広くなり、従う国々が増えて、その影響力が遠くまで伝わります。9節の砂漠の民とは、荒々しい野蛮な民族ということです。そういう民族まで、王を通して主が統治される国に従うようになるのです。漢文に覇道と王道という言葉があります。覇道とは武力や権謀術数(けんぼうじゅっすう)によって支配することで、王道とは徳と仁義によって国を治める理想の姿です。その王道のようです。善悪を判断して、訴えを聞き分ける判断力を神様から与えられたから、荒々しい民族も服属するようになりました。私たちたちもそうではないでしょうか。神様によって統治される人生を生きる時、反発する人や難しい人とも平和な関係になって来るのでしょう。
 その広がりはどれほどなのでしょうか。10節。この地名は、後のスペインやエチオピアです。そんな遠くまで伝わり、シェバの女王が貢物を持って来るようになります。T列王10:1〜2。こんな国があるのでしょうか。主による統治が王を通してなされるからです。人は噂が好きです。悪い噂はもんろんですが、良い噂も広がります。私たちの人生が神様の統治される人生となって、良い噂が広まることを願います。これこそ、証しの人生です。言葉だけ伝えようとしても、主が統治される人生でなければ伝わりません。
 すべての王がひれ伏し、国々が仕えるようなことは、武力によるのではありません。主の統治が王を通してなされると、助けを叫び求める貧しい者や、助ける人のない悩む者を救い出すからだと言っています。12節。私たちも、主が自分の人生を統治しているのだと意識しているなら、イエス様に人々に仕えたように仕えるようになり、人々を助ける者となるのでしょう。マタイ20:28。
 それにしても、12〜14節のような王の姿は、イエス様そのものではないでしょうか。ルカ6:20,4:40,マルコ3:10。ゆえに、詩篇72篇は、メシア詩篇、イエス様を預言した詩篇と言われています。民の悩む者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、しいたげる者どもを打ち砕くような王様を見たことがあるでしょうか。現代社会では、多く人々が、欲と罪の為政者たちの統治の中で貧しく、弱くなり、悩みの中にいます。
 ですから、初代教会の聖徒たちは、イエス様の中に、詩篇72篇の理想の王を見ました。イエス様は、貧しい者や弱い者、苦しむ者や疎外された者、心が痛んでいる者や病気の者の所に来て、慰め、励まし、癒し、助け、仕えてくださいました。私たちもそうのような者ですし、イエス様の慰めと癒しを経験しました。
 イエス様は、王のような方であられるのに、人となって家畜小屋で産まれ、飼葉桶に寝かされました。ご自分を卑しくして地上の生涯を過ごされ、ついに罪人の身代わりとなって十字架に死なれました。ピリピ2: 6〜9。イエス様の十字架と復活を信じて救われた私たちは、罪赦され、天国への命を与えられたことを感謝するだけでなく、自分の人生が、イエス様の統治する人生に変わったことを意識して生きなければなりません。そうでなければ、新しい命に生きることはできません。

V−イエス様の統治の中で生きる人生−15〜20節
  王を通して主が統治することが続くと、人々は王を通して自分たちを統治してくださっておられる神様を賛美するようになります。15〜19節。ソロモン王も、人々からその知恵によって尊敬を受け、人々がささげ物をもってその知恵を聞きに来ました。15節。しかし、72篇のような王は、イエス様だけです。
 この王を通して主の統治が行われるゆえに、地の実りは豊かにされ、人々は栄え、神様の祝福を受けるようになります。16〜17節。実際イエス様の救いを受けると、心が変えられ、生き方が変えられるので、その生活も変わり、祝福を受け、豊かにされます。イエス様の十字架と復活を信じた者たちも、救い主イエス様をほめたたえるようになります。
 結局、この王の統治によって恵みと祝福を受けた人々は、この王を通して統治される神様をほめたたえるようになります。18〜19節。救い主イエス様を迎えたエルサレムの人々は、イエス様に対して「ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ」と賛美しました。マタイ21:9。この詩篇に記されたような王は、世の王や為政者にはいません。イエス様だけです。イエス様の統治を受けると、私たちは罪から解放され、霊的に変えられます。霊的な命の成長があります。罪の支配から救いの恵みの支配に変えられます。ローマ5:21。
 罪の始まりは何でしょう。創世記2:16〜17,3:6。神様から自由意志を与えられていたのに、神様に従わなかったことです。自分たちを統治してくださる神様に背を向け、自分の人生を肉の自分が支配するところに罪が生じます。ユダ1:4。罪に支配されてしまうのです。イエス様を信じて救われたということは、「あなたの人生の統治者が変わった」ということです。肉の自分が王ではく、サタンや罪の支配下にあるのではなく、私たちを愛して、十字架の犠牲となられたイエス様が自分の王であり、人生の統治者なのです。イエス様が統治される人生となることを願います。黙示録1:5〜6。



詩篇< 72 > ソロモンによる
72:1 神よ。あなたのさばきを王に、あなたの義を王の子に与えてください。
72:2 彼が義をもって、あなたの民をさばきますように。公正をもって、あなたの苦しむ者たちを。
72:3 山も丘も、義によって、民に平和をもたらしますように。
72:4 彼が、民の苦しむ者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、虐げる者どもを打ち砕きますように。
72:5 彼らが、日と月の続くかぎり、代々にわたって、あなたを恐れますように。
72:6 彼は、牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来ます。
72:7 彼の代に正しい者が栄え、月のなくなるときまで、豊かな平和がありますように。
72:8 海から海に至るまで、川から地の果てに至るまで、王が統べ治めますように。
72:9 砂漠の民は彼の前に膝をつき、彼の敵はちりをなめますように。
72:10 タルシシュと島々の王たちは貢物を納め、シェバとセバの王たちは、贈り物を献げます。
72:11 こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えるでしょう。
72:12 これは、王が、叫び求める貧しい者や助ける人のない苦しむ者を救い出すからです。
72:13 王は、弱い者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。
72:14 虐げと暴虐から、王は彼らのいのちを贖います。王の目には彼らの血は尊いのです。
72:15 どうか、王が生き続け、彼にシェバの黄金が献げられますように。王のためにいつも彼らは祈り、絶えず王をほめたたえますように。
72:16 大地には、穀物が豊かにあり、山々の頂では、実がレバノンのようにたわわに揺れ、町の人々は地の草花のように咲き誇りますように。
72:17 王の名が、日の照るかぎり増え広がりますように。人々は彼によって祝福され、すべての国々は彼をほめたたえますように。
72:18 ほむべきかな。神であれる主、イスラエルの神。ただひとり、奇しいわざを行われる方。
72:19 とこしえにほむべきかな、その栄光の御名。その栄光は全地に満ちあふれますように。アーメン。アーメン。
72:20 エッサイの子ダビデの祈りは終わった。


T列王3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。

ユダ1:4 それは、ある者たちが忍び込んで来たからです。彼らは不敬虔な者で、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定しているので、以下のようなさばきにあうと昔から記されています。

ローマ5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義の賜物によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。

黙示録1:5 また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
1:6 また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方、栄光と力が、世よ限りなくありますように。アーメン。

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