2025年7月27日「神のかたちとして」創世記1:26〜31
序−人間とは何か、自分はどうして存在しているのか、何のために生まれているのか、何のために生きていくのかなどと思うことが誰にもあると思います。今日の箇所が答えています。
T−神のかたちとして、神に似せて−26〜27
天地創造の最後は、人の創造です。26〜27節。人の創造が神の創造の最終目的だからです。「人をわれわれのかたちとして、われわれに似姿に造ろう」「神ご自身のかたちとして創造された」と言っています。「かたち」も「似姿」も、同じ意味の言葉を繰り返す書き方です。「神のかたち」と言っても、形状のことではなく、神のご性質や在りかたに似せて造られたということです。他の被造物と基本的にまったく違う尊厳を持つ存在だということを示しています。
人格や知恵、聖さや愛が与えられました。理性や意志、良心や道徳、思想や文化などが最初から与えられていたということです。人は、考えて判断し、計画を立てて実行し、評価して発展させることができる存在でした。古代の人が何の知性も文化もなかった原始人のように思わないでください。縄文人だって、優れた芸術性や倫理性がその遺跡や遺物から窺われます。人は、他の生き物とは根本的に違っていました。神に似せて造られた存在なのです。
本当に人は尊い存在なのです。高価で尊いのです。イザヤ43:4。自分を卑しい者としてはなりません。動物と同じく被造物ではありますが、神のかたちとして、神の似姿に造られた存在である尊厳を持って生きなければなりません。ねたみ、争い、憎み、欲望と自己中心で生きるのであれば、神の似姿が消えてしまいます。
「人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう」という表現は、三位一体の神が暗示されているようです。人を造られる時、三位一体の神の中で相談され、一致して造られた姿が表わされているようです。それほど大切な存在であるということです。この複数形は、関係性を表していると言われています。神が人を創造された目的は、三位一体の神との交わりを持たせるためです。そのように、人が三位一体の神と関係を持つことで人が人らしく生きることができるように造られたということです。神を礼拝する、神に祈る、御言葉を黙想する、御言葉に聞き従うということは、神との関係性が与えられた人として当然なことなのです。
神から離れ、神との関係が薄れてしまうと、人は罪を犯すようになります。人格や知恵、聖さや愛が与えられているにもかかわらず、罪を犯すと、神のかたちが損なわれてしまいます。罪を犯しても恥ずかしさを知らない存在になります。神の似姿に造られた尊厳が失われると、動物と変わらない姿になります。
聖書は、そのために神の御子イエス様を世に与えられ、その十字架と復活の御業によって信じる者を救ってくださるようにされました。救われた者は、新しく造られて、神のかたちを回復するようになります。Uコリント5:17。 神のかたち回復して、神と持続的な交わりを持つ人が信仰の人であり、幸せな人となります。イエス様を信じて救われた者は、神にかたどり造られ、新しい人を着ることになります。エペソ4:23〜24。
U−支配するようにしよう−26,28
こうして、特別に神のかたちとして、神の似姿に造られた人に、特別な役割が与えられました。26,28節。「海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配するようにしよう」「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地を這うすべての生き物を支配せよ」と命じられました。人は、この意味をしっかり受け取らなければなりません。この表現は、被造物の主人が人ではなく、神であることを示しています。神に代わってすべての生き物を管理するように、神から人に付託されました。
神の被造物に過ぎない人が神に代わって生き物を治め、管理するというのはとんでもないことです。すべての被造物を治め、管理するためには、能力と知力と労力が必要です。そのために神のかたちとして、神の似姿に造られたのです。人は、この役目をいただいていることをどれほど感謝して、どれほど役目を忠実に果たそうとしなければと思わされます。Tコリント4:2。私たちが世で生きて、働いて、生活するのは、この延長にあります。家庭で仕えることも、社会で働くこともそうです。Tペテロ4:10。
人は、この世の生き物の主人でもなければ、自然の所有者でもありません。世の被造物を神の御心に従って管理する管理者に過ぎないことを忘れてはなりません。人も、すべての生き物と同様に神によって造られたものにすぎません。神に代わってすべての生き物を治めるのが、造られたものとしての人の役目です。
しかし、神のかたちとして造られ、神の代理としてすべての生き物を治める能力を与えたのは、神の冒険ではないかという人がいます。本当にそうだと思います。神の被造物に過ぎない人が、神に代わって生き物を支配、管理するというのはとんでもない危険を含んでいるからです。
現代社会の中で、政治や行政や報道機関において、権力を握る人々が、尊大になり、権力を振り回すことがあるのを見ます。その権限を与えられたのは、その立場や職責を担うためなのに、あたかも権力者にでもなったかのようにその権限を振り回すのです。人は神の代理人、管理人に過ぎないのに、自らが支配者になりたい、神のようになりたいという罪の思いにとらわれ、罪に陥るようになります。
自然を破壊し、生き物が生きられないようにするなら、神の管理の命令に背くことになります。人が権力者のように、自然や生き物を支配するのは罪の姿であり、その責任を問われることになります。自然や生き物の破壊は、自分の生きる環境を破壊し、自分も苦しむようになり、自分に返って来ることになります。人為的な自然災害も多くなっています。自然由来の医薬品も多いですが、ある植物の種が消えれば、潜在的な薬も消えることになりかれません。
従えたい、支配したいという思いは、イエス様の弟子たちの中にもありました。ルカ22:24。イエス様は、横柄に振舞う支配者や権力をふるう者のようではなく、仕える者になりなさいと、弟子たちに教えらえました。マタイ20:24〜26。イエス様ご自身が、神の御姿であられる方なのに、しもべの姿を取り、人としての姿をもって現れ、十字架の死にまで従われました。ピリピ2:6〜8。罪に陥った者を救ってくださいました。
神が人にすべての生き物を支配するように命じたことは冒険ではありませんでした。完全な神のかたち、神の姿であるイエス様の十字架を通して救ってくださるようにしてくださいました。
V−祝福、繁栄−28〜31
神は、人を祝福され、「生めよ。増えよ。地に満ちよ」と言われました。28節。そのために食べる物も与えてくださいました。29節,創世記9:3。なぜか、他の動物のための植物とは区別されているようです。30節。争うことのないようにされたのでしょう。こうして、神の祝福を受けて、食べる物も備えられて、人は栄え、増えて来ました。ところが、現代は、多くの国において出生率が下がり、人口が減って、社会が回らなくなってきています。生きにくい、育てにくいということなのでしょうか。「生めよ。増えよ」という神の命を忘れ、神の祝福が得られなくなりなした。現代社会は、混乱しています。
地上のすべての生き物は、神が創造され、神が祝福された存在です。特に神の祝福を受け、神のかたちとして造られた人が神との継続的な交わりを持ちながら被造物を治めていかなければなりません。「地を従えよ。すべての生き物を支配せよ」という命令を文化命令と呼ぶことがあります。神は、私たちにこの使命を与えられました。救われた聖徒として何をすべきかというのは、教会生活に留まりません。すべてのことについて、創造主なる神の御心のようになるように務めなければなりません。
この命令は、今も有効です。イエス様を信じて救われて、神のかたちを回復した者には、世での使命があります。神のかたちとして回復されたその姿を見せなければなりません。回復の道を知らせなければなりません。やがて神から委ねられた管理者としての使命をどうして来たか、神に報告しなければならない時が来ることを覚えましょう。
神は、人を造られた第六日に「それは非常に良かった」と言われました。31節。こんなにも神は喜ばれました。人は祝福をもって造られた者です。人は、神の造られた天地の中で祝福を受けて生きていくのですが、その祝福をどれほど認識するかで、人生が違って来ます。同じような環境の下で育った子どもだとしても、親の祝福を受けて感謝して生きる子どももいれば、祝福を受けていないかのように親に反発する子どももいます。
人は、神のかたちとして造られた祝福があります。生き生きと生きるこができるように備えられる祝福を受けました。地と生き物を治め、管理するという祝福をいただきました。人は、罪によってその神のかたちを失い、祝福を失いました。しかし、イエス様の十字架による救いが、それを回復させてくださいました。神の愛を回復し、神様の似姿を求めて生きて、成長することを願います。エペソ4:23〜24。
創世記1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして、彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
1:28 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地を這うすべての生き物を支配せよ。」
1:29 神は仰せられた。「見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってそれは食物となる。
1:30 また、生きるいのちのある、地のすべての獣、空のすべての鳥、地の上を這うすべてのもののために、すべての緑の草を食物として与える。」すると、そのようになった。
1:31 神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。
イザヤ43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。
Uコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
ピリピ2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
エペソ4:23 また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、
4:24 真理に基づく義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。
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