小グループで聖書を学ぶ

37 主を休ませてはならない(イザヤ62:6〜12)

「心の門を開いて」

 神の民は神様についてよく誤解します。事が思うように行かないと、「神様は聞いておられないではないか、休んでおられるのですか、なぜ、黙っておられるのですか」と言います。しかし、神様は「わたしは黙っていない、休んでいない」と語られる、それだけでなく、あなたがたが「主を休ませてはならない」と言われます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 62:1で、「わたしは黙っていない、沈黙はしない」と言っておられた神様は、民に対して何と言われましたか。どんな人となって、どうするように言われましたか。
・6節/


2 見張り人は、「一時も黙っていてはならない、休んではならない」言われているように、逐一、継続的に報告しなければなりません。小さなことも疎かにしてはなりません。では、霊的見張り人はどのようにして神に報告するのですか。
・Tテサロニケ5:17/
・ピリピ4:6/

3 私たちが、状況について祈って報告するならば、神様がそれに合ったように導いてくださいます。神様は知っておられるはずだから、祈らなくもいいなどと勝手なことを言う人がいますが、ここで「黙っていてはならない、休んではならない」と言われた理由は何ですか。
・6〜7節/


4 ここに不思議な表現があります。私たちが絶えず祈り、神様に報告するのは、「主を休ませてはならない」からだというのです。神様がどういう方だからなのですか。私たちは、その神様に対して、どうすべきだと教えていますか。イエス様が話された例話を呼んで、どうしようと思いましたか。あなたの祈りの生活がどう変わりますか。
・ヨハネ5:17/
・ルカ18:1〜7節/

5 神様が休めないほど面倒かけなけばならないのは、私たちが祈りを通して、神様が生きておられることを知って神様の愛を体験し、神様の恵みを知って神様の栄光をあらわすようになるためです。見張り人が神様に絶えず報告していれば、どのようにしてくださると教えていますか。かつては、捕囚の民としてバビロンに支配され、自分のものは何もなく、労苦して働いたものも取り上げられ、悲惨な生活をしていた神の民にとって、神様がこのようにしてくださることがどれほど大事なことか想像し、話し合ってみてください。
・8〜9節/


6 人は、自分が労苦して報酬を得ることを祝福とは考えないで当たり前と考えます。自分が労苦しないのに与えられることを祝福と思います。しかし、今日の箇所が教えている聖書的な祝福とは、努力なしで得られることではありません。自分が労苦したものを失うことなく自分が収めることが、聖書の言う祝福です。引用箇所を読んで、どんなことが祝福だと感じますか。
・詩篇128:2〜4/


7 「見張り番を置いた」の「置いた」という言葉は、「招集する」とか「任命する」という意味です。神様が自分を召してくださり、そこに置いてくださり、見張り人としての使命を与えられたということです。神様は、見張り人に対して、どんなことをするように言っていますか。それは、誰の働きを連想させますか。
・10〜11節/
・ルカ3:3〜4/

8 救いの御旗であるイエス様の福音を伝えることで救いへの道を整えますが、ここまで学んで来たように、神様に祈り報告して、自分の生活を整えられることも準備になっています。なぜ、福音宣教には、祈りと証の生活が必要なのですか。
・マタイ5:13〜16/
・Tペテロ2:12,15/

9 12節には、救われた者たちを呼ぶ新しい称号、呼び名が登場しています。「聖なる民、贖われた者」です。「贖われた者」とは、元々困難に直面した親戚のために土地や奴隷を代価を払って買い戻すことを意味した言葉です。イエス様の十字架という多大な犠牲を払って、神のものとして買い戻してくださったのが、救いの御業です。あなたは、神様からその場に置かれた見張り人として、どのように生きようとしますか。
・12節/
・Tコリント6:20/

「命の実を刈り取ろう」

 神様が休まれないように見張り人として、祈って、報告をしたいと願います。神様は今でも救いのために休まないで働く神様です。今この時も救いのための働きを続けておられます。思い出してください。私たちの間で良い働きを始められた方が、それを完成してくださるまで決して休まれないことを。ピリピ1:6。学びを通して与えられた気付きや適用を分かち合い、互いのために祈りましょう。ピリピ1:6。 

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