2026年1月25日「恵みを施す神」創世記11:10〜32
序−今日の箇所からアブラハムが登場します。アブラハムは、信仰の父と呼ばれ、ユダヤ人の血統的な先祖だけでなく、聖書の神を信じる民の信仰の先祖とされています。イエス様を信じる私たちは、霊的にはアブラハムの子孫です。ガラテヤ3:7。アブラハムは、歴史上多くの人に知られ、影響力を及ぼして来た人です。
T−繰り返される罪−10〜26
まずは、アブラハムが登場する系図が記されています。10〜26節。系図の26節に登場しています。ここには、アブラムと記されていますが、後にアブラハムに名の変わることになります。17:5。今日の系図は、セムから始まります。セムの系図は10章にも出て来ています。なぜ、再び記されているのでしょうか。繰り返しには、意味があります。11章は、バベルの塔事件の後、突然セツの系図が記されて、27節でテラの子孫を紹介する中で、アブラハムが登場することになります。
洪水後、ノアの息子の中でハムの子孫は神を離れた道を歩み、セムの子孫は、主の名を呼び、信仰に生きるようになりました。しかし、時代を下って行くに連れて、自己中心の欲望を成し遂げようとする人々と一緒になって、都市を作り、バベルの塔を築くようになりました。そのために、言葉が混乱され、散らされてしまいました。それは、人々に対する裁きでありましが、それ以上罪を犯すことを防ぐ神の恵みでもありました。そのように人々の罪が大きくなると裁かれますが、恵みも施されました。
問題は、恵みを受けた人々がまた罪を起こして、裁きをもたらしたということです。人が変わらなければ、いくら裁きをしても罪は繰り返されるということになります。洪水の後、ノアは子孫に呪いを招くことをし、その子孫もバベルの塔を築いて、神に反抗しました。人の罪をいくら裁いても、時間が過ぎれば、また人の心の奥に根ざしている罪が活動し、裁かれることになります。
そこで、神は罪人の中から一人を選んで、その人を通して多くの罪人を祝福して救おうという計画を立てられました。それが、アブラハムというわけです。新しい計画を立て、新しい時代を開かれました。このアブラハムが多くの国民の父となり、多くの信仰者の父とされます。17:5,ローマ4:16。
U−アブラハムの家−27〜30
この信仰の父となるアブラハムが生まれたのが、テラの家でした。27〜30節。27節に「テラの歴史である」と言われているように、アブラハムを知るためには、その父テラの家を知ることが必要だということです。後にアブラハムは、神の前に偉大な信仰の人であり、神の恵みを受ける人となります。しかし、アブラハムの背景を見ると、不幸で、悲しみの多い家だったということが分かります。
テラには、三人の息子がいました。ハランにはロトがうまれましたが、ハランはロトを残して父の存命中になくなってしまいます。28節。一方、アブラハムには、子が生まれていませんでした。古代の社会では、とても辛いことでした。アブラハムが、親のいないロトのめんどうを見ることになります。テラの家には、悲しみが多かったのです。
それに加え、他の箇所には、父テラが偶像に仕えて生きていたと紹介されています。ヨシュア24:2。ですから、アブラハムは、祝福を受けるに相応しいから選ばれたわけでありません。神の新しい計画のために選ばれる特別な資格もありませんでした。しかし神は、偶像に仕えたテラの息子であるアブラハムを選んで、祝福を与え、罪人を救うために用いようとされたのです。ヨシュア24:3。これが、神の新しい計画の方法でした。神に従って敬虔に生きていた人を選んで用いたのではなくて、何の資格もない罪人を選んで祝福して用いるということをされたのです。
これが神の恵みでした。アブラハムは、始めから信仰の人ではありませんでした。偶像に仕えていたテラの息子でした。幼い頃から偶像に仕える家で育ち、生きて来た人でした。しかし、そんな中に生きていたアブラハムが、裁きを受けるのではなく、かえって神の恵みによって選ばれ、用いられ、信仰の人に変わっていったということになります。
私たちは、ここで気付くことがあります。そういうアブラハムが私たちの信仰の先祖であるということは、これがアブラハムの霊的な子孫である私たちの信仰の姿を示していたのだなということです。私たちの中で誰一人として、救いに相応しい者はいません。様々な機会や出来事を通して、神が私たちを選び、召してくださったという恵みに他なりません。
私たちも、神の裁きを受けなければならない者なのに、イエス様の十字架の犠牲によって、罪の赦しと永遠の命を与えらました。神は、私たちを裁くのではなく、イエス様の救いに選んでくださったのです。エペソ2:5,8。何の資格も功績もない者を、ただご計画のままに選び、救ってくださったのです。エペソ1:4。
ということは、私たちは自慢することはできません。ただ神の恵みとあわれみによって救っていただいたのですから、誰かが駄目だとか、あの人が悪いとか言って批判したり、裁いたりすることはできないのです。人の足りなさや罪を見たなら、自分を省みて悔い改め、その人のためにとりなし祈るという者になりたいのです。
イエス様を信じて救われた私たちは皆、信仰的にアブラハムの子孫です。アブラハムのように、何の資格もないのに、恵みによって選ばれた者です。アブラハムは、偶像に仕えていたテラの息子として生まれ、むしろ裁かれるような中に生きていたのに、何の条件もなく恵みによって選ばれ、信仰の父となりました。私たちにも何の資格や功績もありませんが、神が恵みによって選んでくださり、イエス様の十字架の犠牲のゆえに救ってくだったことを感謝します。そして、私たちも、アブラハムのように信仰のモデルとなりたいと願います。
V 31〜32
アブラハムの家は、社会的に言えば、とても不幸な悲しみの多い家でした。それでも、アブラハムを選び、信仰者の父としてくださいました。ということは、私たちも、たとえ不幸な悲しみの多い家だと言われたとしても、私たちにも神は働かれ、恵みを持って選び、助けてくださるということです。自分の家が不幸だとか悲しみの家だとか思わないでください。不安になったり、不満に膨らんだりしないでください。
世間が自分を認めないとしても、神は私を恵みによって、救いに選んでくださったと感謝しましょう。私の人生は、神の恵みで生きる人生だと覚えましょう。ただ、自分の資格や功績でなく、恵みであればあるほどに、自分の頑張りや努力ではないので、人は忘れ易いものです。イエス様の十字架による救いを恵みだと覚えて、感謝しておられますか。私たちは、意識して感謝していなければ、恵みであるがゆえに忘れ易いのです。
最後の箇所には、テラの家の大きな変化が記されています。31節。テラは、アブラハムたちを連れて、カナンに行こうとウルを出ました。なぜテラは、カナンの地に行こうとしたのでしょうか。ここには、理由は書かれていません。でも、他の箇所を見ると、神がアブラハムを選んで、ウルから連れ出したと言っています。12:1,ネヘミヤ9:7。ですから、アブラハムに対して神からの召しがあり、父のテラに話して、説得して、カナンに向かったと推測されます。
使徒7:2〜3では、アブラハムがメソポタミアにいた時、栄光の神が彼に現れたと言っています。はっきりと神の御心が示されたのでしょう。それを聞いた父テラも神に対する恐れを取り戻し、それまでの不幸や悲しみの多い人生のむなしさを感じていたからこそ、神に従うことになったということです。この系図は、人の罪や悪にかかわらず、神の救いの計画は進められ、神の恵みは施されるということ教えています。
一つ引っかかることは、ウルを出発したテラの家族が、途中のハランに留まるようになったということです。31節。「ウルを出発した。しかし」と言っているところに、何か、カナンまで行かなかった理由があったよう感じさせます。ハランに留まったという表現ではなく、「ハランに住んだ」と言っています。テラがなくなるまで、そこに住んでいたのです。もう、そこテラは、何か理由があって旅を止めたのです。
旅のコースも引っかかります。いくら水の便が良いところを通ってと言っても、北に行き過ぎです。カナンのある西ではなく、北西へ進んでいます。ハランに行きたかったのです。なぜなのでしょう。ハランがテラの故郷だから、病気になったからなどという理由が言われています。どんな理由にせよ、父テラのためだったということです。アブラハムも父の思いを拒否することができず、長くそこに留まり、父の死後、カナンに出発することになります。
カナンの旅が中断されても、神の召しと選びはストップされません。長くハランで留まってしまったものの、再び時が来たら、その旅を再開させてくださいます。ですから、邪魔が入った、妨げられたと諦めたり、失望したりしないでください。神の召しと選びは変わりません。ヘブル6:17。最後まで、神と同行する信仰の生涯となることを願います。Uテモテ4:7〜8。
創世記 1:10 これはセムの歴史である。セムは百歳のとき、アルパクシャデを生んだ。それは大洪水の二年後であった。
11:11 セムはアルパクシャデを生んでから五百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:12 アルパクシャデは三十五年生きて、シェラフを生んだ。
11:13 アルパクシャデはシェラフを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:14 シェラフは三十年生きて、エベルを生んだ。
11:15 シェラフはエベルを生んでから四百三年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:16 エベルは三十四年生きて、ペレグを生んだ。
11:17 エベルはペレグを生んでから四百三十年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:18 ペレグは三十年生きて、レウを生んだ。
11:19 ペレグはレウを生んで後、二百九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:20 レウは三十二年生きて、セルグを生んだ。
11:21 レウはセルグを生んでから二百七年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:22 セルグは三十年生きて、ナホルを生んだ。
11:23 セルグはナホルを生んでから二百年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:24 ナホルは二十九年生きて、テラを生んだ。
11:25 ナホルはテラを生んでから百十九年生き、息子たち、娘たちを生んだ。
11:26 テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ。
11:27 これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。
11:28 ハランは父テラに先立って、親族の地であるカルデヤ人のウルで死んだ。
11:29 アブラムとナホルは妻を迎えた。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカといって、ハランの娘であった。ハランはミルカの父、またイスカの父であった。
11:30 サライは不妊の女で、彼女には子がいなかった。
11:31 テラは、その息子アブラムと、ハランの子である孫のロトと、息子のアブラムの妻である嫁のサライを伴い、カナンの地に行くために、一緒にカルデヤ人のウルを出発した。しかし、ハランまで来ると、彼らはそこに住んた。
11:32 テラの生涯は二百五年であった。テラはハランで死んだ。
ヨシュア 24:2 ヨシュアは民全体に言った。「イスラエルの神、主はこう仰せられる。『あなたがたの先祖たち、アブラハムの父であり、ナホルの父であるテラは、昔、ユーフラテス川の向こうに住み、ほかの神々に仕えていた。
エペソ2:5 背きの罪の中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。
2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
ネヘミヤ9:7 あなたこそ神である主です。あなたはアブラムを選んでカルデヤ人のウルから連れ出し、その名をアブラハムとされました。
使徒7:2 するとステパノは言った。「兄弟ならびに父である皆さん、聞いてください。聞いてください。私たちの父アブラハムが、ハランに住む以前、まだメソポタミアにいたとき、栄光の神が彼に現れ、
7:3 『あなたの土地、あなたの親族を離れて、わたしが示す地に行きなさい』と言われました。
Uテモテ4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 あとはは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。
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