小グループで聖書を学ぶ

38 救いが来れば、裁きも来る(イザヤ63:1〜6)

「心の門を開いて」

 捕囚からの帰還民に対する励ましや慰め、祝福が続いていました。意気消沈し、喪失感にさいなまれていた民は、どれほど励まされ、希望を与えられたことでしょうか。しかし、ある人たちは、恵みに慣れ、有難味を感じない人もいたようです。現代でも、救いの恵みをあまり感じていない聖徒たちがいます。そのような聖徒たちは、神様をただ救いを与えてくださるお方であると理解するだけで、裁きを下される方だとは考えないようです。そんな民に対して、救いと裁きについて教えてくださいます。

「御言葉の種を蒔きながら」

1 これまで民に対する励ましや祝福が繰り替えされていたのが、今日の個所では、色調が変わったかのような内容となります。それも、興味を持って聞くように、誰かの質問に神様が答える形式を取っています。第一の質問は、何ですか。ここに出て来る国名や地名にはどんな意味があるのか、調べてみましょう。
・1節前半/
・創世記25:30,36:9, 民数記20:17〜20,エゼキエル35:15/

2 「エドムから来る方は誰か、ボツラから王様のような深紅の衣を着て来るこの者は誰か」という質問に対して、神様はわたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者」と答えておられます。神は、正義を語る方、つまり裁きを行う方だということです。そして、救いを成し遂げる力のある方であると教えられています。これは、誰のことを預言しているのでしょうか。
・1節後半/
・ヨハネ3:16/

3 罪や不義に対する神様の怒りや裁きがないのであれば、十字架も必要がなくなります。イエス様の十字架は、人の罪に対する神の御怒りで正義を満たすために行われた裁きでもあるからです。ご自分のひとり子を十字架に差し出された慈悲深い神様を考えることだけで、裁きを下す神様を考えないのであれば、救いの恵みが分からなくなります。救いの恵みに慣れ、有難味を感じなくなります。恵みの分かち合いでなく、噂話が多くなります。自分を振り返ってみて、どうですか。分かち合ってみましょう。
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4 次の質問は、どんな光景を描いたものですか。その答えは、その光景をどんなことに例えたものですか。
・2節,エレミヤ48:33/
・3節/

5 注目すべきは、その裁きの中で、「彼らの血の滴りはわたしの衣にはねかかり、わたしのよそおいをすっかり汚してしまった」ということです。救い主が血だらけになられたということです。この預言は、イエス様の十字架において、どのように起こっていますか。
・マタイ27:28〜29, ヨハネ19:34/
・マタイ26:36,ルカ22:44./

6 ローマ兵は、イエス様に緋色のマントと着せ、いばらの冠をかぶらせて、王様万歳と言ってイエス様をからかいました。背にむち打たれ、両手両足を十字架に釘打たれ、槍で脇腹を刺されたイエス様は血だらけでした。イエス様が絞られたぶどうのように、踏みつけられ、苦しまれ、血を流され、人々の罪のために犠牲となられたのです。このような救い主イエス様の姿を知って、感じることを話してください。
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7 4節の「復讐の日」とは、エドムに代表されるように、悪の勢力が神様によって徹底して踏みにじられる裁きを意味しています。しかし、神様は、同時にこの日を「贖いの年」と言われます。裁きが来れば、救いも来ます。ですから、どうしなければなりませんか。
・4節/
・Uペテロ3:9,ヨハネ12:36/(参考)

8 悪者への神様の裁きの日は、神の民への解放と救い日となります。今日の箇所の表現は、残忍で凄惨な印象を受けるところです。しかし、神様がこのようなことを行われるのは、悪を滅ぼし、正義を打ち立て、御自分の民を守り、救いを成し遂げるためです。裁きから人を救おうとされる神様の熱心が、裁きの悲惨を教えておられるのです。そのためにどうしてくださいましたか。
・ガラテヤ4:4〜5/
・ローマ8:1〜2/

9 6節でもう一度、神様の怒りと憤りで罪人が踏みつけられ、裁かれることが繰り返されています。「踏みつけた」とは、壊したという意味です。神様の裁きが完全という意味です。イエス様の十字架を信じる以外、免れることはできません。ですから、私たちはどうしたらよいですか。あなたはどうしますか。
・6節/

「命の実を刈り取ろう」

 さばきの時がいつかは分かりません。ですから、私たちは、「一人でも滅びることなく、永遠のいのちを得るように」と救い主イエス様を伝えたいのです。救いが来れば裁きも来るということを知れば、私たちは切実に伝えなければと思わされるのです。学びで与えられた気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。ローマ8:1〜2。  

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