小グループで聖書を学ぶ

24 神の道を歩む恵み(イザヤ55:6〜13)

「心の門を開いて」

 人々は、いつも自分の思いでいっぱいになり、自分で考えた道を懸命に進もうとするものです。しかし、困難な時には、その進むべき道が分からなくなり、何も考えられなくなり、不安や恐れにおおわれます。何か大切なことを忘れています。今日の箇所から学びましょう。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 捕囚の民が困難の中で道が見えなくなり、不安や恐れで道を進めないでいる時、主は何と言っていますか。どういうことを強調していますか。
・6節/
・Uコリント6:2/

2 捕囚の民は、神様を忘れて自分の思いでいっぱいになり、自分で考えた道を自分勝手に歩んでいました。それで、困難に陥り、道が見えなくなりました。道が見えない時、どうする必要がありますか。
・7節/


3 「悪しき者の道」とは、罪に翻弄されて罪に従っている生活のことです。「不法者のはかりごと」とは、世の中の流れに流されてする自分勝手な肉の計画です。今日の聖徒たちも、イエス様を信じながら世の考え方がどれほど染み込み、肉の方法で事を行おうとしているでしょうか。何か思い当たることはありますか。
・エレミヤ32:33/(参考)
・ルカ21:34,Tヨハネ2:16/ (参考)

4 国が滅ぼされ、エルサレムも破壊されて、バビロンに捕囚とされた民は、もう終わった、自分たちにはもう道はないと思いました。私たちも、イエス様を信じながら、神様が助けてくれない、解決してくれないと悩み、心配する時があります。それは、自分の思い通りにならないからです。自分の考え以外に道はないと思うからです。そんな私たちに何と言っていますか。
・8~9節/


5 私たち自身は自分の立てた道が良い、自分の考えが正しいと思うのですが、自分の道が開かれない時は、はるかによい道を神様が用意しておられると信じるのです。神様は、私たちが考えるよりも遥かに高い道を用意しておられるのです。道が分からないうちはしばらく苦しみますが、後にはそれが神様の深い導きだったと分かる時が来ます。たとえ苦しくても、神の用意された道を忠実に進むなら、やがて導きだと分かり、祝福を受けるようになります。この信仰が持てれば、聖徒たちの心や生活はどうなると思いますか。
・ローマ8:28,32/(参考)


6 もちろん、こうしてくださいと自分の願いや思いを祈ります。でも、神様の御旨やご計画と違うのだなと分かったならば、潔く自分の思いと道を引きましょう。ラインホールド・ニーバーは「主よ、変えられないものを受け入れる心の冷静さと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける知恵を私にください」と祈りました。感じたことを分かち合ってみましょう。



7 神の思いと神の道はどのように示されるのですか。なぜそれが神の思いと神の道であることが分かるのでしょうか。当然、そこが知りたいのです。聖書は何と言っていますか。それは、どういうことを言っているのですか。
・10〜11節/
・T列王8:20,56/(参考)


8 御言葉を信仰で受け取るなら、御言葉通り神様が導いてくださると信じることできます。でも、御言葉が自分の思いに合わないとしりぞけたり、御言葉が自分の願いに合わないと聞き流したりしたら、どのようになる可能性があると思いますか。思うところを分かち合ってみてください。


9 状況が厳しくて、自分の思いと違ったりすると、道はないと判断したり、神様を恨んだりしませんか。自分の思いと道より遥かに高い神様の思いと道があり、御言葉の約束を成してくださると信じましょう。自分勝手な思いと自分の道ではなく、神の思いと神の道を歩んで行くなら、どのようになりますか。あなたは、どのような信仰の姿勢で人生を歩むもうとしますか。
・12〜13節/


「命の実を刈り取ろう」

 悔い改めて、自分勝手な思いと道を捨てて、神の思いと道を信頼して歩むならば、神様の恵みが臨んで、喜びと感謝の人生を歩むことができると約束さています。神の道は、イエス様の十字架の犠牲を信じて救われたから歩むことができる道です。私たちの思いと道よりはるかに高い神の思いと道に信頼して共に歩もうではありませんか。学びを通して与えられた適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ヨハネ14:6。    

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