小グループで聖書を学ぶ
18 いたんだ葦を折ることもなく(イザヤ42:1〜9)

「心の門を開いて」
 
 人は、様々なことで心痛め、傷つけられています。人間関係、病気や事故、経済的な危機、仕事の重荷など、人々を傷つける原因は色々なところから来ます。バビロン捕囚の知らせに意気消沈し、心痛めている民に神様は、どのようにしてくださったのでしょうか。それを通して、傷つき、落胆する私たちへの主の取り扱いを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 神様は、心を痛め、傷ついている人々に寄り添い、助けてくださるしもべを遣わしてくださいました。神の遣わしてくださるしもべとはどんな方でしょうか。
・1節/
・マタイ12:18〜21/

2 イエス様こそ、真の解放と平和をもたらす救世主の預言の成就なのです。神様がイエス様の働きを確かに「ささえる」と保証され、ご自分の御子であるイエス様を「心の喜び」とし、神様が人々を救う働きのために「選んだ」のです。それほどの栄光であるイエス様を、なぜ「しもべ」と呼んでいるのでしょうか。
・イザヤ53:3〜5/
・Tペテロ2:22〜24/

3 私たちの救いのために苦難のしもべとなられたのです。イエス様が人々の罪のために苦しみを受け、痛みを担われました。イエス様が苦難のしもべとなられて、苦難をすべて負ってくださったので、イエス様を信じる者は罪の赦しを受け、心の傷が癒されます。2の引用箇所を読んで、どんなことを思いましたか。



4 イエス様は、罪人に寄り添い、神の愛を伝え、赦しと希望を持つようにされました。心傷ついて落胆する者のかたわらに静かに寄り添い、「あなたは、何のためにそのように落胆しているのですか」と聞いてくださるお方です。今傷ついている者、痛んでいる者に、何とささやいてくださっていますか。
・ルカ24:17/
・3節/

5 川辺に生える葦は、風が強く吹くと折れてしまいます。痛んでいるものは、折って捨てられます。くすぶる灯心は、火が消えそうになっている様子です。臭くなるし、煙が出るので、消されてしまいます。油を足さなければ、消えてしまいます。「いたんだ葦、くすぶる燈心」という譬えは、どんなことを表現したものですか。



6 問題や困難のために心痛め、望みを失っている人々、苦難の中でうめいているクリスチャンの姿、それは世の目で見れば、もう折られて、消えているも同然です。しかし、いたんだ葦が伸び出し、茂ります。くすぶる灯心が再び燃え出して、世を明るく照らすようになります。聖霊が臨めば、教会やクリスチャンは、絶望的な状況だとしても、再び燃え上がることができます。そのような体験があれば、分かち合ってください。



7 私たちは、苦難や問題が続くと、変らない、自分はだめだと思いがちです。今の自分は変わりようがないと考えてしまいます。しかし、「折ることもなく、消すこともなく」という否定表現は、肯定の強調です「いたんだ葦を強くする、くすぶる灯心を勢いよく燃やす」ということです。イエス様は、傷ついて痛んでいる私たちを見てどうされますか。何をしてくださいますか。
・4節/


8 イエス様は、私たちの弱さや足りなさに失望されません。私たちの救い主だからです。私たちは、自分自身に失望するし、他の人について失望することも多いでしょう。気分を害したり、落胆したりします。それでも、イエス様が忍耐を持って、私たちを導いてくださいます。救われて、癒された私たちを通して、世の人々に福音が広がって行きます。天地の創造主なる神様は、どのようにイエス様に救いの働きを行わせてくださると約束されていますか。
・6〜8節


9 イエス様の働きは、罪と滅びからの解放であり、失意と絶望からの解放です。全面的にイエス様を遣わされた神様を信頼しなければなりません。主なる神様が神の民に約束された言葉は何ですか。
・9節/

「命の実を刈り取ろう」

 バビロンに捕囚になっても、神様の救いはそこから新しく始まると教えています。これが、福音のメッセージです。もうだめだ、絶望だ、何も残っていない、そういう状態から新しく始まるのです。どん底まで落ちたら、そこから新しく起き上がり始めます。恐れと疑いのために、信仰が消えそうになったことはありませんか。患難のために一歩も進めない人がいますか。イエス様を信じるあなたの新しい救いの人生が今始まります。今日の学びを通して受けた導きや恵みを分かち合いましょう。

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