2025年5月18日「偉大な神が私たちを救う神」詩篇76:1〜12

序−神の民は、とても大きな困難を覚えた時、どうにもならない難しい状況に陥った時、神様に祈りながら御言葉を読み、思い巡らします。結果、かつて神の民に起こった出来事を思い出し、その苦しい状況から解放されました。どんなことに気付いたからなのでしょうか。

T−ご自分を示される偉大な神−1〜3
 この詩篇の背景になっている歴史的出来事は、アッシリア帝国のセンナケリブ王が大軍を率いてがエルサレムを取り囲んだ時のことだと言われています。U列王18:13,17。この窮地において、当時のユダの王ヒゼキヤは、神様に拠り頼みました。そして、神様は、不思議な方法でアッシリア軍を退け、ユダを救いました。U列王19:32〜36。大軍で囲まれたエルサレムでしたが、夜のうちに御使いによって敵の兵士たちは倒され、敵軍は戦わずして引き上げるしかありませんでした。ニネベに帰ったセンナケリブ王は、その後息子に殺されてしまいました。
 偉大な神が、その御力によって、予想もできない方法で解放してくださったという衝撃的な記憶です。日本の歴史では、元寇の時、大軍のモンゴル軍の上陸を何とか防ぐと、何と次の日に大軍は引き上げていました。そんな歴史の記憶を連想させます。私たちの個人の歴史においても、奇跡的な助け、予想もできなかった導きというような記憶があるのではないでしょうか。
 アッシリア帝国のセンナケリブ王の軍が一夜にして撤退したことは、ユダの民にとって、神様が助けてくださった、窮地から救ってくださったと信じるほかありません。このような歴史上の出来事は、神の民にとって、神様がどのよう方であるか、ご自分の民にどのようにしてくださる神であるか思い出させました。私たちも、窮地に陥り、抑圧の中にいる時、自分の信じている神はどのような方であるか思い出すことが必要です。
 この詩の最初の部分において、詩人は偉大な神について記しています。1〜3節。1節の「ユダにご自分を示される」と「イスラエルにその御名の偉大さを」は対句になっており、2節の「仮庵はサレムにあり」と「その住まいはシオンにある」も対句になっています。同じ内容のことについて表現を変えて繰り返すことで、神様の偉大さを強調しているようです。
 サレムは、エルサレムの旧名ですが、平和という意味です。偉大な神によって平和がもたらされたことが強調されているようです。「シオン」もエルサレムの別名ですが、神の都という意味です。単なる地名ではなくて、偉大な神が共におられるということが表わされています。ですから、後にユダ王国が滅びて、エルサレムが破壊されて、捕囚になっても、神様は自分たちと共におられるという信仰に立つことができました。
 私たちも、この信仰を持つことができます。救い主イエス様を十字架に渡された慈愛の神が、私の神様だ、偉大な神が共にいてくださると確信することが、どれほど困難な時に私たちを守り、窮地から救ってくれることでしょうか。
 偉大な神様は、ご自身がおられる所を攻撃する者を退け、滅ぼされます。3節。「そこで、弓の火矢を打ち砕かれる」という表現が目を引きます。事実、この詩の元となった出来事において、ユダの民は戦っていません。アッシリア軍も戦わずして倒れ、引き上げています。武器を「打ち砕かれる」とは、敵が戦うこと自体を無力化するということです。戦いで勝利するという形態ではありません。
 こんな予想外の勝利方法は、確かに偉大な神様のことをよく表わしているといえるでしょう。ですから、私たちは、神様が私たちを窮地から救って、困難から解放してくださる方法を私たちの方で決め付けてはならないということになります。偉大な神様は、私たちの思いを越えて、願いを越えて働かれるお方なのです。エペソ3:20。

U−敵を退けた神の威厳−4〜9
 なかほどの部分では、偉大な神様が敵と戦われた時の様子が記されています。4〜9節。戦いに勝利されたと言っても、その戦いは不思議な戦いです。4〜6節。神の威厳の前に敵は眠りました。神が叱りつけると、騎手も馬も、倒れ伏しました。騎手と馬は、当時の最新鋭で強力な武力です。そんな武力も、戦えなくさせました。予想外の方法です。これが権威ある神の方法でした。神様の武力は、威厳と御言葉です。聖書は、霊的戦いにおいて、御霊の与える剣である御言葉を受け取りなさいと言われています。エペソ6:17。私たちも、苦しい時、辛い時、御言葉をしっかり握るのです。
 神様の威厳と言葉で敵が眠ってしまうというのは、私たちの問題や困難に例えるならば、問題が問題でなくなってしまう、私たちの脅威とはならなくなるということになるでしょう。神様がそうしてくださって、私たちを困難から救ってくださるということになります。そのようなことは予想もしないことです。でも、実際には、事情が変わって、問題が問題でなくなることがあります。
 ですから、神様に拠り頼む私たちは、どんな時にも、神の威厳と御言葉の威力を信頼するのです。神の威厳と御言葉が問題を問題でなくしてしまわれるのですから。そうされる神の威厳を畏れ敬う姿勢が必要です。その信仰の姿が、人々への証しとなります。
 神の宣告が聞こえれば、恐れで地までが沈黙すると言っています。7〜8節。「あなた」の繰り返しは、偉大な神を恐れるべきことが強調されています。イエス様が風や湖を叱ると波は静かになりました。マタイ8:26。風や湖までもが言うことを聞くとはと弟子たちは驚きましたが、自然までも勝利するために用いられ神が、私たちの神だということを確信しましょう。
 忘れてならないことは、神様が神の民の代わりに戦われたということです。9節。アッシリア軍が倒れ、引き返した時、ユダの民はエルサレムの城壁の中にいました。戦っていません。神様が神の民の代わりに戦われたのです。申命記1:30,3:22。私たちは、このことを忘れていないでしょうか。自分一人が戦っていると思ったり、自分が戦いに勝利できるように祈ったりするだけではないでしょうか。時には、神様が私たちの代わりに戦われるのです。そして、その戦いも不思議な戦いです。敵も武器も眠りに落とし、無力にされて、勝利されるのです。
 自分だけで問題と戦い、自分の力で苦況を乗り越えようとするのは、大変苦しいことです。自分ではどうしようもない時、無力な時でも、神様に拠り頼む聖徒のためには、神様が代わりに働いてくださることを思い出しましょう。どれほど心強いことでしょうか。

V−人の憤りを賛美へ導く神−10〜12
 最後の部分では、人の怒りを賛美に変える神が記されています。10〜12節。10節「人の憤りまでもが、神をたたえる」というのは、信じられない、驚くべきことです。人の憤りとは、神に対する人の悪い心と敵意のことです。人が神に対して怒り、憤ることが、神をほめたたえているわけではありません。しかし、神に敵対し、神に対して憤ることも、神が御心を成しとげるために用いられる、怒り、憤っていた者が変えられ、神をほめたたえるようになるのということがあります。
 例えば、パウロという人は、イエス様を信じる聖徒たちに激しい怒り持っていた人です。憤りをもって教会を迫害する者でした。使徒8:1〜3。しかし、イエス様に出会ってからは回心し、イエス様を賛美し、異邦人に伝える使徒として用いられるようになりました。使徒6:13〜15。偉大な神は、人の怒りを賛美に変えるお方なのです。思いもよらない、驚くべき方法です。そんなパウロですから、ピリピで怒ったユダヤ人によって牢に入れられましたが、牢の中で賛美しました。使徒16:22〜25。このことによって看守の家族が救われることになりました。使徒16:27〜31。
 エジプトの総理大臣となったヨセフのもとに、かつて怒ってヨセフを奴隷として売り渡した兄たちが来た時、ヨセフは「あなたがたは、私に悪を諮(はか)りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは、今日のように、多くの人々が生かされるためだったのです」と言いました。創世記50:20。感動的に神がほめたたえられる場面です。思いもよらない神の方法でした。偉大な神は、救ってくださった者のためには、すべてのことを働かせて益としてくださるのです。ローマ8:28。
 イエス様に対して怒り、憎んだ祭司長や律法学者たちが、イエス様を十字架につけました。でも、このイエス様の十字架を人々の罪の身代わりとされ、信じる者の罪が赦され救われるようにしてくださいました。使徒4:10。偉大な神は、イエス様に対する人の怒りや憤りを用いられ、人々を救うご計画を行われたのです。
 私たちが正しくしていても、不当に人の怒りや憤りを受ける場合もあります。そんな人の怒りを神様がやがて賛美に変えてくださり、そんな人が偉大な神を畏れて、ほめたたえ、従うようになるかもしれないと受け止めることができるのは、何と素晴らしいことでしょうか。11〜12節。
 今日の詩篇は、偉大な神が不思議な方法でご自分の民を救ってくださったように、今もイエス様によってご自分の民としてくださった者を窮地から助け出し、解放しくださることを教えています。どんな時でも、私たちを守り、助けてくださる偉大な神様を信頼して、賛美します。創世記50:20。



詩篇< 76 > 指揮者のために。弦楽器に合わせて。アサフの賛歌。歌
76:1 神は、ユダにご自分を示される。イスラエルにその御名の偉大さを。
76:2 神の仮庵はサレムにあり、その住まいはシオンにある。
76:3神はそこで、弓の火矢を打ち砕かれる。盾と剣も、戦いも。 セラ
76:4 あなたは輝かしく、獲物で満ちる山々にまさって威厳があります。
76:5 剛胆な者らは略奪され、深い眠り陥りました。どの勇士たちにも、手の施しようがありませんでした。
76:6 ヤコブの神よ。あなたが叱りつけると、騎手も馬も、倒れ伏しました。
76:7 あなたは、あなたは実に恐ろしい方。お怒りになれば、だれが御前に立てるしょう。
76:8天からあなたの宣告が聞こえると、地は恐れて沈黙を守りました。
76:9 神が、さばきのために、地のすべての貧しい者たちを救うために、立ち上がられたそのときに。 セラ
76:10 まことに、人の憤りまでもが、あなたをたたえ、あなたは、あふれ出た憤りの余りまでをも身に帯びられます。
76:11 あなたがたの神、主に、誓いを立て、それを果たせ。主の周りにいる者はみな、恐るべき方に贈り物を献げよ。
76:12 主は、君主たちの霊を刈り取られる。地の王たちにとって、恐るべき方。


U列王19:32 それゆえ、アッシリアの王について、主はこう仰せられる。「彼はこの町に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。
19:33 彼は、もと来た道から引き返し、この町には入らない。──主のことば──
19:34 わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」
19:35 その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で、十八万五千人を打ち殺した。人々が翌朝早く起きて見ると、なんと、彼らはみな、死体となっていた。
19:36 アッシリアの王センナケリブは陣をたたんで去り、帰ってニネベに住んだ。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、

エペソ6:17 救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

使徒4:10 皆さんも、またイスラエルのすべての民も、知っていただきたい。この人が治ってあなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によることです。

創世記50:20 あなたがたは、私に悪を諮りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは、今日のように、多くの人々が生かされるためだったのです。

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