2025年6月1日「思い巡らし、静かに考えます」詩篇77:1-20

序−現代社会は、競走社会、ストレス社会と呼ばれ、忙しさや情報の過多、人間関係や仕事の圧迫、むなしさや孤独感などで心が病み、うつになることがあります。意識しないうつを含めるなら、誰でもうつ状態になると言われています。今日の詩篇の詩人も悩み苦しんで、うつ状態にあったようです。どのようにして、そこから快復したのでしょうか。

T−神に声をあげて−1〜6節
 詩人の悩み苦しみについて、いつ何によって悩み苦しんだのかについては、分かっていません。とにかく詩人は神に祈りました。1〜4節。真実に神に自分の状態を訴え、祈っています。夜も眠れないほど不安でした。「けれども、私のたましいは慰めを拒んだ」と言っています。落ち込んでいる人は、ありきたりの慰めや励ましを聞きたくないと思うことがあります。慰めや励ましの言葉がかえって辛く感じたりします。「私は嘆き悲しむ、私の霊は衰え果てる」という状態でした。3節。「心は乱れて、もの言うことも」できない状態でした。詩人はうつ状態にあったようです。箴言15:13。
 私たちも、大きな挫折を経験したり、喪失の悲しみに沈んだり、落胆や憂うつを感じたりすることがあるでしょう。そんな時、この詩人のようにとにかく神の御前に出て、祈りましょう。自分の心の内をそのまま聞いてもらうのです。自分の状態を知ってもらうことが必要です。
 神の民、聖徒たちは祈って神に期待します。問題を解決してほしいと願い祈ります。でも、すぐさま期待通り状況が変わるわけではありません。そうすると、神は聞いてくださらないと思うようになります。がっかりします。失望します。不安になります。そうなると、祈りをやめ、他の手段に頼ったり、他の所に逃げ込んだりするようになります。もっと、心の状態は悪くなってしまいます。
 詩人は、そうしていません。3節。うつ状態ながら、「思いを潜めて」います。「思いを潜めて」と訳された原語シアハは、瞑想する、熟考するという意味の言葉です。この同じ言葉が6,12節にも出て来ます。祈り叫んでいた詩人は、しばし休んで、思い巡らし、静かに考えたのです。この詩篇のキーワードです。
 「セラ」という言葉に注目してください。この単語は普段読まれません。詩篇は曲がつけられ歌われていたので、音楽用語の一つと考えられています。一つの説では休止の意味を持つと言われています。ですから、そのまま読み流すのではなく、立ち止まって思い巡らし、深く考え、自らに当てはめて黙想するのです。祈ったことについて、状況は期待はずれですか。祈りは聞かれなかったのですか。神は拒まれたと思うのですか。心配ですか。しばし立ち止まって、休んで、考えてみてください。
 詩人も叫ぶのを止めて、思い巡らし、深く考え、黙想してみました。神について考えてみました。5〜6節。自分にとって神はどんなお方だったか考えました。神はできないことのない全能なる方です。神についてどのように賛美したか、思い返しました。あわれみに富んだご慈愛深いお方だと賛美しました。神は、私たちのために、ご自分の一人子イエス様を十字架に渡されるほどの方です。ローマ8:32。神は私たちのために、すべてのことを働かせて、益としてくださる方です。ローマ8:28。
 休みが、新しい神への期待を生じさせてくれます。6節の「語り合い」と訳されている原語は、3節の「思いを潜めて」と同じ言葉で、瞑想する、熟考するという意味の言葉です。私たちも、問題で落ち込んだ時、思い巡らし、熟考したいのです。

U−思い巡らし、静かに考えます−7〜12節
 瞑想し熟考したら、詩人の心にどんな思いが生じて来ましたか。7〜9節。神について、詩人の心の中に「主は、いつまでも拒まれるのか。もう決して受け入れてくださらないのか。主の恵みは、とこしえに尽き果てたのか。約束のことばは、永久に絶えたのか。神は、いつくしみを忘れられたのか。もしや、怒ってあわれみを閉ざされたのか」という思いが生じて来ました。これは誰かに聞いているのではなく、自分が自分に聞いているようです。
 私たちには、神の恵みと祝福がありますが、いつも望む時に望むようにあるということではありません。暗いトンネルを通る時期もあります。思いがけない試練にあうこともあります。そんな時、「神はいつくしみを忘れ、怒ってあわれみを閉ざされた、拒まれ受け入れてくださらない」と思うことがあります。ですから、詩人のように、自分自身に神は果たしてそうなのかと問う必要があります。夜には神への賛美を思い起こし、自分の心と語り合い、私の霊は探り求めるのです。
 7〜9節のように自分に問うた詩人は、しばし、セラ、休んで考えてみました。7〜9節の問いは、反語的表現ですから、「いや、主はそういうお方ではない」という答えが伴っています。「主は、いつまでも拒まれるのか」との問いに対して、「いいえ、そうではありません。時が来れば顧みてくださいます」と自分に自分で答えるのです。
 私たちにも、試練や苦難があります。その時、しばし、セラ、休んで考えてみましょう。神の恵みを受けなかったのか。神が自分を忘れたことがあったのか。いいえ、そうではなかった。苦しい時、不安や恐れを感じる時、しばし、休んで思い巡らし、考えてみることが必要です。神は恵み豊かな方だ、真実なお方だと分かるようになります。11節。詩人は、昔神が行われた奇しいみわざを思い起こすようになりました。
 7〜9節の表現は、詩人の心に浮かんで来た思いを連ねています。このように心に浮かんだ疑念や葛藤を言い表すことが必要です。うつ状態で、乱れている自分の思いが整理され、神に申し上げることで心に変化が訪れます。心理療法では、心が落ち着かない時、否定的なことばかり考える時、自分の感情や思考を整理し、書き出すことをします。自分を客観的に見直すための有効な手段となっています。不安が中々消えない時や辛い気持ちが生じて来る時、自分が何について不安になっているかを書き出してみるのです。
 脳の中がぐるぐるしている時は、書き出すことで一旦外に出して、客観的に眺めてみるのです。それによって新たな視点が発見できたり、意識していなかったことに気付かされたりします。そして、書き出したことを読み返して、「ああ〜していたんだ。そうか〜を感じていたんだ」と気付いたり、整理すると、状況に冷静に対処できるようになります。心理学では、セルフモニタリングと言います。
 詩人は、神のなさったすべてのことに思い巡らし、そのみわざを、静かに考えました。12節。この「静かに考えました」と訳された原語も、シアハ、瞑想する、熟考するという意味の言葉です。

V−ご自分の民を導かれました−13〜20節
 こうして、詩人は自分の乱れた思いが整理されて、神様を賛美するようになりました。13〜20節。自分の信じる神は大いなる神、奇しいわざを行われる神、国々の民の中に御力を現される方、ご自分の民を贖われる方であると賛美しています。13〜15節。神の民を不安にするのは、環境のせいではありません。心が神に向いていないからです。たとえ試練にあったとしても、その中で神は助けてくださるという信仰があれば、その環境は試練にはなりません。うつからの解放は、心の向きを変えることです。試練の環境ばかり見ているのでなく、神様に心を向けたのです。
 神様は、ご自分の民をどのような方法で贖い、救い出してくださいましたか。15節。しばし休んで思い巡らし、黙想したら、その偉大な神が、自然現象を通してご自分の神を救われたことを思い出し、賛美しました。16〜20節。自然に働く神の威厳を見ました。16〜18節。神の民をどのように救われたかを見ました。19〜20節。そのように自然を通して神の民を助け出された神を思い巡らし、黙想した時、今も自分を助け、救い出してくださると確認を持つことができるようになりました。ですから、苦難や試練のような環境でも、神を賛美することができました。
 私たちも、神様が私たちをどのような方法で贖ってくださったか、思い巡らし、静かに黙想しましょう。エペソ1:7,ローマ3:24。イエス・キリストが私たちの罪の代わりに十字架にかかられ、私たちを罪と滅びから救い出してくださいました。この偉大なイエス様の救いのゆえに、今も癒され、救い出されると確信することができます。ローマ8:35,38〜39。
 賛美が病んだ心、痛んだ心を癒してくれます。主が臨在される礼拝には、心を癒し、整え、繕ってくれる所となります。悩み苦しみ、うつ状態になっていた詩人は、礼拝に出て、賛美しました。礼拝に出て、信仰の共にとりなし祈ってもらうことが必要です。とりなしの祈り、信仰の分かち合いには、イエス様が伴い、働いてくださいます。
 13節以下に記された神賛美は、1〜4節のような詩人とは別人のようです。悩み苦しみ、不安の中から祈り、思い巡らして、静かに考えるうちに、思いが大きく変えられて、神への確信が生じ、神を賛美するようになりました。憂いや挫折、失敗や病気、転職や転校などで、しばし立ち止まり、休まなければならない時があります。それも、思い巡らし、静かに考える休止となります。イザヤ61:3。


詩篇< 77 > 指揮者のために。エドトンの調べにのせて。アサフによる。賛歌
77:1 私は神に声をあげて、叫ぶ。私が神に声をあげると、神は聞いてくださる。
77:2 苦難の日に、私は主を求め、夜もすがら、たゆまず手を差し伸ばした。けれども、私のたましいは慰めを拒んだ。
77:3 神を思い起こして、私は嘆き悲しむ、思いを潜めて、私の霊は衰え果てる。 セラ
77:4 あなたは、私のまぶたを閉じさせません。私の心は乱れて、もの言うこともできません。
77:5 私は、昔の日々、遠い昔の年月について考えました。
77:6 夜には私の歌を思い起こし、自分の心と語り合い、私の霊は探り求めます。
77:7 「主は、いつまでも拒まれるのか。もう決して受け入れてくださらないのか。
77:8 主の恵みは、とこしえに尽き果てたのか。約束のことばは、永久に絶えたのか。
77:9 神は、いつくしみを忘れられたのか。もしや、怒ってあわれみを閉ざされたのか。」 セラ
77:10 私はこう言った。「私の弱り果てたのは、いと高き方の右の手が変わったからだ。」
77:11 私は、主のみわざを思い起こします。昔からのあなたの奇しいみわざを思い起こします。
77:12 私は、あなたのなさったすべてのことに思い巡らし、あなたのみわざを、静かに考えます。
77:13 神よ。あなたの道は聖です。私の神のように大いなる神がいるでしょうか。
77:14 あなたは奇しいわざを行われる神、国々の民の中に御力を現される方です。
77:15 あなたは御腕をもって贖われました。ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを。 セラ
77:16 神よ。水はあなたを見ました。水はあなたを見て、わななきました。大いなる水も震え上がりました。
77:17 雨雲は水を注ぎ出し、雷雲は雷をとどろかし、あなたの矢もひらめき飛びました。
77:18 あなたの雷の声は、いくさ車のように鳴り、稲妻は世界を照らし、地は震え、揺れ動きました。
77:19 あなたの道は、海の中。その通り道は大水の中。それで、あなたの足跡を見た者はありませんでした。
77:20 あなたは、モーセとアロンの手によって、ご自分の民を、羊の群れのように導かれました。


箴言15:13 心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。

ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょうか。

ローマ3:24 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。

イザヤ61:3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれる。

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