小グループで聖書を学ぶ
29 安息日の祝福(イザヤ58:13〜14)
「心の門を開いて」
安息日と聞くと、安息日を守らなければならない、安息日にはこれやこれをしてはならないというイメージを持たれているでしょうか。安息日は、人を悩ませるために造られたものではありません。神様が本当の安息を与えてくださり、私たちが祝福を受けるためです。今日の箇所を通して安息日を学び、祝福を受ける者となりましょう。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 私たちが安息についてマイナスイメージがあるとしたら、よく理解していないのかももしれません。安息日とは、どんな日なのでしょうか。引用箇所を通して確認しましょう。
・創世記2:1〜3/
・申命記5:15/
2 安息日とは、神様が天地万物を創造された最後に休まれたことに由来します。神様は、神の民をエジプトから救い出し、罪と奴隷の束縛から解放されました。安息日を神様の創造と救いの御業を覚える時としなさいということです。さらに新約の時代には、ある記念が加わります。何の記念ですか。そのために、安息日は何曜日になりましたか。
・マタイ28:1〜6, ヨハネ20:19/
・使徒20:7/
3 日曜日は、救い主イエス様の復活を覚えて「主の日」と呼ばれるようになりました。日曜日の礼拝を主日礼拝と言っています。人は世で忙しく生活して行くと、物質や肉体に囚われ、神様を見失ってしまいます。神様は、安息日をどうしてくださいましたか。イエス様は、安息日は誰のためにあるものだと教えておられますか。
・創世記2:3, 出20:11/
・マルコ2:27 /
4 民の中には、安息日を守らないで商売をしたり、肉的な娯楽のために神様を忘れ、礼拝をすることがない者もいました。安息日の祝福を受けるには、どのようにしなさいと今日の箇所で教えていますか。それを読んで受けるあなたの印象は、どうですか。
・13節/
5 13節を見て、何か不自由だな、制限されるの嫌だなというイメージを持ってしまうでしょうか。安息日を守るために不必要以上に出歩くことをせず、神様の御言葉を聞くためには無駄口を慎むということです。安息日に何々をしないということを形式的に頑張るばかりで、何のために安息日を守るかを忘れる人々もいました。どんな間違いですか。私たちも、そのように本質を忘れて形だけ守ることになることはありませんでしたか。
・ルカ6:1〜2 /
・ルカ6:7/
6 「安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び」とあります。安息日に何かをしないだけでなく、積極的にするように求められていることがあります。どんなことですか。あなたは、このことについてどうしますか。
・民数記28:9〜10, 使徒13:42/
・ルカ14:3,5/
7 安息日を神様に喜ばれる喜びの日として一日をささげ、主の日に礼拝をささげ、互いに励まし合い、仕え合い、喜びをともにすることを願います。安息日を守るなら、どんなことがあるのでしょうか。安息日を守ると、どんな祝福が約束されていますか。
・14節/
8 「地の高い所を踏み行かせる」とは、高い所にある町は安全なので平安で繁栄することができる意味であり、勝利や名誉を保証するということです。「父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」とは、相続問題で兄に憎まれ、家から逃げることなったヤコブが、一人荒野で野宿する時夢にあらわれた神様によって、神の民としての祝福を相続し、神様が共にいて守ってくださるという約束を受けました。私たちも安息日を守るならこの祝福を受けます。自分に適用すれば、どのようになると思いますか。
・ローマ8:17/
・/
9 「あなたは主をあなたの喜びとする」という約束です。安息日を守るなら、御言葉どおりくださる祝福を経験しながら、霊的な喜びを味わわせてくださるというのです。14節の祝福の約束を知って、どんなことを感じますか。この祝福に対して、どう応えていきますか。
「命の実を刈り取ろう」
自分の好むことをして得る喜びがあるでしょう。しかし、安息日を守らないで得た喜びよりも、安息日を守って得られる喜びは霊的な価値があります。私たちが安息日を聖日として守るなら、精神的な喜びが与えられます。私たちが、主の日の礼拝を守るなら、たましいの安息を得るようになります。私たちの安息日は、たましいの安息所です。気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。マルコ2:27〜28。
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