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34 嘆き悲しむ者のために(イザヤ61:1〜3)
「心の門を開いて」
意気消沈したり、喪失感に陥っていた民の中には、神様からの回復の約束を聞かされても、心動かず、そこから立ち上がることができない者もいました。それほどに失望落胆や喪失感が深かったのです。そこで、神様は、さらなる祝福を語ってしてくださいました。それは、そのような民が立ち上がることのできる絶大な絶対的な祝福でした。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 エルサレムに帰還した民は、廃墟を見て、意気消沈し、再建する気力を失ってしまいました。再建ができず、生活が苦しくなり、気力は失われると、マイナス面や失われていることばかりに思いが向かい、喪失感にも陥っていました。そんな民は、何と呼ばれていますか。神様がどうしてくださると言っていますか。
・1節/
2 彼らは、貧しい人、心の傷ついた者、と言われています。あるいは、捕らわれ人、囚人とも言われています。悲観的、否定的な思いに囚われていました。この時の民の失意や喪失感、否定的悲観的な考え方、霊的沈滞や諦めと言った思いは、他人事ではありません。私たちも時には、問題や事件でそんな思いに囚われることがありませんでしたか。
3 決心してエルサレムに帰還したものの、廃墟を見てがっかりして、希望を失い、虚しさに囚われ、傷ついた心は癒しを必要としていました。そんな人々に語られた1節。凄いことが記されています。どこかで見たフレーズと思いませんか。何の預言ですか。失望落胆や喪失感の中でこのイエス様の言葉を聞いたなら、あなたはどう思いますか。
・ルカ4:16〜21/
・/
4 やがて来られる救い主メシアの祝福を知らされたなら、神の民は受け入れ、信じて解放を待ち望んだことでしょう。救い主の預言を信じた民は、失意や喪失感に囚われから解放され、罪の責めからも釈放されるでしょう。イエス・キリストを信じて救われている私たちは、どうされているのですか。どうならないようにしなければなりませんか。
・ヨハネ8:36/
・ガラテヤ5:1/
5 イエス様の引用には、今日の2節も含まれています。「主の恵みの年」とは、昔イスラエルにあった制度で、7年毎に土地を休ませる安息年が7回巡った次の年、50年目をヨベルの年と言います。ヨベルの年には、無条件に土地は元の所有者に戻り、借金のために奴隷や雇い人になっていた者が解放されるというものです。自分たちの慣わしや慣習に忠実な民がこのような祝福を聞いたら、失望や喪失感の中でどうなるのでしょうか。
・2節,レビ25:10,13,40〜41/
・イザヤ60:20,22/
6 ヨベルの年には、囚われた状態から解放されます。悲惨な状態や辛い状況だとしても、必ず解放され、そんな状態が終わる日が来るということを明確にしてくれます。喪失感に陥り、失望落胆している神の民にとって、非常に説得力のある祝福です。霊的な「恵みの年」は、救い主イエス・キリストが来られることです。イエス様を受け入れた私たちは、どんな恵みを受けられるのですか。私たちは、どんなことから解放されているのですか。
・ローマ8:2/
・ローマ6:22〜23/
7 「恵みの年に神の復讐の日を告げ」と言われています。何か仕返しをするというのではなく、50年経って土地は元の持ち主に戻り、奴隷は元の家に戻るということは、その間嘆き悲しんでことへの復讐、報復となるからです。元のように回復される約束は、酷い状態にした者への報復ということにもなるのでしょうか。どこまでも、嘆き悲しむ者を慰めるためです。ですから、今が私たちにとってどういう時なのですか。
・Uコリント6:2/
8 意気消沈し、喪失感に沈んでいた民は、メシヤ、キリストの預言を通して現実に回復は起こる、状況は変わると信じるようになります。そのように変えられた彼らは、何のために用いられると言っていますか。
・3節/
・Uコリント1:4/
9 灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせると祝福されていますが、悲しみながら礼拝に来た者が勝利を与えられ、嘆きながら礼拝をささげた者が喜びに変わり、憂いをもって礼拝に来た者が賛美しながら帰ることになります。それを経験している私たちは、どんなことができますか。あなたは、この救いの恵みにどのように応えますか。
・ルカ22:32/(参考)
「命の実を刈り取ろう」
人生において、様々な問題や患難に出会い、痛み苦しみます。でも、それを通して、他の人を助けるように用いられます。Uコリント1:4。私たちは、互いに励まし合い、慰め合い、この素晴らしい信仰の力を証しし、伝えて行くことを願います。学びで受けた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。Uコリント1:4。
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