2025年4月27日「内なる思いが突き刺され」詩篇73:1〜27
序−義憤に駆られたり、義憤を抱いたりすることはないでしょうか。義憤とは、道理に反する行為や不公平に対して怒りや憤りを表す言葉です。権力者が不正をしていることに憤慨することがあるでしょう。今日の詩篇の作者も、悪者が栄えているのを見て憤慨し、悩んでいます。
T−誇り高ぶる悪しき者を嫉んだ−1〜13
この詩篇の作者は、アサフと表題にあります。アサフとは、ダビデが契約の箱をエルサレムに移した時、レビ人として音楽隊の指揮者に選ばれた人でした。今日的に言えば、聖歌隊の指揮者です。ソロモンが神殿を建てた時も神殿に仕えました。神様に最も近いところで神様に仕える栄光を得たのです。それだけに、悪者が栄えているのを見て憤慨し、どうしてそんな不条理が通るのかと悩みました。1〜5節。私たちも、憤慨し、悩む時があるのではないでしょうか。
1節に「心の清らかな人たちに神はいつくしみ深い」とあるように、神を信じている人々は、正しく生きているならば神様の祝福を受けるが、悪者は罰を受けると考えていました。ところが、世の中はそうではないのです。信仰で正しく生きる者が労苦し、悪しき者が栄えるのを見ました。5節。それで、「足がつまずきそうで、私の歩みは滑りかけた」のです。つまり、信仰が揺さぶられ、信仰を失いかけたというのです。心の清らかな者が祝福を受けるのではなく、悪いことをしている者が栄えている、神様はいないのではないかという疑いも生じて来たのです。
詩人は、なぜそうなったのでしょうか。3節。理由は「悪しき者の栄えるのを見て、誇り高ぶる者をねたんだ」と言っています。えっ、嫉んだ。そうです。詩人は、悪者たちの繁栄を見て嫉んだというのです。義憤のはずでは。彼らは幸せだ、いいなと羨んだということです。詩人は、神様に仕えていたのに、悪者たちと同じ価値観になっていたのです。私たちはどうでしょうか。悪者の繁栄やうまく行くことに心がざわついたりしないでしょうか。いいなと思ったりしないでしょうか。
「悪しき者の栄えるのを見て」の見るとは、単なる物理的な行為ではなく、理解や識別といったより深い意味合いを帯びている言葉です。悪者の繁栄を観察した結果、悪者の繁栄がうらやましい、よく見えたのです。自分もそうなりたいと思ったのです。これが、詩人の率直な気持ちでした。だから、すべりかけたと言っているのです。きっと、自分も世の中で頑張っていれば、いくらでも出世できたはず。ただそういう道には行かなかった。そんな行かなかった道への未練が、詩人の中に残っていたのでしょうか。私たちも、そんな思いを持つことがあるではないでしょうか。
ですから、私たちには無関係と傍観者ではいられないのです。4節以下は、悪者たちの繁栄の姿が詳しく表現されています。4〜11節。いかにもという描写です。詩人は、悪者がうまく生きていても、死ぬ時には苦痛を経験しなければならないと思っていたようです。4節。ところが、悪者は、死ぬ時も苦しみなく死んでいくというのです。人々が苦労する時に、悪者はそうではない。だから、ますます悪者は高慢と暴虐が満ちていると言っています。5〜6節。
そして、悪者の悪態や悪口が周りの人々へ向けられます。8〜9節。彼らは奢り高ぶり、神様を否定し、無視しています。11節。神の民としての正義感からすると、我慢ならないことです。それなのに、「悪しき者はいつまでも安らかで、富を増している」と結論づけています。12節。神様が悪者をそのままにしていると思い、躓きを感じているのです。問題は悪者の姿ではなく、それを見ていた詩人の気持ちです。
詩人のように悪者の道を羨ましいと思いますか。聖書の価値観に立つなら、世の不公平や悪者の繁栄に憤慨しないでしょう。悪者や権力者の道が簡単でよく見え、信仰者の道は難しく険しいと思うことはないですか。
U−神の聖所に入り、悟った−13〜20
悪者たちの姿を見ながら、詩人の信仰は揺さぶられ、試みを受けています。13節。いかにも敬虔そうにしていますが、「空しく」なのです。悪者とは違うぞと自分の品位を保とうとしているのであって、神様への従順としてそうしているのではありません。詩人の心は、複雑に乱れています。憤慨と妬み、怒りと空しさが入り混じって、心は痛んでいます。14節。
詩人は、悪者の繁栄を妬み、どんな態度を取ろうとしていたのでしょうか。危うく、その曲がった思いをぶちまけそうになったが、留まったというのです。15節。考えだけで留まってよかった。そのまま語っていたのならば、信仰している神の民たちの信頼を裏切り、躓きを与えることになったでしょう。神殿の音楽隊指揮者の影響力は大きいのです。この懸命な詩人の姿は、私たちに不用意な不信仰の呟きや怒りの感情をぶちまけることがどんな影響を及ぼすかということをよく教えています。
この詩人の告白が光ります。試みの中でも懸命に神様に心を向け続ける姿があります。私たちも、どんな時でも感情に流されて結論をくださないで、神様の御心を求め続けなければならないと教えてくれます。
葛藤し、悩み、苦しんだ詩人は、ついに転換点を迎えました。16〜17節。詩人が聖所に入ると、心の目が開かれて、悪者の最後が見えて来ました。聖所に入ったというのは、ただ建物に入ったというのではなくて、礼拝者として神様の御前に立ったということです。15節で告白したような試みにあっていた詩人は、神様を礼拝し、祈って、悟ることができました。
霊的に目が開かれたら、悪者がどのように見えたのですか。18〜20節。羨ましく思っていた悪者たちを信仰の目で見たら、滑りやすい所に立っていたことが分かりました。繁栄して、磐石な所にいるかのように見えた悪者たちでしたが、滑って落ちてしまうしかない所にいたというのです。繁栄を誇り、奢り高ぶっていた悪者たちも、神様の前にはそんな存在なのです。世の権力とか富というのも、一炊の夢にようです。
これまで、詩人は信仰者としての価値観、アイデンティーが揺れ動いていたのですが、今聖所で悟ったことは、この世でうまく生きることではなくて、神様の御言葉で生きることが大切だということです。世の中で生きている私たちは、しばしば信仰者としての価値観がゆさぶられます。周りの人と比べては、羨んだり、不満に思ったりする私たちに、この詩人の姿は大切なことを教えてくれています。救われた私たちは、聖書の価値観という大切な宝物を与えられています。神様の祝福と守りの中で、御言葉によって生きていけることは、大きな恵みです。
V−神のみそばにいることが、幸せです−21〜28
神の御前に謙遜になった詩人は、悪者の姿が見えて来ただけでなく、自分の姿も見えて来ました。21〜22節。自分は愚かで考えもなく、獣のようでしたと告白しています。悪者の繁栄を見て、義憤に駆られ、妬んでいた自分、人には言わなくても心で喚いていた自分の姿がそう見えたのです。神殿に音楽隊指揮者として仕えていた詩人は、自分はしっかり信仰していると思っていたでしょう。しかし、神様の御前には、愚かで考えもなく、獣のようだったのです。私たちも、憤慨したり、妬んだりして揺さぶられている姿は、きっと愚かで考えもなく、獣のようなのでしょう。それに気付けば、恥ずかしい限りです。ですから、心を刺されて気付くことが必要です。使徒2:37。
私たちは、御言葉を通して自分の言動を見ることが大切です。無知は恥ずかしいことも分かりません。向こう見ずな勇気だけです。神の御前に立って、御言葉に照らして見るなら、信仰が良くて熱心だと思っていた自分がどれほど愚かで考えなしであったか、獣のようであったか、気付かされるようになるのです。
こうして、自分の愚かさに気付いて来ると神様の恵みということがよく分かって来ます。詩人は恵みの信仰へと進んで行きます。23〜24節。憤慨し、悩んで、わきまえもなく喚いていた自分を神様が共にいて、手をつかんでいてくださったから滑り落ちなかった。こうして諭し、導いておられたという神様の恵みに気付いて、神様への信頼が増し加わりました。私たちも、礼拝をささげ、御言葉を聞く度に、私たちを守り、諭し、導いてくださる神様の恵みを体験したいと願います。
こうして、詩人は神の御前に生きる幸いを告白するようになります。25〜27節。詩人は、天地の造り主である神様以外に望むものはないと告白しています。天国でも地上でも、神様がおられないなら、駄目だということです。素晴らしい信仰告白です。他に何もなくても、神様が共にいてくだされば、いいというのです。しかし、神が共におられなければ、滅びるだけだとはっきり告白しています。
そして、最後に有名な告白が語られます。28節。「しかし、私にとって、神のみそばにいることが、幸せです。」と告白しています。暗唱したい御言葉です。詩人は悪者の最後を知り、神様に信頼する者の恵みがどんな素晴らしいか分かったからです。「みそばにいること」という言葉は、特に神との親密な関係や交わりといった概念を表しています。神との親密な関係や交わりをしていれば、惑わされることなく、幸せに生きることができます。日々神様のみそばにいて、御言葉通り生きることで幸せな人生となることを願います。詩篇73:28。
詩篇 < 73 > アサフの賛歌
73:1 まことに、神はいつくしみ深い。イスラエルに、心の清らかな人たちに、
73:2 けれどもこの私は、足がつまずきそうで、私の歩みは滑りかけた。
73:3 それは、私が悪しき者の栄えるのを見て、誇り高ぶる者をねたんだからだ。
73:4 実に、彼らの死には苦痛がなく、彼らのからだは肥えている。
73:5 人が苦労するときに、彼らはそうではなく、ほかの人のように、打たれることもない。
73:6 それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、暴虐の衣が彼らをおおっている。
73:7 彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思い描くものがあふれ出る。
73:8 彼らは嘲り、悪意をもって語り、高い所から虐げを言う。
73:9 彼らはその口を天に据え、その舌は地を行き巡る。
73:10 それゆえ、その民はここに帰り、豊かな水は彼らに汲み尽くされる。
73:11 そして、彼らは言う。「どうして神が知るだろうか。いと高き方に知識があろうか。」
73:12 見よ。これが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。
73:13 ただ空しく、私は自分の心をきよめ、手を洗って、自分を汚れなしとした。
73:14 私は休みなく打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。
73:15 もしも私が、「このままを語ろう」と言ったなら、きっと私は、あなたの子らの世代を裏切っていたことだろう。
73:16 私は、このことを理解しようとしたが、それは、私の目には苦役であった。
73:17 ついに私は、神の聖所に入り、彼らの最後を悟った。
73:18 まことに、あなたは彼らを滑りやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。
73:19 ああ、彼らは瞬く間に滅ぼされ、突然の恐怖で、滅ぼし尽くされます。
73:20 目覚めの夢のように、主よ、あなたが目を覚ますとき、彼らの姿を蔑まれます。
73:21 私の心が苦みに満ち、私の内なる思いが突き刺されたとき、
73:22 私は愚かでは愚かで考えもなく、あなたの前で、獣のようでした。
73:23 しかし、私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。
73:24 あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。
73:25あなたのほかに、天では、私に誰がいるでしょう。地では、私はだれをも望みません。
73:26 この身も心も尽き果てるでしょう。しかし、神は私の心の岩、とこしえに、私の受ける割り当ての地。
73:27見よ、あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不誠実を行う者を、あなたはみな滅ぼされます。
73:28 しかし、私にとって、神のみそばにいることが、幸せです。私は、神である主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げます。
詩篇37:1 悪を行う者に対して腹を立てるな。不正を行う者に対してねたみを起こすな。
37:2 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだ。
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