2025年8月31日「罪の根」創世記3:1〜7

序−私たちは、日常生活の中で色々な試みや誘惑にあい、御言葉に反するようになる時があります。私たちは、なぜ試みや誘惑に陥るのでしょうか。誘惑に陥らないためにはどうしたらよいのでしょうか、罪とは一体どういうものなのでしょうか、創世記3章から学びます。

T−罪の誘惑に陥る−1〜4
 神が人に与えられた最初の命令がありました。創世記2:16〜17。人に対して、園のどの木からでも思いのまま食べてよいと言われましたが、「善悪の知識の木からは、食べてはならない」と命じられました。神は人に自由意志を与えられましが、人が神の命令に従うことを望まれました。
 なぜ善悪の知識の木を置いたのでしょう。もちろん、ある人々が言うように罪を犯させるためではありません。人は、神の似姿に造られ、被造物を支配、管理する権限を与えられましたが、人も神によって造られた存在です。そのことをしっかり知るために「善悪の知識の木からは、食べてはならない」という命令が与えられたのです。
 人は好き勝手に生きても大丈夫な存在ではないということです。善悪の知識の木は、人が神の言われることを守らなければならない秩序にあるとともに、真の幸福の道がどこにあるのかを知らせるものだったのです。好き勝手にできることが幸福ではありません。最初の人々は、このことで失敗し、罪に堕ちてしまいました。
 その経緯から罪の誘惑について知ることができます。サタンが蛇を使って一人でいた女に聞いてきました。1節。なぜ、女を誘惑したのでしょう。女は、直接「善悪の知識の木からは、食べてはならない」ということを聞いていなかったからです。夫からの伝聞でした。それだけ、騙されやすいということです。夫に聞けば、確認できたでしょう。でも、確認する気がなかったのでしょう。一人では、誘惑に陥りやすいのです。
 蛇の特徴は、「ほかのどれよりも賢かった」と言われていますが、以前の訳では、「蛇が一番狡猾であった」です。騙す者であることが分かります。騙す者のテックニックが遺憾無く発揮されています。「本当に」と女に聞いています。「本当に?本当ですか」と言われると、よく知っていることでも、本当にそうだったかなと不安になり、混乱して来ます。さらに、「園の木のどれからも食べてはならないと言われたのですか」という問い自体、騙すための布石です。神は、「園のどの木からでも思いのまま食べてよい」と言われていたのに、「園の木のどれからも食べてはならないと言われたのですか」と聞くことは、「神はあなたの自由を束縛する独裁的な方だ」と女に印象づける質問でした。
 その蛇の騙しの罠にかかったことが、その返事からよく分かります。2〜3節。神の言われたことを自分の都合の良いように変えています。つまり、脚色しています。「食べてはならない」という命令を、「それを食べてはならない。それに触れてもいけない」と解釈することで、神の命令をより人の自由を束縛する重々しい命令に変えてしまったのです。そして、「その木から食べるとき、必ず死ぬ」という神の厳粛な警告をいい加減に理解し、「死ぬといけないから」と弱めてしまいました。
 女は、神の言葉を自分勝手に自分の都合よく解釈するという罪を犯していたことを知ると、私たちが罪を犯す原因が何か分かります。神の言葉を正しく受け止めず、自分勝手に解釈して重くしたり、軽くしたりすることが罪を犯す原因です。
 それに対して、すかさず蛇が騙しの言葉を続けます。4節。「あなたがたは決して死にません」とくさびを打ちます。これは神の言葉に従わなくても、別段何も起こりませんよ」と、女を安心させる言葉です。神の言葉を都合よく変えている女が、それを求めていたからです。

U−神のようになる−5〜6
 さらに、女の心の中を見透かしている蛇は、女の心に願っている思いに合わせて、誘惑し、騙します。5節。「それを食べるその時、目が開かれ、あなたがたが神のようになる」と言っていますが、これは、「神に従わない方がもっと良い結果を得ることができます。一切束縛のない、何でも自由にできる神のようになれますよ」と言っているようなものです。
 この蛇の誘惑の鍵は、「神のようになる」ということです。これを聞いて、女は完全に騙され、誘惑に陥ってしまいました。6節。蛇の言葉に誘惑された女は、これまでまったく感じなかった感情をもって善悪を知る木を見るようになりました。6節前半。「女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった」と感じられるようになったのです。こういうことってありますね。私たちも、自分にとって関心すらなかったことだったのに、サタンの誘惑を受け騙されると、この時の女のように内側に変化が起こり、見え方や感じ方が変わり、罪に陥ってしまうのです。
 蛇の誘惑に陥ったエバは、その実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べました。6節後半。この事件は、人が自律性をもって神のようになる方向へ進むようになったことを意味します。神が必要なく、神なしで生きる人生を選択したということです。
 「女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えた」というのに、なぜ男は、留めなかったのでしょうか。どうして食べて命令を破る理由を聞かなかったのでしょうか。おそらく、男も女と一緒になって、同意していたのでしょう。ともに神の命令に逆らっていたということです。女が先に食べて男に食べさせたので、その罪を女のせいにしたり、女の責任を問うたりする人がいます。しかし、無理やり食べさせられたのではなく、男も自分の決定によって食べたのです。罪の責任を負うことになります。罪は伝染します。これを、罪の社会性と言います。
 罪の根は、「神のようになる」ということでした。善悪の知識の木の実を食べたということは、被造物に過ぎない人が神の命令を無視し、自分が神様のようになりたいという欲に捕らわれたことを意味します。神の主権に挑戦し、神に従おうとしないことが罪の根なのです。人は、神の命令に服従する秩序を破ることによって、神から独立したいという願望を持っているのです。自ら神になり、自分の人生の主人になりたいという欲望があるということです。
 神のようになりたいので、善悪の知識の木の実を食べたのですが、それで神のようになったのでしょうか。7節。むしろ、羞恥心を感じるようになりました。自分の人生の主人になりたくてそうしたのに、かえって自分の人生を心配するようになりました。マタイ6:25。神を自分の人生の主人として生きていた時は、心配はなく、平安でした。
 貪欲は、自分が自分の人生の所有者になろうとします。貪欲は人生を破滅に導きます。イエス様がこのことについて、的確なアドバイスをしておられます。マタイ6:31〜33。「まず神の国とその義を求めなさい」とは、優先順位を置くことです。誰が自分の人生の主人であるを確かめながら生きるということです。そうすれば、神が責任を取ってくださいます。自分が自分の人生の主人となって、望むもののために生きる間は、心配から解放されません。

V−誘惑に陥らないために−
 私たちも、生活の中に様々な試みや誘惑を受けます。どうしたら、試みや誘惑に陥らないようにできるのでしょうか。まず、「誘惑される場所から離れること」です。なぜか、女は、広いエデンの園の中でも、善悪の知識の木の近くにいました。サタンは、その機をとらえて、蛇を使って女を試み、罪を犯させたのです。私たちが罪を犯す理由は、犯すだけの環境の中におり、離れずにいるから、罪を犯すのです。ヨセフは、罪の誘惑を退けるためにその場から逃げました。創世記39:12。まず、罪を犯す環境から逃げなければなりません。
 試みや誘惑に陥らないためには、「信仰の交わりの中にいること」です。ずっと蛇と女だけの会話が続きます。1〜5節。最初女は一人でいました。一人でいる時、蛇は女を誘惑しました。サタンは吠えたける獅子のように、誘惑し、試みるべきものを探し回っています。Tペテロ6:8。ですから、一人ではすぐに餌食になってしまいます。私たちが、教会という信仰の交わりの中にいて信仰生活をすることは、とても大切なことなのです。信仰のコミュニティーにいるならば、互いに守り合い、助け合い、励まし合うことができるからです。いくら燃え盛る焚き木でも、一本別にされれば、すぐに冷えてしまいます。信仰の分かち合い、信仰の交わりが大切です。
 試みや誘惑に陥らないようにするには、「御言葉で生きること」です。神から直接善悪の知識の木のことを聞いた夫から、何度も神の命令を伝えられたはずです。2:16〜17。それなのに、御言葉を自分の都合で変えてしまいました。聞いた通り暗唱できなかったのでしょうか。女は、間接的に命令を受けたので、御言葉に関する責任を感じていなかったのでしょう。聖徒が聞いて読んだ御言葉を黙想し、味わい、自分の人生に適用された場合、その御言葉は自分のものとなります。イエス様の十字架を信じることによって、罪の赦しが与えられていることを感謝します。イエス様の十字架によって罪から守られることを願います。ローマ8:2。



創世記3:1 さて、蛇は、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
3:2 女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
3:3 しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
3:4 すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
3:5 それを食べるその時、目が開かれ、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを神は知っているのです。」
3:6 そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
3:7 こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのための腰の覆いを作った。


創世記2:9 神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木、また善悪の知識の木を生えさせた。

創世記2:16 神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
2:17 しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」


マタイ6:31 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
6:32 こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

ローマ8:2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

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