2025 年 8 月17 日「人に耕させ、守らせた」創世記2:1〜15
序−人々の中に仕事に対する誤解があります。「何のために働くか」という最近の政府の調査によると、生きがいや才能発揮、社会貢献いう項目より、70%以上の人が、お金を得るために働くという項目を選びました。クリスチュンでも、仕事は罰や呪いと誤解する人や仕事はこの世的だと信仰と区別する人がいます。聖書は、仕事について何と教えているのでしょうか。
T−神がなさっていた仕事、天地創造−1〜3,1: 26,28
聖書は、創世記2章で何よりも先に仕事について教えています。1〜3節。ここで、「神がなさっていたわざ」の「わざ」とは、「仕事」のことです。他の箇所では、「仕事」と訳されています。出20:9。今日の箇所で、神がされた天地創造が「仕事」と表現されているのです。「神がなさっていたわざ」が2〜3節で三度も繰り替えされています。神は天地創造の仕事を一日目か らずっと行っておられたのです。そして、七日目にその仕事をやめられました。天地創造を完成されたからです。
「わざ」「仕事」という意味の単語マラカ、これは人が普通にする仕事の言葉です。神は天地創造のはじめに仕事をしておられたのです。仕事は、後に導入された必要悪でもなく、神ご自身にふさわしくないものでもありません。神は、仕事をされ、その結果を「良かった」と喜ばれました。1:31。人は誰でも、良い仕事や満足の行く仕事ができたら、その中に自分の存在を認めるでしょう。神が天地創造の始まりから仕事をしていたということは、「はじめに仕事があった」と言ってもよいくらいです。
神はその天地創造の仕事を喜ばれ、楽しまれました。ですから、仕事は良いもの、喜び、楽しむことのできるものなのです。仕事は良いものとし、喜び、楽しんでおられますか。私たちの仕事に対する思いが新しくされなければなりません。仕事に対するイメージはどうですか。仕事に対するマイナスイメージは、改められなければなりません。創世記3:17。
人は、神のかたち、神の似姿に造られました。ですから、当然人も神のように働き、仕事をするのです。ヨハネ5:17。仕事は、人が神に似せて造られたことを反映するものなのです。すなわち、仕事は、人が神の似姿に造られた尊厳、品性の表れであるということを聖書は教えています。すでに、神のかたちとして、神の似姿に造られた人に、特別な役割、仕事が与えられていました。26,28節。「すべての生き物を支配せよ」と命じられましたが、神に代わってすべての生き物を管理するように、神から人に付託されたとうことです。仕事は神の代理人の働きだというのです。なんという素晴らしいことでしょうか。人だけが他の生き物と区別され、仕事が与えられていました。
U−人を造り、エデンの園に置かれた−4〜14
天地創造の中で人が創造されたときの経緯が詳しく記されています。4〜8節。人による自然の支配、管理の仕事がなされないうちは、自然は混沌としていたということが分かります。5〜6節。それゆえ「大地を耕す人もまだいなかった」と強調されています。神が創造された後の自然や生き物の管理のために、人の仕事、働きが必要だったということです。
人の造られ方も、詳しく教えられています。土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれると、そこで人は生きものとなったというのです。「形造り」という言葉は、陶工のように作る、形成するという意味です。人は、粘土細工のようなものでも、そこに神の息が吹き込まれている尊い存在だというのです。そこが他の動物とは違います。人にとって大切ななのは、霊、魂です。人は体と魂を持つ存在です。人は、霊が生き、魂が健康で平安であれば、心も体も平安です。人は、神が直接いのちの息を吹き込んでくださった生きものであり、神様のかたちと似姿で創造された被造物であり、人だけが神様と交わることができる唯一の存在です。
そして、神は形造った人をエデンに園に置かれました。8節。なぜなら、エデンの園で人が地を耕すようにさせるためでした。5節。神は、人を働く存在として創造されました。仕事は、神が人に与えられた祝福の賜物だということです。Tコリント7:7。ですから、人は仕事をする時、やりがいを感じ、幸いを覚えるのです。仕事をどう思っていますか。自分のしていることは、神からの賜物と思い、遣り甲斐と幸いを感じることを願います。
エデンの園は、美しさ、調和のとれた状態でした。9〜14節。エデンの園が美しいのは、神との関係を維持し、本来の使命を果たす場所だからです。
人の本来の使命は、園を整え、園の世話をすることです。それは罰や労苦ではなく、神の創造に参加することでした。エデンという名前も「喜び」という意味です。それなのに、世の人々の仕事観はどうでしょう。仕事をするのにうんざりするという人もいます。食べて生きていくため仕方なく働くと言う人もいます。仕事は嫌いで、大変で難しく感じている人もいます。仕事なんかしないで、暮らしたいと願う人もいます。
仕事を単なる自己満足や自己実現の道具と捉えると、人は徐々に壊れていきます。個人レベルだけでなく、社会そのものが弱体化していきます。本来仕事は、呪いではなく祝福でした。神からの召命でした。人は、神からエデンの園で働くように園に置かれた存在です。人が神のかたちと似姿に造られたという言葉の中には、神が人に仕事をするために、聞いて、見て、考え、判断し、決める能力を与えてくださったという意味が込められています。神がそうされたように、人も想像力と意志を通して世での働きをしなければなりません。
こうして、神から委ねられた仕事をするためにエデンの園に置かれたのに、後にその似姿が破壊され、神との関係が壊れたので、救い出し、回復させてくださるためにイエス様を世に送ってくださいました。
職場で働くことも、学校で勉強することも、家で掃除や洗濯をすることも、「すべて私のエデンの園を築くことだ」と考えながらしてみましょう。日常で行うすべてのことを神から預かったエデンの園を管理する神聖なことだと考えてみてください。そうすると、自分が日常生活で行うすべてのことが、私のエデンの園を耕すことであり、家庭のエデンの園を守ることであり、社会と世のエデンの園を耕し、守ることになります。私たちに与えられた働きを神のエデンの園で働くと考えて喜んで働いてみるのです。
V−耕させ、また守らせた、文化命令−15, 1:26,28
創世記1:26,28の「支配するようにしよう」「支配せよ」という命令がありました。この支配とは、管理だということを学びました。今日の15節の「それを耕して守らせた」とあります。神は、人を神のかたちに造り、仕事を与えました。人が神の代理として、この世界や被造物の世話をし、養い、発展させたのです。これを、文化命令と呼びます。
「耕す」という言葉は、しもべとして仕えるという意味です。神は、文化命令において、耕し、守ることを求められました。神は、私たちにこの使命を与えられました。こうした文化命令は、人が職場で働いたり、学校で学んだり、社会で活動したりするすべてのことに関係しています。神のかたちに造られた人がする仕事は、すべて尊厳があります。仕事は、人が神のかたち、似姿に造られたことを反映するものです。神が私たちを愛して世を刷新してくださるのに、私たちの仕事が重要なのです。そのために、神は私たちにビジョンや希望を与えてくださいます。
神は人をエデンの園に導いてくださいました。人は、神が自分を導いてエデンの園で働くようになさったと確信する時、この世で使命を持ってより一生懸命働くことができるようになります。やっている仕事を神から任され、委ねられたと考えると、職業は神からの召命になります。どんなことをしても神様の園を世話し、整える心になれば、それは美しいことになります。「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」となります。コロサイ3:23。
神がエデンの園に人を連れて来られたのは、エデンの園を耕作するようにさせるだけでなく、エデンの園を守らせるためでした。この「守る」とは、責任を意味します。人が責任を持つと、より誠実に働くようになっていきます。Tコリント4:2 。 今私たちがするすべてのことは、私たちのエデンの園を耕すだけでなく、同時にエデンの園を守ることなのです。エデンの園を守るという責任感を持っているなら、神は私たちにもっと大きな祝福と賜物を与えてくださいます。
本来、私たちが世で仕事する目的は何でしょうか。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と、命じられています。Tコリント10:31。
文化命令は、今も有効です。イエス様を信じて救われて、神のかたちを 回復した者には、新しくされ、世での使命があります。Uコリント5:17,コロサイ3:10。イエス様の救いによって新しくされた者は、その置かれた所を主に委ねら れたエデンの園として働き、守り、人を助け、福音を証しし、責任を果た して行くのです。15節。
創世記2:1 こうして、天と地とその万象が完成した。
2:2 神は第七日目に、なさっていたわざを完成し、第七日目に、なさっていたすべてのわざをやめられた。
2:3 神は第七日目を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神が、なさっていたすべての創造のわざをやめられたからである。
2:4 これは、天と地が創造されたときの経緯である。神である主が、地と天を造られたときのこと。
2:5 地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である主が、地の上に雨を降らせていなかったからである。大地を耕す人もまだいなかった。
2:6 ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。
2:7 神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。
2:8 神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。
2:9 神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。
2:10 一つの川がデエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。
2:11 第一のもの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。
2:12 その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。
2:13 第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。
2:14 第三の川の名はティグリス。それはアシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。
2:15 神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
ヨハネ5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」
Tコリント7:7 私の願うところは、すべての人が私のように独身であることです。しかし、一人ひとり神から与えられた自分の賜物があるので、人それぞれに生き方があります。
Tコリント4:2 その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。
コロサイ3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。
Tコリント10:31 こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
Uコリント5:17 ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
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