小グループで聖書を学ぶ
40 切実な逆説的祈り(イザヤ63:15〜19)
「心の門を開いて」
私たちはどんな祈りをしているでしょうか。厳しい環境の中で、どうしてこんな状況なのかと嘆き、神様に文句を言う民もいました。それを聞いて心痛めたイザヤは、彼らの言葉を使って切実な祈りをしました。文句や勝手な祈りのようなのですが、心揺さぶられる祈りです。どんな祈りなのか、学びましょう。
「御言葉の種を蒔きながら」
1 預言者イザヤは、15節でどんな祈りをしていますか。これを読んで、どんな印象を受けますか。神様に対して、どんな態度をとっているように感じますか。
・15節/
・民11:1,ヨブ10:1/(参考)
2 文句を言っている祈りのように感じます。確かに、苦しみと絶望的な状況の中で、民はこのようなことを言っていたのでしょう。しかし、イザヤはそんな民のために切実に祈っています。文句のような祈りではないことが16節を読むと分かります。16節は、どんな信仰をあらわしていますか。
・16節/
・ローマ8:14〜15/
3 イザヤの祈りは、文句ではありません。神様の熱心とたぎる思いを確信しています。不信で言っているのでもありません。神様の自分たちに対する熱心もたぎる思いも信じています。だから、「熱心と力あるみわざをここにあらわしてください。私たちへのたぎる思いとあわれみを抑えないでください」と懇願しています。あなたも、文句のような祈りをすることがありますか。たとえば、どんなように祈りましたか。
・/
・/
4 困難な状況や問題の渦中で、神様への不信や文句を言うより、神様の私たちに対する熱心や力あるみわざが自分の状況で行われるように祈りましょう。神様のたぎる思いとあわれみを自分のことにあらわしてくださいと懇願しましょう。17節の祈りも変です。この表現はおかしいと思いますか。民は自分の不信仰の責任をどうしようとしていると感じますか。
・17節/
・創世記31:39/(参考)
5 神様が民を道から迷い出させ、民の心を頑なにさせ、神を恐れないようにさせるはずはありません。民の中には、自分の不信仰や悔い改めない頑なさを神様がそうさせたと、神様のせいにする民もいたでしょう。私たちも、自分の不信仰や頑なさを神様のせいにしたことはないでしょうか。思い出すことがありますか。
・ヤコブ1:13/
・/
6 イザヤは、神様を離れてしまい、頑なになってしまった神の民の切なる心を逆説的に言っているのです。「神様、私たちをあなたの道から迷い出させ、私たちの心を頑なにして、あなたを恐れなくされるのですか。神様、そんなことはなされないでしょう。あなたの前に立ち返らせてください」と祈りました。「どうかお帰りください」という懇願も、逆説的ではないですか。本当は、どうなるのですか。
・使徒3:19/
・/
7 最後の部分では、民の惨状を嘆いて祈っています。聖所を踏みにじられたということは、そこで御言葉を聞くことができなくなったということです。神様を覚えることがなくなるということです。神の民にとって、これ以上の惨状はありません。そうなると、どんな嘆きを言うようになりますか。それは事実なのですか。
・18節/
・19節/
8 19節の嘆きの祈りも、逆説的祈りです。聖所を踏みにじられ、心が神様から離れた民を、神様の支配の中で生きるようにしてください、神様から呼ばれる民にしてくださいと懇願しているのです。神の民は、神様の支配の中で生きてこそ、真にたましいが生きる者となります。私たちのたましいが生きるようになるには、どうしたらよいと思いますか。
・ヘブル10:25/
・ヨハネ10:16/
9 イザヤの逆説的な祈りは、「彼ら」とは言わず、終始自分も含めて「私たち」と祈っています。イザヤは、預言者として民から反発や迫害を受け、苦しめられたにもかかわらず、彼らの苦しみを自分の苦しみとしたのです。彼らの言葉を用いて、切実に祈っています。どんな印象を受けますか。あなたは、どのようにしますか。
・ルカ23:34/(参考)
「命の実を刈り取ろう」
試みの嵐の中で信仰を揺さぶられ、神様に支配されていないように、また神の子供とされていないかのようになるかもしれません。そんな時には、神様に支配されていない、呼ばれていない、神様か道を迷わせ、私を頑なにさせたと、逆説的でもいいから切実に祈りたいと思います。試みの渦中にある人のため切にとりなし祈りましょう。主が祈りに答え、取り扱ってくださいます。気付きや決心を分かち合い、互いのために祈りましょう。
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