2026年3月1日「それよりも大きなことを、あなたは見る」 ヨハネ1:35〜51
今日の箇所に登場する三人、すなわちアンドレ、ペテロ、そしてナタナエルには、どうしても注目せずにはいられない共通点があります。
T アンドレ: 「ラビ」から「メシア」へ―自己中心の軸が移された
まず、アンドレに注目してみましょう。
もともと彼はバプテスマのヨハネの弟子でしたが、自分の師であるバプテスマのヨハネが主を指して「見よ、神の小羊」と宣言するのを聞き、主イエスについて行きました(ヨハネ1:36-37)。そして主と次のような会話をします。(ヨハネ1:38)アンドレは、初めてお会いした主を「ラビ」と呼びました。しかし「ラビ」とは、メシア,すなわち救い主という意味ではありません。当時「ラビ」という呼び名は、律法の教師や尊敬する人、あるいは目上の人に対して用いられる一般的な称号でした。この時点では、アンドレはまだ自己中心的な人物でした。彼の判断からすれば、初めて出会ったイエスは、尊敬すべき「ラビ」、つまり「先生」にすぎなかったのです。ところがその日、主について行った後、主に対するアンドレの呼び方は変わりました。(ヨハネ1:41)アンドレは、もはや自己中心的な人物ではありませんでした。イエス様を「ラビ」と評価していた自分の判断をきっぱりと改めたのです。そして彼は、イエスを指して「メシア、キリスト、救い主だ」と叫びました。自己中心的な思考の軸を主へと移したのです。こうして彼は主の弟子となりました。
U ペテロ: 二度の召し―自己中心の判断から主中心への大転換
次に、ペテロに注目してみましょう。ペテロの本来の名はシモンでした。メシアを先に出会ったアンドレが、その兄弟シモンを主のもとへ連れて来ました。主はシモンを見るや、その場で彼の名をケファ(ギリシア語ではペテロ)と呼び替えられました(ヨハネ1:42)。その意味である「岩(岩盤・土台)」については、先月詳しく説明しました。ところが不思議なことに、今日の箇所とは別に、ルカの福音書5章1〜11節を見ると、ゲネサレ湖で漁に失敗したペテロが、主から召しを受ける場面が改めて出てきます。ここから、「なぜペテロは主から二度も召されたのか」という問いが出てきます。しかしこの答えは、ペテロが召しを受ける二つの箇所を合わせて考えると、比較的容易に見えてきます。まず、今日の箇所で主に出会ったペテロは、主を取るに足らない方のように見ていました。
アンドレの話を聞いて主のもとへ来たものの、彼の目には、あまりにみすぼらしく、取るに足らない人物がメシアであるようには思えなかった。だからペテロは、それ以上 主について行きませんでした。アンドレが見当違いをした、と判断したのです。ペテロは、それほどまでに自己中心的な考えをする人物でした。ところが、ゲネサレ湖で夜通し網を打っても一匹も捕れなかったその日、まさにその日に、主がペテロのところへ来られました。主はまず湖に集まった群衆に教えられました。それは驚くほどいのちと力に満ちた御言葉でした。ペテロが一時の目で見て決めつけたのとは、まるで違うお方だったのです。語り終えた主は、ペテロに命じられます。
話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」(ルカ5:4)
それは生涯、漁で鍛え上げられた漁師たちからすれば、あまりにも的外れで無知に聞こえる命令でした。夜明けには魚は深みにいるのではなく、むしろ浅瀬に集まるからです。しかしすでに主の御言葉を聞いたペテロは、主の命令に逆らうことができませんでした。
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」(ルカ5:5)
ペテロが主の命令に全面的に従い、沖の深いところに網を下ろしたとき、驚くべきことが起こりました。漁師の経験や常識とは逆に、網が破れそうで、舟が沈みそうになるほど多くの魚が捕れたのです。その時ペテロは、イエスの膝もとにひれ伏して告白しました。
これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。
「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」(ルカ5:8)
それは、主に初めて出会ったとき、自己中心的な判断で主を退けてしまったことへの悔い改めであると同時に、彼の人生の向きが「自分中心」から「主中心」へと大転換したことを宣言する告白でした。そしてその瞬間から、彼は主の弟子となりました。
V.ナタナエル: 「ナザレから何が」から「神の子です」― 見えなかった者が見える者へ
最後に注目すべきは、ナタナエルです。
アンドレ、ペテロと同じ町に住んでいたピリポは、メシアである主に出会った後、友人ナタナエルにこう証言しました。(ヨハネ1:45)
しかし「ナザレ出身のイエスが、旧約が預言したメシアだ」という証言を聞いたナタナエルの反応は冷たかった。(ヨハネ1:46)
要するに、「あんな貧しい片田舎のナザレから、メシアどころか何か良いものが出るはずがない」という嘲りでした。実際ナザレは、イスラエルの歴史の中で傑出した人物を輩出したことのない、いわば貧しい村にすぎなかったのです。ですからナタナエルがフィリポの言葉を信じきれなかったのは、当然と言えば当然でした。ところがフィリポが「来て見なさい」と強く勧め続け、ナタナエルは半ば引っぱられるようにして主のもとへ行きます。ナタナエルをご覧になった主は言われました。(ヨハネ1:47)ナタナエルの内には偽りがない、という言葉でした。これを聞いてナタナエルは不思議に思い、「どうして私をご存じなのですか」と問い返します(ヨハネ1:48)。なぜならナタナエルは、それ以前に主に会ったことがなかったからです。主は答えられました。(ヨハネ1:48)聖書において、いちじくの木はしばしば「いのち」を象徴するものとして登場します。永遠のいのちを慕う者たちは、いちじくの木の下に集まり律法を論じたり、あるいは一人で深い黙想に沈んだりしました。したがって主が「いちじくの木の下にいるあなたを見た」と言われたのは、単に外見を見たという意味ではなく、メシアを求める、真のいのちへの内なる渇きをすでにご存じだったということです。重要なのは、内側にそのような渇きと憧れを持っていたナタナエルでさえも、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言うほど、やはり自己中心的だったという事実です。しかし、心の奥底までも見通しておられる主の前で、彼はもはや自己中心でいられなくなりました。彼は告白せずにはいられませんでした。(ヨハネ1:49)彼もまた、人生の軸を自分から主へ移し、その瞬間から主の弟子となったのです。すると主は、さらに言われました。
イエスは答えられた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」(ヨハネ1:50)
「それよりも大きなことを、あなたは見ることになります!」
アンドレ、ペテロ、ナタナエル、彼らが自己中心の生き方を握りしめていた時、彼らは主に会っていながら何も見ていませんでした。しかし主中心へと人生の軸を移した時、彼らは驚くべきことを目撃しました。御子を十字架で死なせるほどに人類を救われる神の愛の実体を目撃し、主が死の力を打ち破られる復活の力を見ただけでなく、主が人としての姿のまま天に上げられることも見、天から主の再臨を約束する御使いたちを目撃することさえありました。これ以上に大きなことがあるでしょうか。人間は皆、生まれながら自分に囚われ、自分を握り、自己中心に生きます。しかし主の言葉の前で自分を否み、主中心に生きさえすれば、誰でもアンドレ、ナタナエル、ペテロのように主の弟子となり、さらに驚くべきことを目撃し、経験する者となるのです。主は生きておられるからです。
ヨハネ1:35〜51
35その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。
36そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。
37二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。
38イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊まりですか。」
39イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすれば分かります。」そこで、彼らはついて行って、イエスが泊まっておられるところを見た。そしてその日、イエスのもとにとどまった。時はおよそ第十の時であった。
40ヨハネから聞いてイエスについて行った二人のうちの一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
41彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」と言った。
42彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」"
43その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。
44彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。
45ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」
46ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」ピリポは言った。「来て、見なさい。」
47イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた。「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」
48ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは答えられた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」
49ナタナエルは答えた。「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
50イエスは答えられた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」
51そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」
ルカ5:4〜5,8
4話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
5すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
8これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して言った。「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」
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