小グループで聖書を学ぶ

21 大いなるあわれみ(イザヤ54:4〜10)

「心の門を開いて」

 国が滅ぼされてバビロンに捕囚になった民は、神様が自分たちを拒否されたと感じました。彼らは、拒否されたという痛みと神様に捨てられたという苦しみの中で生きていました。私たちも誰かから拒否されたと感じたならば、心に痛みを覚えるのではないでしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 拒否された、捨てられたと感じて心痛む時に、どんな声を聞くかということが大事です。そのような時、どんな声を聞くかで人生は大きく違って来ます。「お前は拒否されたのだ、見捨てられたのだ」というサタンの声を聞くのでしょうか。こんな声を聞けば、その通りの人生になるでしょう。捕囚の民は、どんな声を聞きましたか。誰の声ですか。
・4節/


2 「若いときの恥」とは、妻が奔放に過ごし、自分勝手に生きていたということです。神様を離れて偶像を拝んだ民のことです。「やもめの辱め」とは、戦いや混乱の中で夫や子どもを失ったやもめが屈辱を感じることを民の状態に例えています。私たちも、人生において恥を見ることがあり、屈辱を受けることがあります。そのような民に対して、神様は何と言っておられますか。それは、どういうことですか。
・4節/
・イザヤ54:17,詩篇79:8/

3 民は、拒否された、捨てられたと言うのですが、彼らが神様を拒否し、捨てたのでした。聖徒たちも、自分勝手にしている時、神様に背を向けていると言えるでしょう。ご慈愛深い神様は、ご自分と神の民の関係を夫と妻の関係に例えています。どんな夫ですか。
・5〜6節/
・エペソ5:25/ (参考)

4 神様は、あまりにも不貞で、身勝手な民に対して、御顔を隠して、彼らを捨てたかのようにされました。たしかに、問題が続いたり、思うようにならなかったりすると、神様は私を拒否された、私を見捨てられたと感じてしまう時があります。それも、ずっと続いているかのように思うでしょう。神様は何とおっしゃっていますか。
・7〜8節/
・/

5 たとえ拒否されたと感じられる時があっても、それは「ほんの少しの間」と繰り返し強調しています。回復してくださるということです。今も、人々から拒否された、見捨てられたと感じて痛んでいるたましいを教会に導いてくださいます。神様から拒否された、見捨てられたと感じて離れている聖徒たちを戻してくださいます。そんな経験を分かち合ってください。



6 ここで強調されていることは、神様の「大いなるあわれみ」です。人生を歩んでいると、他人から拒否された、見捨てられたと感じて心痛むことがあります。時には、神様から拒否された、見捨てられたと感じて苦しむこともあるでしょう。神様は、どういうお方なのですか。どのようにしてくださるのですか。
・詩篇86:15/
・ローマ8:28/

7 神様は、民を赦し、守り、あわれむことを約束してくださいました。それは、どれほど大きなものだと教えられていますか。例を引用し、例えをもって表現されています。それほどの約束を知って、あなたの思うことは何ですか。
・9〜10節/
・詩篇31:5,使徒20:31 /(参考)

8 私たちが恐れや痛みの中にあっても、その恐れや痛みから抜け出させてくださる約束を信じるなら、恨みやため息の代わりに、賛美と祈りが出て来るでしょう。なぜなら、「主は言われる」と繰り返し宣言されているからです。8,10節。これは、その約束は確かだ、神様が責任を取ってくださるということです。それならば、私たちはどうすればいいですか。
・エレミヤ42:6/(参考)
・ヨハネ8:47/(参考)

9 5節に「あなたの贖い主」、8節に「あなたを贖う方」とあります。「贖う」とは、代価をもって買い戻すという意味です。53章の内容は何でしたか。あわれみ深い神様は、私たちのために何をしてくださったのですか。あなたが受けた神のあわれみの御業に対して、あなたはどのように応答しますか。
・イザヤ53:4〜6/
・Tテモテ2:6, Tペテロ1:3/

「命の実を刈り取ろう」

 「恥を忘れ、屈辱を再び思い出すことはない」と言われたのは、イエス様が私たちの罪を十字架で負ってくださったからです。イエス様の十字架の救いによって、イエス様を信じた私たちは神様の大いなるあわれみを受ける者とされました。学びを通して気付いたことや決心したことを分かち合い、互いのために祈りましょうTペテロ1:3。

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