小グループで聖書を学ぶ
15 恵みのみわざにあずかりたい(Uコリント8:1〜8)
「心の門を開いて」
日本では、地震や台風などの災害がしばしば起こりますが、初代教会時代の地中海地域でも、災害がしばしば起こり、教会ではその地のクリスチャンを助ける働きをしていたことが記されています。どのような人々が、どのように支援していたのでしょうか。そこには、信仰の姿があります。
「御言葉の種を蒔こう」
1 まず、どこの教会の聖徒たちへ、どんな教会の聖徒たちが支援していますか。確認しましょう。
・ローマ15:26/
・1〜2節/
2 マケドニヤの諸教会とは、ギリシャの北部地方にあったローマ帝国のマケドニヤ州にあったピリピ、テサロニケ、ベレヤなど教会のことです。これらの教会は、その始まりから、どのような状態にありましたか。そして、どのような状況の中で支援していたと強調されていますか。
・Tテサロニケ1:6, 2:14, 使徒17:13 /
・ピリピ1:28〜29/
3 マケドニヤの諸教会が、「満ちあふれる喜び」によってエルサレム教会のために「惜しみなく施す」ことになったというのですが、なぜそのような苦しみと貧しさのどん底にある人々が、「満ちあふれる喜び」を持って生活していたのでしょうか。
・ピリピ4:11〜12/
・Uコリント6:9〜10/
4 イエス様を信じて救われるというのは、それまでの豊かさとか貧しさという価値観が違って来ます。信仰的シンプルライフという言葉もあります。貧しくて、苦難があるからこそ、神様から離れないで、信仰で拠り頼みます。マケドニヤの聖徒たちは、迫害や貧しさの中でイエス様を信じきって、懸命に拠り頼んで生きることで、平安や喜びを味わいました。あなたも、そういう信仰を味わい、経験をしたことがありますか。
5 このような信仰による喜びを持ったマケドニヤの聖徒たちだからこそ、「施す」ことができました。世の価値観では、自分たちの生活もままならないのに、自分たちのことを心配するべきだというでしょう。信仰が彼らのささげ方、ささげる心に反映していますが、どんな特徴がありますか。
・3〜5節/
6 彼らは、「聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと熱心に願い、自ら進んで、期待以上に、自分の力以上にささげ」ました。その根底には、「自分自身を主にささげる」という献身の思いがありました。慈善献金ですが、献金の基本的な考え方と変わりありません。献金について知らなかったこと、まだ分からないことは何ですか。
7 「神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ」るという献身の信仰があって、献金が行われました。献金とは、微妙な人の心情がともなうものであり、気をつけなければなりません。躓きや誤解を与えやすいものです。献金は、信仰をともなうのでなければ、いやいやながら仕方なくするとか、これだけしているという自己顕示など、肉的な思いが入りやすいものです。コリント教会ですでに始められていたエルサレム教会支援の活動は、どのようになりましたか。なぜ、そうなったと思われますか。
・Tコリント16:1〜3/
・6節/
8 この支援献金に対する誤解や躓きが生じて、その動きがしばらくストップしていたようですが、「信仰にも、ことばにも、知識にも、愛にも、すべてのことに富んでいる」と言われているコリントの聖徒は、献金や支援が何であるか分かっていなかったのでしょうか。この箇所で繰り返し出て来ることばに注目しましょう。
・7〜8節/
・1,4,6,7節/
9 献金をささげること、他の人を助けることは「恵み」だということです。与えているのに、なぜ「神の恵み」だというのですか。「激しい試練」と「極度の貧しさ」の中にあったにもかかわらず、救われた聖徒たちは、どんな「神の恵み」を体験していますか。
・ローマ5:8, 8:31〜32/
・マタイ5:45,7:11/
「命の実を刈り取ろう」
このような救いの恵み、神の恵みを体験したならば、自分も他の人に恵みと喜びを分けたいと思わずにはいられません。その溢れる恵みと喜びをしまっておくことができず、あらわしたくなったのです。そして、分け与えることが喜びとなり、恵みとなったのです。人々のためにささげ、兄弟姉妹を助けることが恵みとなりました。聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと願います。今日の学びを通して気付かされたこと、導きを受けたことを分かち合いましょう。使徒20:35。
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