2025年9月14日「裁きの中にある救い」創世記3:14〜24
序−賛美歌262番「十字架のもとぞいとやすけき、神の義と愛のあえるところ」と賛美しました。実にイエス様の十字架の犠牲による救いは、神の裁きと愛が示されたところです。それは、今日の裁きの場にもあらわれています。どのように示されているのでしょうか。
T−原罪−14〜19
罪を犯した人は、妻の勧めに従うために、神に対して意図的に反逆しました。そもそも人が神からの命令を聞いたのです。2:16〜17。この最初の人、アダムの罪の結果は、彼一人の罪に留まらず、後のすべての人が受けることになりました。ローマ5:12,14。最初の人アダム、一人の人が犯した罪がその子孫にまで及ぼしました。アダム一人の罪によって、罪が世に入り、死が人生に入って来ました。こうして、すべての人が罪を犯して、死がすべての人に及ぶようになりました。これを「原罪」と言います。
神は、アダムを一人の個人としたのではなく、人類の代表とみなされました。このことは、「アダムの代表性」と言われます。なぜ、アダムの罪がすべての人の罪にもなったと言えるのでしょう。アダムにくだされた刑罰がその証拠です。それは、実際にすべての人の子孫にも及んでいるものだからです。すべての人に罪が及びました。
17〜18節の「大地はのろわれ、茨とあざみを生えさせる」というのは、人が罪を犯す以前とは違う状態になることが示されています。環境が悪化するということです。こうして、大地を呪い、アダムの生活環境を難しくすることで罪の苦しみを受けるようにされましたが、アダムを直接呪うことはされませんでした。私たちは、ここに神の人に対するあわれみと慈愛を見ることができます。
アダムは罪の結果として生涯にわたって労苦して食べ物を得るようになりましたが、額に汗して働いてこそ食料を得られることになったことは恵みです。罪を犯した後に労働が生じたわけではなく、罪を犯す以前とその後の働く条件が変わったのです。以前は働くことが楽しく、苦痛は伴いませんでしたが、その後は働くことに労苦と苦痛が伴うようになりました。
誘惑されて罪を犯した女に対しては、罪の結果として産みの苦しみと夫の支配が示されています。16節。産みの苦しみについては、イエス様が「一人の人が世に生まれたために、苦痛を忘れてしまう」と言っておられます。ヨハネ16:21。苦しみとともに恵みがあることを教えています。また、「妻は夫を恋い慕うが、夫は妻を支配することになる」と教えています。罪のために夫との確執も生じるでしょうが、骨からの骨、肉からの肉として愛されることにもなります。
19節には、神に従わないで罪を犯した結果、「人は土に帰る」ということが教えられています。人間は本来土から造られ、神がその鼻に息を吹き込んでくださった時に生きる存在となりました。ですから、神との関係が断たれたら、ただ土のちりになってしまうのです。ところが、人がサタンの誘惑を受け、自分が神のようになることができると勘違いをし、高慢になったのです。すべての人間は、自分が土であるという事実を厳粛に認めなければなりません。
だからと言って、死んだら終わりだと虚無主義に陥ることはありません。神は、罪に対する裁きの中にも生きる道を与えられました。
U−原福音−14〜15
神は、蛇に対する裁きの中で、人間を救う最初の約束を与えてくださいました。14〜15節。この蛇とは、サタンのことです。黙示録20:2。サタンが蛇のふりをして罪を犯させたのです。ここにサタンと女の対立があります。神がサタンと女の間に敵意と憎しみを置くことによって、その関係が切れるように介入されました。悪に対する敵意と憎しみがなければ、私たちは悪にさらされます。神様がサタンと女の間に敵意を置かれたのは、やがて成就される救いにおける女の役割を設定するためです。つまり、女の子孫として来られるイエス・キリストの贖いの準備をされたのです。
この15節の言葉は、サタンに下された呪いであると同時に、サタンの奴隷となった、すべての人間に対する神様の救い計画が入っています。つまり、女の子孫の中にイエス・キリストが生まれ、人間を、罪と死から救うことを約束されたのです。この御言葉が最初の救い主の預言であり、福音です。これを原福音と呼びます。最初の福音という意味です。聖書で最初に救い主、キリストに言及された福音です。
この原福音の核心は何でしょうか。一つは、女の子孫であるイエス・キリストが来て、サタンを滅ぼすことです。神は、女の子孫の中で救い主が生まれ、悪魔を滅ぼし、人間を救うことを約束されたのです。女からキリストが生まれるという言葉は、イザヤの預言を通してより具体的に予言されました。イザヤ7:14。「処女が身ごもっている」という預言通り、イエス様はマリアの胎に聖霊によって宿りました。マタイ1:18。
処女マリアに聖霊によって罪のない神の御子である方が救い主として世に来られました。なぜ、イエスは処女から生まれなければならないのでしょうか。アダムの原罪によってすべての人が罪を犯したので、死はすべての人に及びました。 それで、救い主として来られる方は、罪のない神の御子でなければならなかったのです。ヘブル4:15,Tペテロ3:18。
原福音の内容は、「彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」にあります。女の子孫として来られるイエス様は、一人の人、第二のアダムと言われるお方です。ローマ5:15。サタンが「彼のかかとを打つ」とは、イエス様の十字架の苦しみを言います。サタンはイエスを殺すために執拗に働きました。パリサイ人や祭司長、総督を使って十字架にかけました。
しかし、サタンの頭を打つこと、すなわちイエス様が十字架の死から復活されることによってサタンに勝利されました。イエス様が罪人に代わって刑罰を受けてくださったので、イエス様を罪人は罪を赦され救われて、天国への命まで与えられました。すべての人の罪がイエス様に転嫁され、すべての人の罪を背負って十字架にかかられたのです。ローマ5:18〜21。イエス様が復活と贖罪によってサタンの頭を砕いて、勝利されました。コロサイ2:15。今でもサタンは活動しています。ですから、イエス様の御名で対することを願います。イエス様の十字架によって勝利できます。Tコリント15:57。
私たちは、この原福音に人の救いに対する神の熱心を知ることができました。こうして人の始祖たちが罪を犯し、裁きを受けたところに、救い主の預言が与えられました。多くの預言者が救い主の預言をしていました。そして、時が満ちた時、神は御子イエス様を救い主として世に送ってくださいました。ガラテヤ4:4。
V−皮の衣−21〜
神の救いは、すでにこの時人ために最初にしてくださった行動にも示されています。21節。神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って、着せてくださいました。神は、裁きと恥ずかしさの中に置かれている二人に、救いの約束と計画を与えられたばかりでなく、革の服を作りました。なぜ、皮の衣なのですか。未開の人だからですか。皮がいちじくの葉より丈夫だからですか。
二人に革の衣を着せられたということは、一つの命を犠牲にして、彼らの罪と恥をおおってくださったということになります。女の子孫として来られる神の御子イエス様の十字架の死という犠牲を通して、人の罪が覆われ、神の御前に立つことができる者となることを事前に教えてくださったのです。ヘブル語の「贖罪する」カーファルは、覆い隠すという意味を持っています。皮の衣を作るためには、動物の血を流し、犠牲としなければなりません。これが、旧約時代の贖罪のための祭祀となりました。
イエス様の十字架の死によって、イエス様を信じる者は、神の義を象徴する白い衣を着るようになります。黙示録3:5。こうして見てくると、最初のアダムが罪によって失ったものよりも、第二のアダムであるイエス様によって得られる方がはるかに多いのです。罪と裁きという不幸な出来事の中にあっても、愛とあわれみの神は、驚くべき救いの恵みを施す通路とされました。義の衣を着た人は、天国で新しい命に生きるようになります。黙示録7:9。イエス様に救われて義の衣を着た人は、義とされただけでなく、永遠に聖なる状態にいたるようになります。
堕落前にアダムが味わった神との親密な関係よりはるかに親密な交わりを味わうことになります。堕落前のアダムは只の被造物でしたが、イエス様の義の衣を着た人たちは、天国の民となります。神が革の衣を通して堕落以前と比べて驚くべき愛を施してくださいました。
22〜24節には、いのちの木の実を食べられないように、エデンの園から追放され、入ることができないという裁きが教えられています。この裁きにも、神の恵みを発見することができます。人間は自分の力で永遠の命を得る可能性がなくなりました。しかし、神はいのちの木を取り除かず、その木に向かう道もなくさず、いのち木の道を守らせたということはいのちの木に行く可能性はあるという意味です。ここに神の恵みがあります。イエスによって救われた者は、天国でいのちの木の実を食べさせていただけるようになります。黙示録2:7。
創世記3:14 神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹ばいで動き周り、一生、ちりを食べることになる。
3:15 わたしは、敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでこそから食を得ることになる。
3:18 大地は、あなたに対して、茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
3:21 神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って、彼らに着せられた。
3:22 神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
3:23 神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。
ローマ5:12 そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に──
ローマ5:14 けれども死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々をさえも、支配しました。アダムは来たるべき方のひな型です。
ローマ5:18 こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、ひとりの義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます。
5:19 すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
5:20 律法が入って来たのは、違反が増し加わるためでした。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。
5:21 それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。
イザヤ7:14 それゆえ、主はみずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
黙示録3:5 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。
黙示録2:7 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
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