小グループで聖書を学ぶ
30 自分を省みる(イザヤ59:1〜8)
「心の門を開いて」
「神様、どうして、私をお見捨てになったのですか。なぜ、私から遠く離れておられるのですか」と祈ったことはないでしょうか。助けや祝福を求めても答えられず、物事がうまく行かず、人のせいにしたり、神様に文句を言ったりすることがなかったでしょうか。そんな私たちに、自分を振り返ることを教えています。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 神の民は、苦難の中で、どんな祈りをしていますか。イザヤ書58章で、捕囚の民は、断食して祈って何と言っていましたか。その時の民は、どんな状況でしたか。それは、神様に対する彼らの気持ちがどうであったと示しているのでしょうか。
・詩篇22:1〜2/
・イザヤ58:3/
2 民は、断食をして神様に祈りながら、答えがないのは神様のせいだと文句を言っていましたが、59章で、祈りが聞かれず、神様の祝福がいただけないのには理由があると教えています。その理由は何ですか。そこから、民がどんな文句を言っていたか想像できますか。
・1節/
・イザヤ50:2/
3 民が神の助けや祝福を受けられないのは、神様に力がないということではありません。神様のせいでもありません。祈りが聞かれない原因は、民自身の方にありました。どんな理由ですか。
・2節/
・イザヤ58:9〜10/ (参考)
4 なぜ答えがないのでしょうか。まだ時期ではないのかもしれません、別な導きが用意されている場合もあります。すでに答えにあるのに気づいていないことだってあるでしょう。しかし、今日の箇所が教えているのは、神様と自分の間に仕切りがあるからだというのです。神様との間の仕切りとなっている咎、罪とは何ですか。特に、3〜4節でまとめて強調していることは何ですか。
・3〜4節/
5 平気で嘘をつく人は、矛盾した言い訳を堂々と言い、前と違ったことを言うそうです。そんな人は、見るからに嘘つきと分かるわけでなく、調子が良く、口が達者で、良心のある人に比べれば洗練されているというのです。ですから、嘘をついているとは気づかれないようです。自分自身も、嘘をついている自覚がないのです。嘘偽りから害毒が出ると言っています。その嘘に巻き込まれ、騙されると、どうなりますか。うわさ話について調べてみましょう。
・5〜8節/
・イザヤ29:11,Tテモテ5:13/
6 私たちも自分を省みなければなりません。なぜならば、言い訳をし、自分を誇り、噂話をすることが嘘につながるからです。人は、言い訳も自慢も噂話も嘘とは思っていないので、嘘を言っているという自覚はありません。でも、それが神との隔てになります。また、憎しみも罪の隔てとなります。自分自身に心当たりはないでしょうか。
7 嘘偽り、言い訳も自慢も噂話も、悪意を産み、害毒を生じさせ、平和をもたらしません。憎しみや怒りが勝利することはありません。ですから、今日の御言葉を黙想し、自分を振り返らざるを得ません。どのようなことを願い、祈りますか。
・詩篇141:4/(参考)
・詩篇141:3/(参考)
8 イエス様を信じて救われた私たちは、神様の前に自分を省みるという原則を持たなければなりません。神様の助けや祝福を享受するには、神の前に自分を省みて、罪に気づき、問題を解決してもらわなくてはなりません。神様は、私たちにどうしてほしいと願っておられますか。すると、どのようしてくださいますか。
・イザヤ43:26/
・イザヤ1:18/
9 神様の御前に立ってみましょう。素直に罪と咎を自覚するようにされます。神様と一緒に話して、自分と神様を隔てる罪や咎を話題としてみましょう。そうすれば、赦してくださるというのですが、どうしてですか。この恵みにどのように応えますか。
・Uコリント5:21,コロサイ1:14/
・詩篇42:2, イザヤ55:6/(参考)
「命の実を刈り取ろう」
太陽はいつでも輝いています。暑い雲に覆われても、雲が太陽の光を遮っているだけです。その上には変わらない太陽の光があります。イエス様が私たちのために死んでよみがえられたので、神の御顔の光が私たちに照らされるようになりました。私たちが作ってしまう隔ての雲がなくなれば、御顔の輝きが私たちに照らし、祝福と平安が臨みます。気づきや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。詩篇141:3〜4。
| 戻る |