2025年6月29日「口を大きく開けよ」詩篇81:1〜16
序−引田駅にツバメの巣があり、最近まで、ツバメの子たちが大きな口を開き、餌を求めてアピールしていました。口を大きく開かなければ、親鳥は餌をくれないそうです。今日の詩篇には、「口を大きく開けよ」という表現があります。10節。民は何のために口を大きく開くのでしょうか。
T−賛美するために、口を大きく開きます−1〜4
1節で、「喜び歌え、私たちの力なる神に。喜び叫べ、ヤコブの神に」と言っています。歌だけでなく、「タンバリンを打ち鳴らせ。立琴を琴に合わせてかき鳴らせ、角笛を吹き鳴らせ」と言っています。2〜3節。賛美は喜び、叫べと言われています。楽器も、弦楽器、管楽器、打楽器が揃っています。楽器の演奏付きの壮大な賛美を「私たちの祭りの日に」しなさいと命じています。まさに、祭典的礼拝ですね。
ですから、私たちは口を大きく開けて賛美するのです。賛美は神にささげるものであり、神と深く交わるものであると聖書は教えています。詩篇95:6,100:2。賛美をすればするほど、私たちは神に近づくことができ、私たちが神の臨在を実感できるようにしてくださいます。神の臨在を覚えて、賛美しましょう。礼拝とは、神を「ほめたたえる、あがめる」という意味です。すなわち、賛美です。詩篇では、神の素晴らしい恵みに対して賛美し、ほめたたえるように、繰り返し教えています。
この詩篇でも、「喜び歌え、喜び叫べ、ほめ歌を歌い」と繰り返しています。いずれも、命令形で書かれています。賛美は、気分に左右されないということです。確かに状況によっては賛美することが難しいことがあるでしょう。しかし、難しい時こそ、口を大きく開けて主を賛美してみましょう。使徒16:25。不安や心配が逃げて行きます。痛みが癒され、慰めが与えられ、希望が与えられます。賛美は、「神を心の中に歓迎します」という宣言でもあります。賛美を通して神を心にお迎えした者は、御霊がその人の主人となってくださるので、心から恐れや不安が追い出され、心の傷も癒されて、心に感謝と喜びが湧いてきます。
そして、賛美もまた神の恵みに応答する行為です。ヘブル13:15。自分自身をいけにえとして神にささげることです。本当の幸せは自分が造り変えられていくことです。そのためには、礼拝の中で御言葉を真剣に聞き、心から主を賛美するのです。賛美の本質は、神の御言葉にいつでも従う生活です。
賛美は歌詞を歌うわけですから、本人の思いにかかわらずその言葉を告白することになります。神が喜ばれる言葉を口を大きく開けて告白することで、神は私たちに働かれて、内面から私たちを癒し、変えてくださいます。賛美を通して、私たちは変えられることが可能なのです。思いが変えられるなら、肉の思いが砕かれ、悔い改めるようになります。悔い改めるという語は、考えを変えるという意味だからです。
神の民は、神の約束を信じ、神を礼拝して賛美しました。神に感謝して賛美しました。約束を信じて感謝の歌を歌うことは、神に対する絶対的信頼、信仰が必要です。詩篇62:8。賛美は、神の民の心を神の思いで満たしてくれます。問題にぶつかった時、賛美して解決の知恵を求めるなら、神が私たちの心に答えをくださいます。御言葉の約束を信じて神を賛美することは、私たちを勝利に導いてくれるようになります。
賛美には素晴らしい恵みがあります。教会の一致を作るということです。同じ歌詞をともに歌うことによって、心が一致するのです。本来歌は神と一致するためにあるものです。賛美は、そのために神の民に与えられた賜物なのです。
U−口を開いて祈り、叫びます−5〜9
神は、神の民に、こう言われました。6〜7節。神の民がエジプトで奴隷となっていた時、人々は、「苦しみの中で叫び」神に救い出してくれるように祈りました。出2:23。「叫び」というのは、口を大きく開いて、祈ったということです。エジプトで苦役に苦しんでいた民は、神に祈り、叫びました。神は、その民の嘆きの祈りに答えてくださり、エジプトから救い出してくださいました。出6:5〜6。民の「肩から重荷を取り除き、手を荷かごから離して」くださいました。イエス様は、「重荷を負って人はわたしのもとに来なさい」言われました。マタイ11:28。私たちが切実に祈るなら、神は私たちから重荷を取り除いてくださいます。
神の民、聖徒たちは、神に向かって口を大きく開いて祈らなければなりません。イエス様は、「求めなさい。探しなさい。たたきなさい」と熱心に祈るように言われました。マタイ6:7〜8。その時、「それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか」と言われました。マタイ6:11。これほどに祈り求めるように言われているのに、祈り求めないのなら、神を信じていないのか、神を無能な方と思っているかではないでしょうか。
偉大な出エジプトの出来事は、エジプトで奴隷として苦役に苦しんでいた民が、神に助け出してくださるように祈り、叫んだからでした。その祈りの嘆きを聞いた神が、奇跡を起こして「苦役から導き出し、労役から救い出し」てくださいました。イエス様のたとえのように、私たちは、神に対して「自分の子どもがパンを求めているのに石を与える」ようなお方だと思わないでしょう。マタイ7:9,11。求める者たちに良いものを与えてくださる方なら、「口を大きく開いて」神に熱心に祈り求めましょう。
神は私たちの必要を知っておられます。だから、祈らなくてもいいのですか。しつこく熱心に祈り求めなさいとイエス様は教えられました。祈り求めること、それが信仰のあらわれだからです。仕事や生活のこと、健康や病気のこと、問題や事件等、私たちは、祈らなければならないことがあります。嘆いて緊急に「口を大きく開いて」祈る必要もあります。
イエス様が繰り返し熱心に祈るように言われているのに、口を閉じて祈らないのは、イエス様を信じていないことになります。私たちは、口を大きく開けて祈ることがありますか。1節で「私たちの力なる神」と言われていますが、本当に自分の神を「私たちの力なる神」と信じているのでしょうか。ときおり私たちの人生には理解できないこと、受け入れ難いことが起こります。その時、もっと神に近づく機会としなければなりません。嘆き叫び、救い出してくださるように口を大きく開けて祈ります。
V−口を開けただけ、御言葉で心が満たされます−10〜16
神の民をエジプトの地から連れ上った神は「あなたの口を大きく開けよ。わたしが、それを満たそう」と言われました。10節。この場合、「口を大きく開ける」とは、どういうことでしょうか。何で心を満たしてくださるというのでしょうか。11〜14節。民が神の言葉に聞き従わなかったので、頑なな心のままに任せたが、民が神の言葉に聞き従うなら、守り導いたのにと言われました。つまり、口を大きく開けるということは、御言葉をよく聞いて、従うということです。御言葉で心が満たされます。詩篇107:9。
8節では、「聞け」と命じています。聞かなければ、そのままにされます。11〜12節。つばめの子は、口を大きく開けます。母鳥は口を大きく開けた子に餌を与えます。口を大きく開けないと、餌をもらえず、弱って死んでしまいます。神の民が御言葉を食べないと、霊的に死んでしまいます。神の民、聖徒たちは、神の言葉を食べるために口を開ける者です。クリスチャンは、御言葉を食べて生きる存在です。
イエス様の十字架を信じて救われた者は、救いの人生を生きるために御言葉を食べなければなりません。イエス様が荒野の試みでそのことを教えてくださいました。マタイ4:1〜4。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい」という悪魔の試みに対して、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」と答え、試みを退けられました。私たちが御言葉を食べているなら、試みを退けることができます。
私たちは、イエス様を信じることで神の子どもとなりました。神の言葉を求めて食べる人生にならなければなりません。聖書は、御言葉を聞くことを食べることに例えています。エゼキエル3:1〜3。この巻物とは、神の言葉が記されたものです。神は、預言者に御言葉を食べて、腹を満たせと言っています。それは、人が食べ物を食べると、消化吸収され、成長し健康になります。聖徒も、御言葉を食べて成長し、霊的健康になります。
エゼキエル3:3で御言葉を「食べると、それは口の中で蜜のように甘かった」と言っています。心に良いということです。今日の15節でも、「蜜であなたを満ち足らせる」と言っています。それなら、御言葉を食べたいですね。御言葉を食べて信仰で受け入れると、私たちの内で御言葉が生きて働くようになります。私たちは、心の成長と健康のために御言葉を食べなければなりません。Tペテロ2:2。
今日の詩篇では、力の神に「喜び歌え、喜び叫べ、ほめ歌を歌え」と繰り返します。賛美するのが難しい時にも、口を大きく開けて神を賛美してみましょう。苦役に苦しんでいた民は、神に祈り叫び、助け出されました。苦しい時には、口を開けて祈りましょう。御言葉を食べて信仰で受け入れると、私たちの内で御言葉が生きて働くようになります。口を大きく開けただけ、心満たされ、人生が良いもので満たされます。エゼキエル3:3。
詩篇< 81 > 指揮者のために。ギテトの調べに合わせて。アサフによる
81:1 喜び歌え、私たちの力なる神に。喜び叫べ、ヤコブの神に。
81:2 ほめ歌を歌い、タンバリンを打ち鳴らせ。うるわしい音色の立琴を、琴に合わせてかき鳴らせ。
81:3 新月と満月に、角笛を吹き鳴らせ。私たちの祭りの日に。
81:4 これは、イスラエルのためのおきて、ヤコブの神のための定めである。
81:5 神が、エジプトの地に向かって出て行かれたとき、ヨセフのうちに、それをさとしとして授けられた。私は、まだ知らなかったことばを聞いた。
81:6 「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。
81:7 苦しみの中であなたは叫び、わたしはあなたを助け出した。わたしは、雷の隠れ場からあなたに答え、メリバの水のほとりで、あなたを試した。 セラ
81:8 聞け、わが民よ。わたしはあなたを戒めよう。イスラエルよ、わたしの言うことをよく聞け。
81:9 あなたのうちに、異なる神があってはならない。異国の神を拝んではならない。
81:10 わたしは、あなたの神、主である。わたしが、あなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きく開けよ。わたしが、それを満たそう。
81:11 しかし、わが民はわたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに服従しなかった。
81:12 それでわたしは、彼らを頑なな心のままに任せ、自分たちのはかりごとのままに歩ませた。
81:13 ああ、ただ、わたしの民がわたしに聞き従い、イスラエルがわたしの道を歩んでいたなら。
81:14 わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らに逆らう者に、手を下したのに。」
81:15 主を憎む者どもは主にへつらうが、彼らの刑罰の時は永遠にまで至る。
81:16 しかし主は、最良の小麦をイスラエルに食べさせる。「わたしは岩からしたたる蜜で、あなたを満ち足らせる。」
ヘブル13:15 ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
出6:5 今わたしは、エジプトが奴隷として仕えさせているイスラエルの子らの嘆きを聞き、わたしの契約を思い起こした。
6:6 それゆえ、イスラエルの子らに言え。わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役から導き出す、あなたがたを労役から救い出し、伸ばされた腕と大いなるさばきによって贖う。
マタイ7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。
7:9 あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょう。
7:11 このように、あなたがたは悪い者ではあっても、自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。
詩篇107:9 まことに主は、渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので満たされた。
マタイ4:4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
エゼキエル3:1 その方は私に言われた。「人の子よ。あなたの前にあるものを食べよ。この巻き物を食べ、行って、イスラエルの家に告げよ。」
3:2 私が口をあけると、その方は私にその巻き物を食べさせ、
3:3 そして言われた。「人の子よ。わたしがあなたに与えるこの巻き物を食べ、それで腹を満たせ。」私がそれを食べると、それは私の口の中で蜜のように甘かった。
Tペテロ2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
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