2025年12月21日「慰めのクリスマス」イザヤ40:1〜11

序−この箇所は、国が滅ぼされ、バビロンに捕囚とされたユダ王国の民に向けられたメッセージです。しかし、それに加えて、やがて救い主が来られて、人々を救ってくださるという預言でもあります。ですから、この箇所を学ぶことでクリスマスのメッセージを受けることができます。

T−救い主の預言−1〜2,9〜11
 9〜10節の「良い知らせを伝える」の預言通り、長い年月の後、ユダヤのベツレヘムに救い主が誕生し、喜びが告げ知らされました。ルカ2:1〜11。11節の羊飼いの姿は、イエス様そのものです。ヨハネ10:11,14。では、イザヤの預言は、どんなクリスマスのメッセージを与えているのでしょうか。
 それは、慰めのメッセージです。1節。ユダの民は、神に反逆した罪によって国が滅び、 民は他の国に連れて行かれ、虐げられていました。 苦しんで、痛んで、失望していました。神は、そんな彼らに対して「わたしの民」と呼んでくださり、「慰めよ、慰めよ。わたしの民を」と言ってくださいます。2節。「慰め」を繰り返して、強調されています。ですから、クリスマスのメッセージは、慰めなのです。
 では、何によって、慰めが与えられるのですか。2節。その捕囚の民に対して、神は、「その労苦は終わり、その咎(とが)は償われている」「罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている」と言ってくださいます。「償う」とは、ユダは罪を犯したけれども、その罪が償われることによって赦されるということです。罰が終わり、捕囚から解放と回復の日を迎えるということです。まさに、救い主が来られるということは、私たちの罪が償われ、罪の奴隷から解放してくださり、神の民として回復してくださることによって、慰めを与えてくださるのです。使徒3:19〜20。
 これは、すごいことです。もう終わりだ、もう変わることがない、もうだめだとしか見えない時、その先の展開があるというのです。それは、苦しみ、悩み、痛んで失望していた者に解放と回復があるからです。私たちは、イエス様の十字架によって救われました。Tペテロ2:18。それは、イエス様の十字架の死という罪の代価が支払われたために、その罪が償われたということです。Tテモテ2:6。罪からの解放と神の民としての回復があります。使徒3:20。イエス様が自分の罪の代わりに十字架で犠牲となられたということを信じることで、新しい人生と永遠の命が与えられるのです。ローマ6:23。人生を苦しみながら、空しさを感じながら生きていた者にとって、大きな慰めとなります。Uコリント1:5。
 苦難が続く、苦しみや悲しみが続くと思うなら、苦しくて、辛くて、悲しくて仕方がありません。神は、暗澹(あんたん)たる思いの中にいるご自分の民に、慰めが溢れる約束をされました。労苦が終わったと宣言されれば、これよりも大きな慰めはありません。ですから、イエス様を信じた、主の十字架によって救われた私たちも、この神の慰めの御言葉を問題や苦難の中で聞くことができる者となっています。
 それも、「優しく語りかけよ」というのです。「心に語りかける」という意味です。労苦し、希望を失い、苦しんでいる者に、その心の傷を労わるように主が優しく語りかけてくださるのです。「その苦役は終わり、その咎は償われている。罪に引き替え、二倍の祝福を主の手から受ける」という約束は、今も人生途上での様々な苦難や問題によって苦しみ悲しんで、失望落胆している者にとって、大きな慰めです。どうしてそのようなことが可能なのでしょう。私たちの罪の代価をイエス様が十字架にかかって払ってくださったからです。Tコリント6:20。それによって、イエス様の十字架を信じた者の「咎が償われている」からです。エペソ1:7。イエス様を救い主と信じることによって、祝福を受ける者とされたからです。ガラテヤ3:9。

U−人生と心を整えて、慰めてくださいます−3〜~5
 慰めの具体的な内容は、バビロン捕囚から主が先立って民を導いて帰って来るという知らせです。3〜4節。このことばは、聞いたことがあるでしょう。そうです。救い主イエス様が来られたことを知らせるバプテスマのヨハネは、「荒野で叫ぶ者の声がする。主の道を用意せよ。荒地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ」と預言された人だと紹介されています。マタイ3:3〜6。
 3〜4節で言っているのは、「道を整える」ということです。道を平らにして、山を削ったり、谷を埋めたりして道路を作ったということです。主の道が整えられるとは、主がご自分の民を導いて、帰らせてくださるということです。つまり、人生山あり谷ありですが、患難という山があっても削り、問題という谷あっても埋めてくださり、道がないなら道を切り開いて、困難な人生を導いてくださるというのです。それが主の道です。
 誰が失敗したいですか。誰が貧しくなりたいですか。誰が人間関係を難しくしたいですか。誰が具合悪くなりたいですか。生きていると、そんなことも経験するのです。ですから、慰めが必要です。この世に慰めが必要でない人は一人もいません。
 福音書に記されたイエス様の行動を見ると、どんなことに気付きますか。イエス様は、行く所ごとに病気の人を癒し、悪霊を追い出し、貧しい人や疎外されている者に寄り添い、福音を語り、人々を慰めてくださいました。マタイ11:5。人生の道でイエス様と出会い、慰めを体験して生きていくことがどれほど大きな喜びであり、驚くべき恵みでしょうか。Uコリント1:5。礼拝生活もそうではないでしょうか。 賛美をし、祈り、御言葉を聞いて礼拝をささげ、イエス様を心に迎えるなら、慰めが与えられます。
 5節で「主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る」と預言されている「主の栄光」こそが、救い主イエス様です。ルカ2:14で賛美された栄光は、イザヤの予言がイエス・キリストの誕生によって成就された栄光です。イエス様は、この地上に永遠の御言葉の栄光として現れた神の御子です。ヨハネ1:14。
 人の心には、憎しみや恨み、妬みや怒りという深い罪の谷があり、高慢や肉のプライドという山があり、曲がった思いがあります。箴言4:24,11:20。イエス様によって慰めを与えられる私たちの心も、山や丘は低くなり、曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らにされる必要があります。救い主イエス様によって、まっすぐにされることを願います。

V−御言葉で慰めてくださいます−6〜11
 また、御言葉で慰めてくださいます。6〜8節。人という存在は、結局は草のようなもの、その栄光もすぐに枯れる花のようだと教えています。健康な時はずっとそのままだと思います。自分の思うように生きている時は、何でもできるように感じます。しかし、そうではありません。あっという間に枯れてしまう草、すぐにしぼんでしまう花のような儚さは、私たち日本人には、よく分かる表現です。本当にそうなら、生まれて来た意味が分からず、労苦して人生を過ごし、やがて死んでしまう、そんな空しさに打ちひしがれるでしょう。
 しかし、永遠に変わらないものがあります。 「草は枯れ、花は散ると言いながら、その後に「しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ」と宣言されています。つまり、それでも御言葉の約束は変わらないということです。救い主イエス様を信じて与えられる罪の赦しと永遠の命は変わりません。ヨハネ5:24,6:68。私たちの人生に起こる問題は、人生のもとである聖書の御言葉によって解決が可能です。 イザヤの預言は、イエス様の福音から成る世界が永遠であることを明らかに指摘しています。
 12月に演奏されるものに、ハレルヤコーラスで有名なヘンデルのメサイアがあります。ヘンデルは、オペラ興行が失敗して多額の赤字を出し、脳溢血で半身不随となりました。絶望し、失望と挫折に陥っていました。そこに、チャールズ・ジェネンズという友人が来て、イエス・キリストの生涯を描いたオラトリオの台本を贈りました。ヘンデルがそれから大きな慰めと勇気を与えられ、24日間没頭して書いたのが、メサイアです。「慰めよ、慰めよ。わたしの民を」と歌うテノールの独唱に始まっています。聞く人々の心に慰めと感動を与えました。
 今私たちは、そのイエス様による救いが知らされている、イエス様がもたらしてくださった救いを受けることができるということがどんなに慰めであり、幸いなことでしょうか。ですから、ヘンデルのように、イエス様の救いと御言葉から慰めを受ける私たちも、慰めを必要としている人に慰めを与えることができます。9節。「良い知らせを伝える者」となることができます。良い知らせとは、福音を伝えることです。イエス様の十字架による救いを伝えることです。
 福音を伝えるというとちょっと恥ずかしさや恐れを覚えるかもしれません。でも、今日の御言葉は何と言っていますか。「良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな」と励ましています。ヘンデルのように、御言葉から慰めと勇気を与えられて、「良い知らせを伝える者」となりたく願います。今日、私たちが生きる時代は本当に慰めが必要な時代です。私たちに慰めが必要な時、神は誰かを通して私たちを慰めてくださいました。「私たちが慰めを受けるとすれば、それも誰かの慰めのためです。」Uコリント1:6。



イザヤ40:1 「慰めよ、慰めよ。わたしの民を。―あなたがたの神は仰せられる。―
40:2 エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」
40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
40:5 このようにして、主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに主の御口が語られる。」
40:6 「叫べ」と言う者の声がする。「何と呼びましょうか」と人は言う。「人はみな草のよう、その栄えはみな野の花のようだ。
40:7主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。
40:8 草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
40:9 シオンに良い知らせを伝える者よ。高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ、あなたがたの神を。」
40:10 見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。


ルカ2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
2:13 すると突然、その御使いと一緒に、おびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

ルカ3:3 ヨハネは、ヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。
3:4 それは、預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。
3:5 すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がった所はまっすぐになり、険しい道は平らになる。
3:6 こうして、すべての者が、神の救いを見る。』」

ヨハネ1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

Tペテロ3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

Tテモテ2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

Uコリント1:6 もし私たちが苦しみに会うとすれば、それはあなたがたの慰めと救いのためです。私たちが慰めを受けるとすれば、それもあなたがたの慰めのためです。その慰めは、私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えてくれます。

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