2025年11月30日「罪を覆ってくださる神」創世記9:18〜27

序−何かを成し遂げた後にうっかり失敗してしまう、困難を乗り越えたのにまさかの間違いをしでかしてしまうということがあります。大きなことを成し遂げ、困難を乗り越えた後、油断し、警戒を怠るからです。なんと、洪水の裁きから救われたノアが、失態を晒してしまいます。

T−恵みの後の油断、喪失感を満たそうと−18〜21
 洪水の裁きが終わり、ノアの家族の新しい歩みが始まり、人類が増え広がることになります。18〜19節。こうして義人と言われたノアは、神の祝福を受けました。信仰の人ノア、神の御言葉に忠実に従うノア、神に守られ、助けられたノア、そのノアの最後の記録がこの事件、失態です。どんなことが起きたのでしょうか。20〜21節。ノアが農業を行い、ぶどうを作りました。そして、ぶどう酒を飲んで酔っぱらい、裸になって寝てしまったというのです。あのノアがこの失敗、失態です。私たちは、なおさら誤り易い、失敗する者だとわきまえざるをえません。
 聖書は酒に酔うことを禁じています。エペソ5:18。ただ、口にすることまでは禁じていません。昔その地方では、自然発酵の低濃度のぶどう酒を水代わりに飲んでいたからです。現代の高濃度の酒ではありません。自分を制御できないほどしたたかに飲んだので、酔ってしまい、醜態を晒すことになりました。あのノアが、まさかの失態です。洪水前の人々と同じになってしまいました。ルカ17:27。人間の罪性をあらわしています。もう洪水で滅ぼさないと約束は、このためでもあったのです。完全な者はいない、人は罪を犯し易い者だと知らせています。
 なぜ、ノアは失態を晒すことになったのでしょうか。ノアは、一年間も箱舟の中で洪水から生き残ることできました。不安と恐れを抱きながらも、新しい大地で作物を植え、実りを収穫することができました。それで、喜んで、ほっとしたのです。油断したのです。私は大丈夫、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなければなりません。Tコリント10:12。成功の後に失敗があり、困難を克服した後に堕落するのです。外なる戦いに勝っても、内なる戦いには敗北してしまうのです。長く生きて経験を積んで来たとしても、思わぬ失態を演じてしまうのです。
 ですから、霊的に警戒して、敬虔に生きようとしなければなりません。特に、うまく行っていた時、何かに成功したあと、困難を乗り越えた後、要注意です。油断しないようにと注意するのです。私たちも、うまく行った時、乗り越えて後、失敗し、失態を犯し易いからです。
 なぜ、酔って自分が分からないほど酒を飲んだのでしょう。心の空しさや寂しさなどから逃れようとして、意識的に酒に酔うために多く飲んだと考えることができます。家族の外は誰もいないからです。洪水以前のすべてを失ったからです。どれほど喪失感が大きかったことでしょう。ふと、不安や空しさを感じる時があったでしょう。ですから、ノアも寂しさや空しさを酒に酔うことで満たそうとしたのです。エペソ5:18では、「ぶどう酒に酔ってはいけません」という注意に続いて、「むしろ御霊に満たされなさい」と勧められています。ところが、ノアは神の恵みで心を満たすのではなく、酒で喪失感や寂しさを満たそうとしたのです。
 人は寂しさや悲しみ、空しさや喪失感を満たそうと、神ではない何か代替品を探そうとします。これが中毒です。お金、権力、異性、人、物、仕事、遊び、あらゆるものを代替品としようとします。しかし、真の心の満たしを得ることはできません。かえってその奴隷になってしまうからです。ですから、酒に酔うのではなく、むしろ御霊に満たされることが必要です。エペソ5:18。私たちは、イエス様の十字架を信じて救われた者です。これ以上の恵みがあるでしょうか。うまく行っても行かなくても、成功しても失敗しても、この救いの恵みに満たされて生きて行くのです。

U−父の醜態を笑い、兄弟に知らせたハム−22,25
 このノアの恥ずかしい姿が、息子のハムに見られてしまいました。22節。ハムは、父の醜態を兄弟たちに知らせました。このハムの行為に、罪の性質が現れています。「見て」という言葉は、単に見るというのではなく、「見て楽しんだ、見てあざ笑った」という意味があります。そういう悪意をもって兄弟たちに告げたのでした。告げるという言葉にも、「公表する、暴露する」という意味があります。ハムは、父が失態を晒したことを喜んで暴露したということです。
 社会の中でも、人の失敗や弱点を話題にして楽しみ、吹聴してその人を故意に貶(おとし)めようとする罪の姿がよくあります。そうして、自分の反発や不満の溜飲を下げようとするのか、そうして自分を高めようとするのか、そういう罪の習性があります。ハムは、罪や過ちを犯して父のノアに度々注意されていたのでしょうか。そのことを悔い改めることなく、立派な父への反発をつのらせていたのでしょう。その父の失態、醜態を見たのですから、喜んで、暴露したということのようです。そんなことをしても、自分を高めることにはならないし、自分の得にはなならないでしょう。
 その結果、ハムは呪いを受けることになります。25節。兄弟たちのしもべとなるというのです。このハムについて、気になるがあります。なぜ、「カナンの父ハム」と紹介されているのでしょうか。18,22節。のろいを告げられる箇所では、「カナン」だけです。25〜27節。カナンがハムとともに悪をなしていたのでしょう。後にその悪の系譜はカナン人となって繁栄しますが、セムの子孫イスラエル人に敵対し、やがて服属し、しもべとなることを預言しているようです。ハムに現れた罪の根が時代を経て拡大されていく姿が示されています。
 一つの家庭で起こる小さな事件が、どのような違いをもたらすようになるのか、神はご存知です。人が見る些細な事件での対応が、長期的には呪いを継承するのか祝福を継承する選択となるのかとなります。私たちの些細な行動と選択が家族の未来を、子孫の未来を決定することにもなるのです。ノアの預言は、民族の未来を語っているのではなく、霊的な系譜を語っています。信仰の系譜の大切さを教えています。

V−−23,26〜27
 ハムが父の醜態の告げるのを聞いた、セムとヤフェテの兄弟は、ハムとは違う選択、対応を取りました。23節。「上着を取って、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった」という行動です。二人の行動は、ハムとはまったく違います。父の失態を見ないように、上着で覆ってあげたというのです。気をつけて、思いやりのある行動です。
 その結果、セムとヤフェテは、祝福を受けました。26〜27節。ハムと二人の違いは、上着で父の醜態を見ないように「覆った」ということに象徴的に現れています。ハムは醜態を見てあざ笑い暴露しましたが、セムとヤフェテの二人は、父ノアの過ち、罪を覆ったのです。「覆う」という言葉は、赦しの教理の中心です。罪を覆うことは、罪を否定することではなく、むしろ、神によって罪が取り扱われたため、見えないようにされるということです。詩篇32:1〜2。「愛が罪を覆う」と繰り返し教えられています。箴言17:9,10:12, Tペテロ4:8。創世記3:21では、罪を犯したアダムとエバに皮の衣を着せて、その裸を覆ってくださいました。そこに、贖罪が預言されていました。
 セムとヤフェテの系譜は祝福を受け、ハムの系譜は呪いを受けました。その違いは、罪過ちを暴露するか、罪過ちを覆うかの違いでした。箴言17:9の「愛を追い求める者は背きの罪をおおう。同じことを蒸し返す者は親しい友を離れさせる」とは、典型的な対応の違いです。「背きの罪を覆う」とは、罪を赦し、悔い改めを促すことです。箴言17:10。一方、同じことを蒸し返すのは、赦すことなく、責め続け、苦しめることです。
 義人ノアですらこのように失敗し、失態を晒すのですから、私たちはもっと失敗し、過ちを犯す者です。私たちが神の恵みと祝福を受けて生きる鍵は、神によって罪を覆われることにあります。ローマ4:7。私たちが人生の現場で恵みと祝福を味わうには、「覆われる人生」を生きることです。救われて、罪を覆われた者たちが、互いに愛し合うことで、罪を覆うことになります。Tペテロ4:8。これは、過ちや失態を赦すだけでなく、悔い改めを導き、新たな罪過ちを防ぐことになります。ヤコブ5:20。多くの罪を覆うことになります。
 罪を覆ってくださる恵みで救われた者は、ハムのように他人の失敗や過ちをあざ笑い、それを吹聴する者ではありません。私たちが救われたのは、他人より優れているとか、間違いがないとかではありません。ただ、イエス様が私のために十字架にかかってくださったので、神に罪を覆われた者にすぎません。ローマ4:7。福音書で罪人の過ちを覆い、失敗をおおってくださったイエス様を見ます。私たちは、大丈夫だから、覆われたのではありません。失敗や失態がどれほど多いでしょうか。イエス様の十字架の犠牲のゆえに、神がそれを覆ってくださるのです。
 この事件をもってノアの人生の記録が終わっています。どのくらい残念なことでしょうか。義人と呼ばれ、ノアの箱舟と言われる大業をなしたのに、最後の記録はこの失態です。私たちは、今後どう生きるのでしょうか。私たちは、終わりをよく結ぶ人生となりたいと願います。使徒20:24,Uテモテ4:7〜8。



創世記9:18 箱舟から出て来たノアの息子たちは、セム、ハム、ヤフェテであった。ハムはカナンの父である。
9:19 この三人がノアの息子たちで、彼らから全世界の民が分かれ出た。
9:20 さて、ノアは、農夫となり、ぶどう畑を作り始めた。
9:21 彼はぶどう酒を飲んで酔い、自分の天幕の中で裸になった。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
9:23 それでセムとヤフェテは上着を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔を背け、父の裸は見なかった。
9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知った。
9:25 言った。「カナンはのろわれよ。兄弟たちの、しもべらのしもべとなるように。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主。カナンは彼らのしもべとなるように。
9:27 神がヤフェテを広げ、彼がセムの天幕に住むようになれ。カナンは彼らのしもべとなるように。」
9:28 ノアは大洪水の後、三百五十年生きた。
9:29 ノアの全生涯は九百五十年であった。こうして彼は死んだ。


エペソ5:18 また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。

Tコリント10:12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

Tペテロ4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。

ローマ4:7 「幸いなことよ。不法を赦され、罪をおおわれた人たち。」

箴言17:9 愛を追い求める者は背きの罪をおおう。同じことを蒸し返す者は親しい友を離れさせる。

箴言10:12 憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きをおおう。

詩篇32:1 幸いなことよ。その背きを赦され、罪をおおわれた人は。

ヤコブ5:20 罪人を迷いの道から引き戻す者は、罪人のたましいを死から救い出し、また、多くの罪をおおうのだということを、あなたがたは知っていなさい。

戻る