小グループで聖書を学ぶ

31 主は悔い改めた者の所に来る(イザヤ59:9〜21)

「心の門を開いて」

 先週、主の御前に自分を振り返ってみて、どうでしたか。どんなことを思い、自分を省みることができたでしょうか。今日の箇所は、主の御前に自分を振り返り、省みた捕囚の民の姿と応答が記されています。ここから大切なことを学びます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 熱心に断食をしているのに願いを聞いてくれないと不満をもらしていた民が、嘘偽りを中心とした原因の指摘を受けて、自分たちを省みました。「それゆえ」というのは、これまでの1〜8節の指摘を受けてという意味です。御言葉を聞いて、それを自分自身に照らしてみたということです。そして、民は、自分たちの状況に気づき、自分たちの姿を告白しています。どんな姿ですか。
・9〜10節/


2 民が自分を振り返ってみると、暗闇の中を歩んでいるようだった、まるで目の見えない人が手さぐりで歩くようだったと気づきました。自分がどうやって歩んでいいか分からなったというのです。問題や患難の中でどう判断するのか分からず、どう歩んでいいか分からないと、どのような状態になりますか。次の節からどんなことを感じますか。あなたも、そのようになったことがありますか。
・11節/


3 光を待ち望んでいたが闇であり、輝きを待ち望んでいたが暗闇の中を歩んだとあります。どうしてそのようになると思いますか。知らなかったのですか。教えてくれなかったからですか。
・マタイ13:19/(参考)
・Tテモテ6:4/(参考)

4 民は、自分の現状を振り返り、こんな問題がどこから来たのか省みてみました。気づかされたその理由を告白しています。何を告白していますか。12節には、それに関係する三つの言葉が使われています。どんな罪の特徴が含まれていますか。
・12節/


5 「背き」とは、違反、反逆という意味で、神に背くということです。「罪」とは、的を外すという意味です。「咎」(アヴォーン)とは、不法、不義に対する罰の意味です。神様から離れた者は、何をしてもその人生は的を外したものであり、不法や不義が生じ、神に背くようになります。三つの罪のうち、どの罪が特に民には影響があったのですか。そのために、彼らはどのようになっていましたか。読んで感じることは何ですか。
・13節/


6 民が自分を振り返ると、形は信仰生活をしていても、心は神様から離れていた自分がいました。心が神様に向いていなかったのです。神様を知っていれば、何でも神様の御前ですることになります。神に聞いて、神に相談して歩むのです。しかし、心が神様から離れ、罪に翻弄されると、民の姿はどうなると教えられていますか。
・14〜15節前半/


7 神の御言葉が与えられているのに、自分の考えや自分の思いで生きてしまうと、正しく判断する力が失われ、迷うことになります。判断の基準である御言葉がなければ、判断できなくなります。しかし、御言葉に聞くならば、問題や状況を納得できるようになります。こうした民の素直な、真実な罪の告白を受けて、神様はどう応答してくださいましたか。これは、何を預言してくれたことになりますか。
・15節後半〜16節前半/
・Tテモテ2:5〜6/

8 イエス様こそ、唯一のまことに神と人とのとりなすお方です。なぜならば、すべての人の罪の贖いの代価として、ご自分を死に渡されたからです。自分の全的堕落を認め、主なる神のみが自分の人生の問題を解決してくださると信じる時、完全に神様に頼ることができます。どのように守ってくださると宣言されていますか。同じ例えで、私たちはどのように歩むように命じられていますか。
・17〜18節/
・エペソ6:13〜17/

9 今日の結論の部分において、神様は、背きの罪から立ち返る者に対してどのようにしてくださると約束しておられますか。あなたは、その恵みに対して、どのように応答しますか。
・20〜21節/

「命の実を刈り取ろう」

 自分の罪を告白して、悔い改める者には、聖霊と御言葉を与えるという素晴らしい約束をしてくださいました。神様は、悔い改める者に御言葉を与えてくださるだけでなく、御霊の与える剣である御言葉が働くようにしてくださいます。私たちも悔い改めて、神に立ち返ります。気づきや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。使徒3:19。

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