小グループで聖書を学ぶ

28 形だけの断食と神様が好む断食(イザヤ58:1〜12)

「心の門を開いて」

 救い主イエス様を信じてクリスチャンとなったということは、天地の造り主なる神を覚えて、神の御前に生きるようになったということです。ところが、信仰生活をして行くうちに神の御前に生きている意識がなくなると、信仰生活にある問題が生じて来るようになります。どんな問題でしょうか。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 今日の箇所では、断食という具体的なことを通してそのことを教えてくれています。民は、信仰的行為として断食を行い、神様が働いてくださることを求めて断食をしていました。ところが、断食した後、民は何と言っていますか。彼らの断食にはどんな問題があるのでしょうか。なぜ願った通りにならなかったのですか。理由は何ですか。
・2〜3節前半/
・3節後半〜4節/

2 私が断食すれば神は私を認めてくれるはずだ、私が苦しい断食をして祈れば神様は願いを聞いてくれるはずだという思いで断食をしていました。功績主義という問題です。今日の聖徒たちも、私は熱心に祈っているのに願った通りにならない、ちゃんと信仰生活しているのにうまく行かないと文句を言うことがあります。民の断食には、もう一つの問題があります。それは、どんなことですか。イエス様の指摘も参照しましょう。
・5節/
・マタイ6:16〜18/

3 断食に限らず、形だけの行為、形式的な信仰生活ということが問題にされています。私たちも、他人事として聞き流すことはできません。私たちも、礼拝をささげ、聖書を学び、証しし、祈っていながら、世の人々と同じように噂話をし、人と争い、悪口を言い、好き勝手な振舞いをしていないでしょうか。自分の信仰生活は、形だけになっていないか点検してみましょう。



4 どういう断食なら良いのでしょうか。神様の好む断食が教えられています。それは、どんなことですか。私たちの信仰生活に適用するなら、どんなことになりますか。
・6〜7節/
・9〜10節/(「もし〜なら」部分

5 断食をして神に祈るなら、隣人や家族の困難や必要を覚えて助けるべきはないかと言われています。あなたのできることで隣人や家族を助けなさい、仕えるようにしなさい、そういう愛の実践が神様に喜ばれると教えています。悪の束縛を解くとかくびきを砕くことか同じような表現が繰り返し強調されています。人々は、様々な束縛やくびきの縄目の中で生きています。そのような人々のために、私たちはどんなことができますか。
・Tテサロニケ5:11,14/(参考)
・ヘブル10:25/(参考)

6 隣人や家族の困難や必要を覚えて助けて、様々な束縛やくびきの縄目に囚われている信仰の友に寄り添い、御言葉に導き、神様の取り扱いを受けるように助けるならば、どのようになると約束されていますか。
・8〜10節/


7 断食で分かったように、形だけの信仰生活、自分なりの信仰生活をしているため、民の心は渇いた荒野のような状態でした。愛の実践を伴う信仰生活、御言葉に聞き従う歩みをするなら、どのようになると約束されていますか。イエス様のことばも参照しましょう。
・11節/
・ヨハネ4:14,6:35/

8 時には、私たちの心も渇きます。私たちも、形だけの信仰生活、自分なりも信仰生活になるからです。次の約束はどんなことですか。帰還後の再建に例えて、霊的な問題へ言及しています。形だけの信仰ではなく、心も伴った霊的な信仰になるなら、彼らの信仰生活がどうされると約束されていますか。
・12節/
・/

9 形だけの断食を叱責されている民が、何と「破れを繕う者、通りを住めるように回復する者」と呼ばれるようになると約束されています。イエス様に救われ、造り直される過程にある私たちも、神様から「あなたは破れを繕う者だ、崩れた所を建て直す者だ」と言われているのです。自分が置かれている所でどんなことができると考えますか。


「命の実を刈り取ろう」

 私たちも、置かれている所の荒廃した場所、破壊された基礎を再建するようにと言われています。そのためには、私たち自身、形だけとなった信仰生活を発見し、自分の過ちや弱さを認め、悔い改めて、信仰を再建するようにします。私たちが崩れた所を発見するのは、神様の祝福です。私たちは、形だけの信仰生活をするのではなく、神の御前に生きるのです。学びを通して与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。イザヤ58:12。

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